第41話 足利尊氏の胸中

☆ 後醍醐天皇との折り合い処 ☆


 尊氏は後醍醐帝の元で征夷大将軍に成りたかったんだろうし、後醍醐帝も朝廷が権力を握ったまま尊氏を征夷大将軍にして一部権限委譲することで折り合えれたとも思う。でも、尊氏後の時代は体制が保証される試しはない。建武政権はそこまで考えてたんじゃないかな。そもそも直義がいる限り無理な気がする。('20/09/30)


 結局は軍事を掌握した幕府が政治も握っちゃうだろうし。どうすればいいのかな。

 奉公衆のように直轄の強い軍事組織を帝が持って、征夷大将軍を牽制するかな。それが三木一草なんだけど。とすれば結果は見えてるし。('20/09/30)


 やっぱ護良親王の構想のとおり、宮が征夷大将軍になって軍事を掌握し、そしてその宮将軍が軍事力を背景に、次の帝になるしかないか?!

 あれ、尊氏の話だったのに、何処かに行ってしまった……。('20/09/30)



☆ 建武の乱後の両統迭立 ☆


 尊氏の両統迭立は後二条系ではなく、やはり後醍醐系です。後醍醐帝を廃して光明帝を立てると成良親王を東宮に付けました。親王は後醍醐帝の六の宮で、直義が奉じて鎌倉に下った鎌倉将軍宮です。後醍醐帝が吉野に出奔しなければ、尊氏は宮を帝としたはずです。直義はわからんですが(汗)。('20/11/15)


 尊氏の本心は、畏敬の念を持つ後醍醐帝に認められて征夷大将軍に成りたかったんだろうな。だから後醍醐帝の元で将軍になっても、朝廷をないがしろにすることも無かったと思う。少なくとも尊氏の代では……。('20/11/15)


 後醍醐帝を廃して将軍になったとき、強烈な後ろめたさを覚えていたんだろう。直義に引っ張られ過ぎちゃったなと。

 だから、いつか後醍醐系に皇統を戻さなければいけないと思ってたんじゃないかな。苦し紛れのようにも言われる正平の一統ですが、尊氏によってはちょうどよい機会なだけだったんだろうと思う。('20/11/15)


※近年は義詮主導だったという説も出てますが、その背景に尊氏の思想もあってこそでしょう。


 そういう意味じゃ正平の一統は、南朝にとってホントに惜しいことをしたと思う。一統の成功は、ひとえに、そんな尊氏を利用した親房の力だけど、失敗もひとえに親房のせい。策士策に溺れるっていったところか。('20/11/15)


 だから、小説の中では親房に対し厳しめに書いています。親房ファンの方、ごめんなさい。m(≧Д≦)m('20/11/15)


 顕家の死はあれだけいっぱい書き記しているのに、正成の死については「正成とかいう武士が……」ですね。知らないはずないんですけどね。('20/11/15)


 家格を重んじる保守だし、隠岐派との対立もありますしね。('20/11/15)


 ※尊氏の話が、また脱線(汗)

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