第28話 河内源氏

☆ まずは河内源氏の本家筋とも言える摂津源氏(多田源氏) ☆


 [摂津・大和・河内源氏の祖]源経基だけみると、なぜ武士の本流なのと疑問も生じますが、嫡子の源満仲(多田満仲)が偉かったんでしょうね。「ただのまんじゅう、武士のはじまり」でしたっけね。('19/11/22)


 多田姓は結構、大阪、兵庫に多いですね。[後に河内源氏の]源頼朝が摂津源氏に、俺が本流だから、お前ら普段は多田を名乗っとけ!と言ったそうな。摂津源氏が嫡流なのに。('19/11/22)


 いつの時代も、源氏は骨肉相食む、ですからね! 本人たちも、何で俺たち戦ってるんだ?!と思ってたりして!('19/11/22)



☆ 麒麟が来る!の明智光秀も摂津源氏の末裔 ☆


 あ、確かにそうですね。土岐一族でしたね。('20/04/29)


 三日天下に終わらなければ、三位頼政を越える摂津源氏の快挙になってましたね!もっとも、本人が将軍や関白を望んだかどうかはわかりませんが。('20/04/29)

 とても婆娑羅、土岐頼遠と同門とは思えない。('20/04/29)



☆ 摂津源氏の弟筋、河内源氏 ☆


 昨日は平忠常の乱が終わった日。平将門以来の大規模な反乱でしたが、これを鎮圧したのが[源満仲の三男]源頼信。頼朝、尊氏、家康(?汗)らを輩出した河内源氏の始祖です。('20/04/29)


 源頼信が平直方の娘を娶り、屋敷を譲り受けたのが河内源氏と鎌倉の縁。頼朝が直方の子孫、北条頼政を後ろ楯に、鎌倉で幕府を開くのは必然だったということか?!('19/12/30)


 武田も佐竹も今川も、名だたる戦国武将の多くは頼信の子孫ですね。('20/04/29)


 頼信の長兄は有名な源頼光。この摂津源氏を差し置いて河内源氏が主流になっちゃうんだから、歴史は面白い。('20/04/29)


 [河内源氏が武家の主役になったのは]やっぱり前九年後三年の役ですよね!('20/04/29)


 [その主役が頼信の嫡孫 八幡太郎義家。その弟で武田や佐竹の祖 新羅三郎義光]賀茂次郎義綱も入れて、この三兄弟の確執が「源氏の共喰い」の元祖かと。いろんな意味で武家源氏のキャラが確立した時代ですね。('20/04/29)



☆ 河内源氏、義家から義親へ ☆


 源義親と平正盛、つまり河内源氏の没落と伊勢平氏の台頭。ライバル対決として面白そうな時代かと。やっぱり義親は嵌められたのかな?!('20/01/07)


 父親の義家も曲者。義親の妻を寝とって生ませたのが為義って噂も立つくらいですから。義親外しに関与してたのかも。('20/01/07)


 いや、義家は利用されたと言うべきか。('20/01/07)



☆ 河内源氏の子孫、兄義平と弟頼朝 ☆


 もう少し源義平に生きて活躍して欲しかった。('20/06/20)


[頼朝が墓参りしたという逸話]亡き兄に想いを馳せたんですね。一方、弟の源希義は頼朝に呼応して土佐で挙兵するも討死。この同母弟の希義が生きていればどうなっていたのかなと思います。一門筆頭として頼朝に優遇されたのか、やはり源氏の共喰いに終わるのか。('20/06/20)


 源氏は共喰い!!きっと義平が生きてれば、いずれ弟の頼朝と雌雄を決することになるような気がします。義平は長男だけど妾腹ですから……。('20/06/20)



☆ 河内源氏の本拠 ☆


 河内源氏と言えば頼朝、尊氏、家康(自称)を排出した武家の棟梁の血筋。源頼信、頼義、義家の家祖三代が河内石川郡壷井に居を構えたことに所以。嫡流は外に出て、この地を相続したのは義家の五男義時。鎌倉時代まで石川氏として勢力を維持。この石川氏を駆逐して勢力を拡大したのが楠木氏とも。('22/03/01)


 [河内源氏の氏神]壺井八幡宮!まだ行って無いんですよね。多田神社、六孫王神社、石清水八幡と、源氏の氏神ツアーでもしようかな。('22/03/01)

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