第6話 獣人
はぁ、はぁ、はぁ、…ふぅー。
切らした息を整えて男はまた走り出す。木々の間を駆け抜ける足は獣のように頑丈で、その見た目は確かに獣そのものだった。
彼が通った後、彼を追うように金属が擦れる音が鳴る。
「隊長こっちです!こっちに足跡があります!」
「ぐぅ…。この鬱陶しい木々さえなければ、あんな犬1匹たやすく捕まえられるものを…」
隊長と呼ばれた男はそう言いながら腰の剣を抜き放ち、近くの木から垂れる蔦を切り落とした。しかしそんなことをしたところで怒りが収まるわけもなく、周りを囲う部下達に罵声をぶつけていた。
彼の怒りはもっともで、彼らは小隊50人で1人の男を追っているにも関わらず、すでに1時間は森を彷徨っている。しかし足跡を追うのがやっとで、人影さえ見つけられない。
「はん。人間風情に、俺が捕まえられるかってんだ」
男はすでに小隊の後ろをとっていた。いくら探したところで背後にいるのだから見つかるはずがない。
先頭を行く兵士は斥候的な立ち回りをしていて、追う者の形跡を見つけてはそれを本隊に連絡する役割を持っている。その情報を元にして、本隊はその進行方向を決めるというわけだ。全員が四方に分散して捜索をすれば早いようにも感じるが、単独で獣人と人間がかち合うことになれば十中八九結果は見えている。そのためこうして慎重に慎重を重ね、個に対して集の力を結集し挑むわけだが、それを男は逆手にとり足跡をわざとつけて、彼らに虚像を追わせていた。
男は獣の体と人の体をもつ獣人だった。
獣人は獣に変身することで飛躍的な身体能力の向上を得ることができる種族である。
通常は二足歩行で人間との区別はほとんどない形をしている。違いといえば、獣人には個人差は大きいが、人型の際も耳や体毛が残っていることだろうか。
日常を人型で生活しているのは、変身した獣の姿でいるのが肉体的にも精神的にも大きく消耗するためである。
「ちょいとこっちの姿でいすぎたか…」
獣の足が人型へ、その鋭い牙もズズズと消えていき、男は狼の獣の姿を解き人型に戻った。肩まである青い髪をなびかせ、瞳は青く眼光が鋭い。ガタイは大きく人間の姿でも人間の1人ぐらい捻り潰せるのではないだろうか。
男が木に寄りかかり息を整えていると、そこにスズメが太陽の光をチラチラと遮りながら空を舞い降り、男の頭の上空まで滑空すると旋回し声をかけてきた。
「レージェストさん!」
「どうだった? 見つかったか」
狼の獣人の男──レージェストは胸にかかる白と青を基調としたペンダントの位置を直しながらそう言うと、そのスズメは近くの木に降り立ち鳥から人型へとその姿を変えた。目につけていたゴーグルを首のところに下ろし、ゴーグルから茶色の髪をばさっと出す。活発な印象を与えるその瞳と小柄な体型から少年のような印象も受けるが、立派な大人の女獣人だ。名をケイトといった。
「あの北の山の中腹あたり。ちっちゃな塔があるだけだったから通り過ぎそうだったけど、見張りがしきりに出入りしてた。待ってたら案の定、人間の奴隷が連れられてきたよ!
たぶん、あそこは地下が施設になってるんだと思う」
ケイトは山の方を指差しているようだが、レージェストからは木が視界を遮っていて見えない。ちょっと抜けているのがケイトらしいが、彼女の腕をレージェストは信用していた。
彼女は他の獣人よりも長く獣化することができ、そのため他の獣人では難しい長距離の遠征ができる。しかも鳥類の獣人であるから、その移動能力はレージェストの知る中でも群を抜いている。
獣化は体力と精神力を大きく消耗する。獣化の際、一時的に脳内でアドレナリンが大量分泌されるため興奮状態となり、獣そのものとなる。これをコントロールできないと自分を失い、自分の知らないところで味方を手にかけてしまうというような悲惨なことが起きてしまう。だから獣人は子どもができるとそのコントロールをまず教え、自分がコントロールできる範囲で獣化をするのだ。
ケイトは精神的に他の者より強いのか、そのコントロール能力が異常に高い。
「糞人間どもめ…」
レージェストは拳を握りしめ唸る。瞳には強い怒りがこもっていて、彼の怒りの波動を感じ驚いた周辺の鳥達がバサッと一斉に木から羽ばたいた。
「もう、レージェストさんッ!小鳥さん達が怖がってるようッ!」
「す、すまん」
怒りに支配されてはいけない。怒りに支配されれば獣化が不安定になってしまい、終いには自分を見失ってしまう。そんなことではこれから向かう地での作戦は成功できまい。
レージェストは自分の中の沸騰するような怒りの泉を、静かに収めた。彼らにはやらねばならないことがある。
「ケイト、案内してくれ」
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