第12話 領民

 昨夜の雨のせいか地面がぬかるんでいて、一歩足を出すたびにすっころびそうになるのをなんとか耐えて前に進む。

 屋敷を出るとすぐこうだ。屋敷の周辺は石を敷き詰めてあるため水はけがよく、雨の後でも数時間太陽に照らされていればからっと乾いている。しかし一歩外に出るや、道という道がないのもあり歩くので一苦労だった。


「つ、次は道の整備だな…」


 俺はそんなことを想いながら、警護をしてくれる兵を二人連れだって歩いていた。


「ここ、滑るから気を付けて…うひゃ!」


 俺がそういいながら思い切り尻もちをついたのを見ると、警護兵の二人は顔を見合わせてから駆け寄って起こしてくれた。

 警護してくれている兵を気遣ってはみたものの、兵たちは慣れっこのようで駆け足にも関わらず、まったく転ぶ気配がない。


「私たちのご心配より、旦那様が気を付けてください」

「す、すみません…」


 今日やってきたのは、屋敷から少し歩いたところにある領民の集落だった。

 領民たちはすでにひと働きしたようで、木の丸太の上に腰を掛けている者や木陰に置いたイスとテーブルで食事をしている者がいた。

 俺が近づくと、それに気づいた一人が丸太から転げ落ちる。


「わ、領主!…さま?」


 いつも陰ではこのゲス貴族のことを「領主」と呼び捨てにしているのだろう。気持ちばかりの「…さま?」が聞こえてきてなんだか面白い。


「りょ、領主さま。今日は何用で…? 税の支払いでしたら、来月の予定だったと…」


 この集落の長らしき男が、恐る恐る俺たちに近づいてくる。

 後ろの方で、村人たちが「なんで領主が」とか「俺たちなんかしたか」とかそんなざわめきが聞こえてくる。

 ここに来る前ヨルドに聞いていたが、このゲス貴族が集落に足を運ぶことなどこれまではなかったそうだ。税の徴収は兵に任せ、領民との交流は完全に断っていた。

 それもそうだろう。先代を慕っていた領民たちに、わざわざ会おうとは思わない。

 いや、会っていたら今の領主という呼び捨てで「不敬だ」と斬り捨てているかもしれない。その点では会わなくてよかったなと俺は思った。


「ええ、納税は来月で大丈夫です。ちょっと皆さんの暮らしを見てみたいと思いまして」


 そう俺が言うと皆がざわつく。さぞめんどくさいだろう。俺が元の世界で働いていた時も、本社からお偉いさんが視察に来るってのはなにかと面倒だった。申し訳ないな、と思いつつも俺は彼らの暮らしを見ておきたかった。

 彼らはこの地に根を張り暮らす者で、領地を安定させるには彼らの協力が必須だ。それにこれから奴隷たちがこの領地を開拓し始めることになるため、そことの摩擦が起きることも考えられる。ともかく彼らがどういう人たちで何を求めているかを推し量る必要があった。


「何を食べてらしたんですか?」

「パ…パンと、ミルクです…」


 気さくに話しかける俺に戸惑いながらも、女性は答えてくれた。

 食卓を見るに他には何もなさそうだ。


「これだけですか?」

「…? はい」


 そう話していると、先程の村長らしき男が割って入ってきた。


「私たちは小麦を育てていますのでそれを主食にしております。ミルクは牛を育てておりますのでそこから」

「なるほど。他の食材は? ほらあそこの森とかで木の実とかキノコとか」


 森の方を指さしながら俺はこっちに来てからの食事を思い出す。異世界だから食文化が違うということもあるだろうが、たしかこの世界でも木の実系やキノコも食べられているはずだ。

 素朴な疑問を言ったつもりだったが、領民たちは顔を見合わせ怪訝な顔をする。


「あの森の権利は私たちにありませんので。あの森は領主さまの管理されている森だと我々は聞かされています。ですので入ることは許されないのです」


 村長は、少し俺を責めるような口調で話した。

 そうか、このゲス貴族が森の資源を独り占めしているんだ。

 ヨルドがいればここで森の資源を渡しても良いか確認したのだが、彼も公務で忙しい。もしかしたら、別の理由──例えばこの森には妖精が住んでいてそれの保護のため──などがあるかもしれない。と想像を働かせつつも、このゲス貴族が妖精の保護をするわけがないなと思った。


「森の権利…なるほど、わかりました。この件についてはまた話し合い、解決していきます」


 俺の言葉があまりにも予想外だったのだろう。領民たちはそれ以上何も言いださなかった。

 その後、いろいろ見せてもらった。

 納税が来月に控えるこの時期はちょうど収穫時期だったようで小麦の収穫を手伝ったり、牛の乳しぼりをさせてもらう。現代だったらお金を払って体験させてもらえるようなことをさせてもらいとても満足ではあったのだが、領民たちに気を使われすぎて、そっちの方が疲れた。領主にこんな雑用をやらせるなど…という感じの気の使われ方ではなく、いつ暴れだすかわからないゲス貴族の怒りに触れないようにという感じだ。

 しかし一つの話題だけでだけは違った。


「今度、荒地を開拓していこうと思っているんです」

「荒地を…?」

「この地も元々荒地で開拓されたんですよね」

「…開拓したのは我々ですが、指揮を執ったのは領主さまのお父上様です。しかし領主さまが追放された」

「はい。父上を追放したのは、間違いだったと思っております」


 あきらかに俺を見る目には敵意を感じる。先代を慕っていたのは本当だったようだ。


「この領地に荒地開発をした経験があるのはあなた方だけです」

「…」

「俺に、この領地にその知恵を貸してくれませんか」


 そう今日ここにやってきた一番の理由はそれだった。荒地開発をするとなって人手が集まっても、多くの問題が出てくることは予想に難くない。となれば、荒地の開発の経験者の意見を聞くのが一番だった。

 最も真剣に聞く気があり、教えてくれる人がいればだが。

 俺が頭を下げると彼らは目を丸くして驚いた。

 村長はそんな俺を見て、何かを思ったのか言葉を口にした。


「水です」


 俺はバッと顔を上げる。


「荒地を開発した後その地をどう使っていくかを考え、開発をする。

 ただ土地を広げても、その地を物置にするわけでもないでしょう。

 その地に畑や小麦を作るとなると水をひかねばなりませんし、生活するにもまず水です」

「! なるほど!」

「領主さまだどの程度の認識かわかりませんが、荒地開発はそんな簡単なものではありません。ただお金をかけ開発する者を雇っても、その地に住み着き管理する者がいなければ、すぐに荒地に逆戻りです。自然は人間とは比べ物にならない力で押し返してきます。

 現に我らも多くを開発しましたが、管理が行き届かない所は全てが荒地にもどってしまいました。人間が必要以上に開発することは自然が許さない。ですので、土地に住みつく人がいない限りは難しいと思います」

「その点は大丈夫です。これから領民が増える予定なので。これについても今度説明させてください」


 村長と荒地について話していると、村の子どもたちが遊びからなのか帰ってきた。

 そして一人の少年が俺のことを見て指さすと言い放った。


「誰?このデブハゲおじさん!」


 ここにいる領民全員がピキーンと固まった。何人かは死を覚悟しただろう。

 その心労を思うと俺まで冷や汗が出てくる。もちろん俺はそんな少年の言動で、ここに居る者を全員斬首だなどいうはずもなく、ただ彼らに気の利いたことを言うこともできず、乾いた笑いをしながら「それでは今日はこの辺で」と逃げるように岐路につくのだった。

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