第35話 四条畷の戦いと楠木正行

☆ 四条畷の戦い ☆


 う~寒い!でも、結構この時期に戦が多いですよね、兵農分離以前は! 四条畷もこの頃。師直が出陣したのが今日。('19/12/26)


 あ、旧暦の!でした。なので、実際は二月。もっと寒い。大変ですよね!ぶるぶる。('19/12/26)


 674年前の今日、楠木正行 討死。だから深夜日付が変わって今日になってから桜嵐記を放送したんですね。(正平3年1月5日、現在のグレゴリオ暦換算で1348年2月12日です)('22/02/12)


 いろんな分析があるようですね。私的には生駒連山の東西に軍を分けて配した時点で失敗かと。現場の指揮官より、最初の軍立てに責任があったのかなという気がしています……。('20/06/22)


☆ 桜嵐記の四条畷 ☆


 桜嵐記まだなんですが、ツイート感想は、正儀がヤンチャで勇ましいようですね。その理由が大身槍でわかったような気がします。多分この物語では和田賢秀の役回りも担ってる!だから四条畷にも従軍。相違点は、正儀は帰れと言われて帰るけど、賢秀はひとりになった後、ひとり、師直を狙って討死。('21/05/25)


☆ 楠木正行の小説 ☆


 読んだことないですが、長編小説で有名なのは田中俊資さんの『楠正行』(全五巻)でしょうか。('21/06/29)


 私の長編小説にも正行は登場します。主人公は弟の正儀ですが……。

 田中俊資さんのは四条畷の戦いまでの一年間くらいを詳細に綴った小説です。私のは南北朝時代56年間の顛末を綴った小説です。もし「楠正行」で南北朝時代に興味を持たれたら、「楠木正儀伝」も覗いてやってください、気が向けば。('21/06/30)


 いえいえ、作家と呼べるようなプロではなく、好きで書いて、小説サイトに投稿してます。気が向いたら覗いてやってください!無料です。('21/06/30)


☆ 楠木正行の子孫 ☆


 正綱って誰だ??って! 楠木正行の子です。('20/07/18)


 ※幼名は多聞丸。嫡男とも次男とも伝わります。


 正行に妻子がいたことは、弁内侍の影に隠れ、あまり知られてませんね。('20/04/26)


 そうなんです!子のひとり(池田教正)は摂津池田家を継ぎます!('20/04/26)


 ※幼名は美勝丸。次男とも三男とも伝わります。


 近世大名の備前池田家では、楠木正成の子孫であることに誇りを持っていたとか。ただし、美濃池田氏(備前池田家)が摂津池田氏の子孫かどうか、今一つ、確証がないようですが!('20/04/26)


☆ その他 ☆


 当時は伝聞で書かれたりもするので、まあまあ漢字の間違いってあります。正行の場合は「正幸」「正連」とか。でも、こういった間違いがあるから、後世の人達は「ああ、まさつらって読んでたのか」と知ることになるわけです。('21/07/07)


 私も(四条畷)神社にお参りしました。宮司さんがいろんな話をしてくれて、楽しい一時を過ごしました。('20/06/22)

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