第3話 奴隷商人
最悪の気分だ。
服を着て風呂場をあとにし、自分の部屋へ向かう。
相変わらず、だだっ広い屋敷でそこら中に美術品が飾ってある。美術品は何も悪くないが、今はそれらがとても悪趣味に見えた。自分の財をひけらかしたいだけだろうために買われたそれらの名画は、とても可哀想だった。
屋敷内も広いが、やはりこの男の部屋も無駄に広い。7畳の1DKに住んでいた俺にはトイレが1番落ち着くスペースかもしれないな、と思いながら椅子に腰掛ける。
「疲れた…」
やはり異世界。今までと違う生活は精神的に疲労する。なにより転生したのがこんな最低ゲス男。ついていない。
風呂場を出たあと、よくよく観察すると、メイドや手伝いの人たちは俺の目を見ていない。
その目の奥には恐怖の色が浮かんでいた。
「コイツは誰に対してもゲス野郎なんだろうな」
はぁ…と一つため息をつく。これからどうするかを考えなければならない。ゲス貴族としての俺の第二の人生は間違いなく最低だろう。
涙を流し口を固く結ぶ奴隷の少女達の顔が脳裏をよぎる。
あんなのは2度と見たくない。
コンコンコン。
物思いに耽ってるのも束の間、部屋をノックする音でハッと我にかえる。
「はい?」
「執事長ヨルドでございます」
執事長ヨルド…。誰が誰かが全くわからない状況なので、みんながこうやって名乗ってくれるといいのになと思う。
「どうぞ」
「失礼します、旦那様。例のお客様がお見えでございます」
執事長ヨルドは60代だろうか? 顔の深いシワはその年齢を表しているが、背が高く、体幹がしっかりしてるのかとても綺麗な姿勢で遠くから見たら老人には見えないだろう。白髪混じりのグレーの髪は脂で固く固められ、いかにも執事長という印象を受けた。
はてどうしたことか。お客様と言われても全く検討がつかない。
「お客…最近物忘れが早くて。誰のことでしたっけ?」
執事長ヨルドは困惑したように眉を寄せるが、すぐに表情を戻し、俺の質問に答えた。
「奴隷商です」
「!」
そうか。このデロンド・ゲシュタルというゲス貴族が風呂に入る日というのは、奴隷達の選定をする日ということになっていた。
だから選定の日はこうして奴隷商を呼び、捨てた分を補充するという流れになっているのだろう。
今回は例外的に俺が捨てないと言ったが、いつもならここで最悪の取引が毎回行われるのだ。
「通してください」
◆◆◆
奴隷商はすぐにやってきた。
連れられた奴隷は男女合わせて10人ほど。
いずれもマントで隠されているものの、みな裸にされている。
見るに堪えない。
「これはこれはゲシュタル様! 今回はいつもより早いご利用ありがとうございます!」
奴隷商は感情の薄い張り付いた営業スマイルで、大袈裟に手を擦り合わせ近寄ってくる。
「例年と時期が違い、急遽集めさせていただきましたため数が少なくなってしまいましたが上物を揃えてまいりました!」
「……」
「? ほらコイツなんか上物ですよ! なかなか市場には出回らない鳥族の女です! 羽を傷つけることなく市場に出回るのは滅多にないことです!」
鳥族の女の顔を無造作に掴み見せてくる。
「…買わない」
「? はい?」
俺がボソッと呟くとフリーズしたような間抜けな声を出す奴隷商。
「俺は金輪際、奴隷は買わない」
「な、な、な、なぜですか!? どこかお気に召さないことがありましたか?!」
「俺はこんな、人を物のように扱うのに加担するのはごめんだ」
奴隷商は俺が何を言ってるのかわからないという怪訝な顔でこちらを見ている。
奴隷の中でさえ同じような顔をする者もいる。
綺麗事を言っているのはわかってる。コイツがこれまでどれだけ奴隷を買い、物扱いし、そしてゴミのように捨ててきたか。それは想像に難くなかった。
奴隷商は不機嫌そうに目を細めると、一人の奴隷の少年の手を掴みこちらに突き出す。
その奴隷の少年と目があった。海のように深い不思議な瞳。なぜだか引き込まれるような目をしている。彼も俺の言動が不思議なのだろう。その丸い瞳が、俺の目を離さない。
「奴隷ですよ? コイツらは人ではありません。物です。この国では奴隷制度が認められています。奴隷は家畜と同じです。これを否定されちゃこちらも困りますよゲシュタル様」
奴隷制度が認められている。つまりはこれはこの世界では普通なのだ。俺がいた世界だって今に至っても人権団体が警告していたり、歴史をみればそれはたしかに存在する。いまだにその頃の軋轢は色濃く残る。俺が普通に暮らしていた世の中の常識はこの世界には通じないわけか。
「この人たちは俺が買わなかったらどうなるんだ?」
そんなことを聞いてどうするんだと思っているような顔で奴隷商は答える。
「そりゃ、次のお客様にお持ちしますよ。ゲシュタル様は大切なお客様ですので、こうして一番に売りに来ているんです。上物はすぐに売れますが、こういうガキは売れないので、最終的には処分ですかね。そんなのはあなたが1番知っているでしょう」
「! 処分?!」
「ええ。こちらも在庫を抱える余裕はないんです。餌代もバカになりませんしね。売れないやつはどうやったって売れない」
それを聞いていた奴隷達の瞳は暗く沈む。それはそうだ。自分達は主人の性的な奴隷か、過酷な労働力、鑑賞物。そして、行く末は“死”だということを確信したのだから。
ここの奴隷を買わないのは俺の自己満足なんじゃないか?
奴隷制度がある時点で、俺が買わなくても誰かが買って、この人たちは酷い目に遭わされる。俺一人が買わないことを選択したところで奴隷の市場には上客が一人いなくなった程度だろう。
こんなのをなくすには根底を変えなければだめだ。
制度自体を変える。
どれだけ大変なことかはわからない。ただ、俺はこんな胸糞悪いまま生きていくなんてごめんだ。
「すみません」
「?」
「やはり全員、俺が買います」
「全員!?」
「それと、これから売れ残った奴隷がいたら俺のところに連れてきてください。俺が全部買います!」
奴隷商は素っ頓狂な声を出した。奴隷達も顔を見合わせている。
それよりも顔を真っ青にしているのは執事長のヨルドだった。
「旦那様!それはいささか…ッ」
俺はヨルドの言葉を手で制した。
わかっている。いくら大貴族だって財源が無限にあるわけではないし、売れ残った奴隷は子どもや体の弱い者といったものだろう。奴隷商が言ったように、一人の奴隷をかかけるのはコストがかかる。
だからといって見過ごすわけにはいかない。
「これは決定です」
俺がそういうと、ヨルドはそれ以上何もいってこなかった。
支払いを済ませると、ヨルドに連れられ奴隷商はルンルンとした様子で出ていった。
「(さて、どうしたものか)」
買った奴隷達の前で俺は思案する。
まずは俺の財産を確認しなければならない。無駄は徹底的に削減して、財源を確保。奴隷達の仕事も考えなければ。
そして根底からこの世界の制度を見直す。
やることはいっぱいだ。
──とまぁ、そうは言ったものの、まずは食事だ。
彼らもお腹が空いているだろう。
「働かざるもの食うべからず」とは言うが、それよりも「腹が減っては戦はできぬ」だ。
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