第20話 荒ぶる赤松氏

☆ 国守に成れなかった円心 ☆


 赤松円心は大河太平記などで初っぱなから冷遇されたイメージあるけど、[最初は]確かに大国播磨の守護に任じられてた。でも国守には任じられなかった。そこが楠木正成や名和長年と違うところ。('20/12/15)


 国守なんて名ばかりかと思うけど、後醍醐帝は国守の権限強化を目指してるので、やっぱり差をつけられてる。('20/12/15)


 円心「なぜ国守に任じられないのじゃ」→「なに、義貞が播磨介になったじゃと(怒)」→「何じゃと、義貞が播磨守じゃと(怒怒)」→「くそ、守護を召し上げて地頭に落とすだと(怒怒怒)」……そりゃあ、朝廷を見限りますわな。義貞憎しもわかります。白旗城の伏線ですわな。('20/12/15)



☆ 円心に所縁の寺 ☆


 室津の見性寺!足利尊氏が北畠顕家らに京を追い落とされ、九州に逃れるに際して、赤松円心から「持明院の皇統を立てるように」と進言されて作戦を練ったところ、との謂れのある寺です。 ('21/11/20)


 [書写山円教寺!]南北朝でも所縁ある寺。後醍醐天皇や赤松円心。それに、足利尊氏が舎弟直義に敗れて逃げ込んだ寺でもあります。('21/06/23)



☆ 嘉吉の乱 ☆


 山名宗全は応仁の乱で、将軍義政の対抗馬に足利義視を、帝の対抗馬に西陣南帝を立てますが、これを10年以上前にやろうとしたのが赤松満祐。嘉吉の乱で将軍義教[の後任]の対抗馬に直冬の嫡孫義尊を、帝の対抗馬に赤松宮(京からさらってきた小倉宮の幼い皇子)を擁立しようとして失敗してます。('21/11/21)


 それにしても赤松家は結構、無茶する。建武の乱で持明院統を立てようと画策するし、嘉吉の乱では将軍も討つし、幼い宮をさらってくるし、長禄の変では後南朝の自天王を弑虐するし……まあ、当時は自分たちが生きるので精一杯だったんでしょうけどね。('21/11/21)


 [嘉吉の乱で赤松満祐の嫡男教康は伊勢の北畠家を頼ったが]頼られた北畠も迷惑だったんでしょうね。北畠満雅が反乱・討死した後なので(幕府に恭順の意を示さないといけない時なので)。('21/11/21)


 [フォロワーさんが指摘する室町幕府の無力さに]そこが室町幕府たる所以なんでしょうかね。成り立ちからして尊氏を盟主に立てた連合軍、武士の代表者って感じで、絶対的な主従関係は感じられないですもんね。('21/11/21)


 [フォロワーさんが指摘する室町幕府の不安定さに]そうですよね。家康と異なり、朝廷が二つに別れていた稀有な時代背景だったことが要因としてあるんでしょうけど、その時代背景を作ったのも足利ですしね。('21/11/21)



☆ 悪党赤松? ☆


 悪党赤松=四職赤松>六職今川・土岐! 今川って超名門のイメージあるけど、悪党以下かよ!!('20/10/07)

※悪党呼ばわりしてすいません。あくまで風説的イメージで(汗)。

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