掌編小説・『カタツムリとフラクタル』
夢美瑠瑠
掌編小説・『カタツムリとフラクタル』
掌編小説・『かたつむりとフラクタル』
この「カギュウ」という世界の地表は、ちょうど寒天やゼラチンのようにヌメヌメしていて、弾力に富んでいる。表面には小さい斑点がびっしりと描かれている。地表は絶えず蠢いていて、人間の粘膜のように収縮と伸長を繰り返している。地表は見渡した限り果てしなく広がっていて、広大無辺に思えるが、この世界の外に出たことのない私たちには「世界」と「宇宙」はつまり同義で、宇宙の外にはもっと大きな「大宇宙」があるのかとか、そういうことは一切うかがい知れない。
この世界を特徴づけているのは4つの「突起」である。それぞれが地表から勢いよく飛び出していて、しかもそのうちのより長い2つの先には半透明の球体がくっついている。われわれの尺からすると途方もなく巨大で、光り輝いている一対の尖塔、という感じなのだが、正体は不明である。しかもこれらは生き物のようにグニャグニャと自在に伸び縮みする。もしかしたら本当に生きていて、われわれは寄生虫のようにその生き物の表面に集(たか)っているだけなのかもしれない。
この長大な突起とちょうど平行の位置に、規模にするとかなり小さい2つの突起が存在している。これは「カク」と呼ばれている。我々の国は「触」といって、その右のほうの突端に存在している。「右」というのは、長大な突起を基準にして、その「前」に小さい一対があると仮定した位置関係である。左のほうの突起の先端にあるのが「蛮」という国である。この二つの国は仲が悪く、常に戦争状態である。その戦争状態というのはこの世界の歴史が始まって以来ずうっと続いていて、終わることがない感じである。なんで争っているのかとかは我々自身にもよくわからなくなっている。呪われた運命、とでもいうのか、互いの国を憎んで滅ぼさずにはおくものかとお互い同士を「不俱戴天の仇」と敵視すること、むしろそれだけが我々の国の存在理由ではないのか?むしろそんな感じすらあるのだ。「触」族は肌が白く、「蛮」族は褐色の民族である。逞しい剽悍な騎馬民族の「蛮」は絶えず我々の国に攻め込もうとするので、弓術を得意とする「触」族たちは騎馬武者に弓を射かけて防戦する。そうして「トムとジェリー」というどこかの世界の漫画のように様々な経緯をたどっても結局争いは拮抗して痛み分けとなる。そうして決して終わらないのである。
「触」国にも様々な人間がいて、兵士もいれば学者もいる。兵士はひたすら戦うだけで余計な思索とかはする余裕がないが、学者たちは色々に文献を紐解いたりしてこの世界の成り立ちだとか摂理だとかそういう難しいことを研究している。そうして彼らの言うには、この国も唯一の敵国も、はるか高みに存在する神々の国の住人の観念上の存在でしかない、というのである。にわかにはよくわからないが、我々の国が始まって以来の天才学者の最近の研究の知見によると、その神々の国には「蝸牛角上の争い(かぎゅうかくじょうのあらそい)」という「ことわざ」があって、つまり彼らにとってはちっぽけな虫けらである「かぎゅう」というのがこの世界のことで、その「角」、触角の右と左に我々の国があり、絶えず争ってばかりいる。つまりこれは非常につまらないことの例えだ、というのである。我々はその「ことわざ」の中にだけ存在していて、つまりは馬鹿の見本のようにあざ笑われているに等しい、というのだ。なんだか拍子抜けというか生きているのがばかばかしいような話だと我々は立腹したのだが、非常な天才の言うことだけあって、この話には続きがある。そうやって我々を軽蔑している神々たちの国にもやっぱり争いごとはあって、年中自分たち同士で恐ろしい兵器を使って血みどろの争いをしているらしい。で、相対的に全体を俯瞰した場合には、神々の国にとってももっと巨大な神々に当たるより高次の存在があって、その神々はやっぱり我々の神々を嗤い者にしているに違いない…天才だけあって視座というか、が非常に雄大なのである。結局は五十歩百歩という話か、と一応納得はしたのだが、我々俗人はどうも彼のように達観できないのが現実である。
<了>
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