第37話 長慶天皇と後亀山天皇

☆ 南帝兄弟は異母兄弟なのか? ☆


 私も異母兄弟かなと!長慶天皇との親密さから、小説では、擁立に北畠顕能が暗躍しているように描きました。('20/01/07)


 小説では、後亀山帝と長慶帝は異母兄弟。阿野実村の娘が、実村亡き後に実為の後ろ楯を受けて後亀山天皇を生んだとしました。阿野家独特の命名法則から実村と実為は兄弟で、実廉の子と考えたからです。('21/02/01)


 その実村の娘を阿野勝子=嘉喜門院と設定しました。新葉和歌集に纏わる嘉喜門院と実為の関係性からです。

 でも、一般的には御製の贈答歌から嘉喜門院と長慶帝が母子と見なされてますよね。しかし、それだと、どうしても自分の中で消化出来なかったんです。('21/02/01)


 小説では触れてませんが、小生は密かに、この御製は後亀山帝のものではないかと思っています。つまり、①既にこの時点で長慶帝は後亀山帝に譲位してた。もしくは、②両天皇が並び立っていた、または、③東宮時代の御亀山帝の歌も御製として扱っていたのでは? なんて空想してます。('21/02/01)


 もし、譲位または両立していたとすれば1373年のとき。楠木正儀が天野行宮へ侵攻したのは、長慶帝へ後亀山帝への譲位を迫るのが目的だったとして、このあたりを小説にしました。……まあ、小説なのでお許しを!('21/02/01)



☆ 京の嵯峨東陵が長慶天皇の御陵とされるが ☆


 昨夜、第47話「南北合一」を再推敲して更新。タイトルからして最終話っぽいですが、最終話ではありません。もう一話だけ続きます。('21/05/22)


 いま、再読みしてちょっとだけ追加。行列に長慶上皇の姿はなかったっと。言わずもがなですけどね。(度々、すいません)('21/05/22)


 長慶天皇の御陵は伝承と想像に頼らないといけないから難しいですね!ちなみに直筆と言われる丹生社宸筆願文(実物)みたことがあります。「太上天皇寛成」の文字がスペース無いとこにぎゅっと書かれてました!(ちょっと違和感が……)('20/01/06)


 小説で、長慶天皇の扱いが一番難しかった。母は結局誰?どういう経緯で即位し、いつ譲位したの?熙成親王との仲は?熙成親王をなぜ世継ぎにしたの?わからないことだらけ……。('20/01/06)


 天川村にも行宮があったと言われています。一時的な避難所だったのか、ある程度の期間、政が行われたのか、よくわからないんですよね。扱いに困ってます。('21/05/19)


 伝承から長慶天皇と繋がりを感じますが、在位中、天川に居られたようには感じません。あるとすれば後亀山帝時代の後半。もしくは長慶天皇が上皇となった後の御座所の一つか?畠山が片岡某に命じて兵を差し向けたというのは、南北合一後、暫く経ってからのようです。('21/05/19)

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