第8話 ケモノの暴走
レージェストは長い青髪を後ろで束ねると脳の奥の方でアドレナリンを爆発させた。体毛が鳥肌のようにバサバサと逆立ち、牙がうねりを上げ伸ると手の先からは鋭い爪が生えそろった。獣人のもつ能力、‟獣化”だ。
その強靭な前足を蹴り出し、風をも置き去るスピードで丘を駆け下りていく。見張りがそれに気づいたころには、すでに入り口を突破していた。
「て、敵襲…!」
兵が槍を構えこちらに向けてきたのを確認するやレージェストは素早く跳躍し、壁を蹴りその矛先をひらりとかわす。そして空中で体を捻り兵の首元をその鋭い爪で切り裂くと、兵をも飛び越え反対側に着地した。
当たりだ。
予想通りこの塔はただの見張り台ではない。地下にはなにか施設が存在するようで、塔の中央には地下へ続く螺旋階段が通っていた。神経を研ぎ澄まして空気の流れを感じるに、この奥には大きな空間がある。
レージェストは
「(くそ、深いな)」
螺旋階段はレージェストが地上で想像していた何倍も地下深くまで続いているようだった。これだと皆を救出しても逃げ切るのが難しい。
幸い螺旋階段は人が一人通るのがやっとで、子どもでも二人が限界の道幅。逃げ出す際、自分が
問題はどのくらいの人数がここに捉えられてるか、だ。
レージェストが率いていたゲリラ軍の数は、末端まで数えれば数百はくだらない。
それらのほとんどがどこかで囚われの身となっている。
ゲリラ軍の各拠点に一斉に人間の軍が押し寄せ、数で劣るゲリラ軍の仲間たちはあっけなく捕まってしまった。普段なら何かあれば狼煙を上げ、近くの別拠点に応援を要請するというシステムが組まれていた。しかし各拠点が一斉に攻撃を受けたためどこもパニック状態だった。狼煙を上げようが、それは虚しく空気を漂うだけだった。
あの日の景色は忘れないだろう。レージェストは
「(今助けてやるからな…)」
火がゆらゆらと灯る暗い螺旋階段を下っていくと開けた部屋が現れた。薄暗いが、だだっ広い部屋だということはわかる。多くの奴隷を収容するにはもってこいの施設だと言えるだろう。
そんなことよりも、レージェストは別のことが気がかりだった。
──生き物の気配がしない。
…いや、少しはする。人間の兵だろう。人間には聞き分けることができないだろう布のすれるわずかな音や、金属がこすれた時の嫌な音を感じた。
「(ハメられた…?)」
部屋の中には檻がいくつもあるようで、奴隷たちはここに捉えられていたのだろう。螺旋階段を下っているときから気づいていたが、ここはひどい臭いがする。糞尿の臭い。鞭で打たれたのか床に乾いた血がべったりとついている。
レージェストは頭に血が上りそうなのを静かに収めた。
なぜこんなひどい仕打ちができるのか。人間が憎くて仕方がない。しかし冷静に、精神の水面が波立たないように…と心の中で自分にそう言い聞かせる。
罠かもしれない。それでもレージェストは部屋の中央に向かい足を運んだ。
「うふふふ 本当に来たわぁ!」
レージェストが足を進め中央あたりに来ると、高らかとあざ笑う声が部屋を駆け巡った。この部屋に入るあたりから警戒態勢を続けていたが、それをさらにもう一段階高くする。
すると部屋の壁際で息を潜めていた兵士たちが一斉に槍を構え、さらに松明が続々と点火された。一瞬その光に目がくらんだが、すぐに視界は鮮明になった。
「ち、思ったより居やがる」
レージェストは舌打ちをした。気配から兵士がいることはわかっていたが、数が感じていたものと大きく異なっていた。
獣人は人間よりも五感が鋭い。そのため獣人の前で気配を消すことは難しいのだが、この軍団はそれをわかっている。
多くの兵が、布のすれないような生地が少ない軽装をし、一部の兵にだけ金属の鎧をがっしり着こませていた。レージェストが感じていた気配は後者のものだろう。隊の中で気配に差を作ることによって、レージェストは潜む兵の数を少なく認識させられていた。
もちろんそうと分かっていれば気配を感じることはできるのだが、レージェストは油断していた。…いや、させられていた。
螺旋階段を駆け下りる際、レージェストが交戦してきた兵士たちは、敵が現れるなんてのを想像もしてなかったという顔をして崩れ落ちた。少なくとも彼らには、ここにレージェストが現れるという情報は伝えられていなかったのだろう。だからレージェストは奇襲に成功したと思っていた。敵が慌ててさえいれば、少しは時間が稼げる。そうすれば仲間を逃がすことも可能だと判断した。しかし敵はレージェストの奇襲を知り、丁寧に罠まで用意して待っていた。
完全にハメられたと気づいた時、レージェストは額に小さく汗を垂らした。
「うふふ、本当にわんこなのね」
そう言ったのは、兵の中心で一人だけ前線には似つかわしくないゴリゴリの装飾品が施されたドレスに身を包み、どぎつい真っ赤な口紅が薄気味悪く吊り上がっている50代ほどの女だった。
「わたし強いわんこが欲しかったところなの。それなのに奴隷商ったら、わんこたちが市場に入ってこないとかいうのよ」
レージェストはできるだけ周りの動きから注意を外さないように、いつでも動けるように意識を集中しながら女の話に耳を傾けた。
「あんまり腹が立ったものだからその奴隷商はわたしのペットの餌にしちゃったんだけどね」
クスクスと気味悪く笑う女にレージェストは嫌悪感を抱き、威圧的に言葉を漏らす。
「二度は聞かん、仲間たちはどこだ」
レージェストから溢れ出す殺気にあてられ兵士たちは一歩後ずさり、彼らが槍をもつ手には力が入った。レージェストはそれを確認すると、ここに居る兵士たちは数だけでなく、経験も備える兵士たちだということを察した。
殺気にあてられるのは恐怖に支配された新兵か、様々な経験を積みその殺気に気づくことができる者のどちらかだ。ここまで統率がとれ、レージェストの殺気を感じ槍を持ちなおせるのは、訓練された熟練の兵士たちであろう。
そんな軍を持っているこの女は、たぶん人間の国の貴族だろうか。
「…誰が喋っていいって言ったかしら?」
女は手に持つ鞭を地面にぴしゃりとたたきつけた。
「聞いたのよ、どうも邪魔をしている獣人組織があって、そのせいでわたしの手元にわんこが来ないってね。それを聞いてわたし興奮しちゃったの。そんな強いわんこがいるなら欲しいって。だから捕まえに軍隊を送ったのよね」
「……」
「それなのにそのリーダーのわんこを取り逃がしたって言うんだから、もう、キーーーッってね。強いわんこ…ますます欲しいぃぃ」
女は頬を赤らめ、興奮したように体を震わせる。そして奥の兵の方を見ると指で何かを呼んだ。
すると奥から手のところを縄で縛られた傷だらけの獣人の少年が地面をズルズルと引かれてきた。
「!?」
レージェストは彼の顔に見覚えがあった。それはゲリラ軍に最近入った少年──ロロだった。まだ幼さが残る顔立ちに不安を覚え一度は入団を拒否したのだが、彼は家族を人間に連れ去られ、帰るところがなかった。ゲリラ軍はそういうやつが多い。だからレージェストは家族のように思っていた。レージェストもそうだったから。
「レ、レージェスト…さ、ん」
ドクン。
レージェストの中で何かがはじける音がする。
獣人は獣化をコントロールすることで、獣を自分の支配下で扱うことができる。
ダメだ。落ち着けレージェスト。早まるな。
レージェストの瞳孔は開き、その鋭い牙はむき出しになった。毛は逆立ち、口からはグルルルルと地響きのような音が漏れる。
「だ、だめです…レージェストさ、ん」
そんなレージェストの様子を見たロロは、ボロボロの体を無理やりおこし、かすれ切った声で訴えた。その声はほとんど音としては発せらていなかったが、それは確かにレージェストに届いた。開ききった瞳孔は元に戻り、逆立った毛は徐々に落ち着く。
レージェストは自分の中の獣を抑え込み我に返った。
「はぁはぁはぁ…」
自分の中ではじけた獣を無理やり自分の精神力で抑え込むことができたのは奇跡だった。レージェストはロロを見る。感謝を伝えたかった。しかし声が出ない。
「んんっ! いいところだったのにぃ!」
女は周りの兵に向かって鞭をペシペシと振り付ける。
「つまらないわ。やっちゃって頂戴」
女は飽きたように鞭を宙にポーンと投げ捨てると、指をぱちんと一つ鳴らした。
レージェストは疲れ切った体に力を籠め、来るであろう攻撃に備えた。
しかし来るはずの攻撃は来なかった。
グサッ。
血が宙を舞う。女が向けた矛先は、ロロに向けられたものだった。
「…っ」
時間が止まった後、視界は赤く染まった。
瞳は赤く充血し、毛がバッと逆立つ。
レージェストは内なる獣に支配された。
「グァガァガガガァァガァァァァァァ!!!」
地響きのような咆哮。音圧で空気が振動した。
兵たちはレージェストのその様子に恐怖し体を硬直させるが、女だけは口はあけ手をたたいて喜んでいる。
「これこれこれ!これよォ!!ケモノの暴走!!」
レージェストは我を忘れ地面を蹴りだし、無差別に周りの兵に牙をむいた。
一人二人と兵士が血と悲鳴を上げ倒れていく。
そしてレージェストはついに標的を女に定め、走り出した。
一歩また一歩と距離が近づいていく。あと一歩で女に飛びつけるという距離に来た時、レージェストはそれを何かに阻まれた。
「!?」
ガシャンガシャンガシャン。
それは土埃を上げレージェストを囲むように、そびえたった。レージェストの上から何重もの檻が降ってきたのだ。
行き場をなくしたレージェストは檻に向かい体をぶつけるがびくともしない。鋼鉄で作られた檻だった。
女は檻の前まで来るとレージェストを見て、気持ちの悪い笑みを浮かべ呟いた。
「つーかまえたぁ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます