第19話

 董胡が后宮に入って三日が経ったが、驚くほど暇だった。

 医生として勉学に励んでいた頃は寝る間もないほど忙しかったし、黒水晶の宮にいる間も貴族の姫君の作法やら輿こしれの手順など覚えることが山のようにあって忙しかった。

 后宮に入って最初の一日は見るものすべてが珍しく退屈しなかったが、三日目にして飽きた。なにせ一の后という身分の姫君の行動範囲というのはあきれるほど狭いのだ。

 寝所で着替えたり化粧をしたりする以外のほとんどの時間をの中で過ごし、他には湯殿やかわやにいく時ぐらいしか部屋の外に出ることはできない。部屋を出る時は侍女二人が扇で顔を隠し、中庭の景色すらまともに見ていない。幼い頃からこういう暮らしに慣れている姫君なら平気だろうが、董胡には耐えられなかった。しかも。

「王宮などと言うからどんなそうが出るかと思ったけど、あまり美味おいしくないね」

 董胡は御簾の中で目の前に並ぶ料理を見てため息をついた。

 素材は確かに豪華だ。庶民には手が出ないような珍しい魚介や猪肉などもある。

 だが味付けがひどい。どこぞの薬膳博士だかが、濃い味付けは寿命を縮めるなどと言ったらしく、すべてが味気ない。素材の味を大事にするにも程がある。料理というものは、食べるものが美味しいと幸せを感じてこそ血肉となって体を整えるのだと董胡は思っている。

 この味気ない料理を日々食べて長生きすることが誰の幸せになるというのか。

「鼓濤様! しつけながらその言葉遣いを直して下さいませ。ここは王宮でございますよ」

「従者に話すにしても、身分のある姫君はそのような話し方などしませんわ……」

「誰かが聞いていたらどうなさいますか! 素性を疑われて探られでもしたら……」

「い、いえ。鼓濤様は間違いなく玄武の一の姫様でございましょうけど……」

 そう言っている本人たちが一番疑っている。

 二人の侍女は御簾の中に入り込んで毒見と称してごしようばんにあずかっていた。

 黒水晶の宮で少し打ち解けたかに見えた侍女たちだったが、華蘭から董胡が玄武公の本当の娘ではないかもしれないと聞いてから、いよいよ主従関係が崩壊しつつある。

 母だという濤麗という女性の身分や浮気相手の身分によっては、董胡より侍女二人の方が血筋が正しいかもしれないのだ。敬えという方が無理だろう。

 その上、王宮の后宮では鼓濤付きの侍女として権威をふるえるものと思っていたのに、この宮には皇太后も暮らしていた。

 皇太后とは先帝の皇后のことだ。

 本来は現皇帝の母がなるべきものであるが、ずいぶん前に亡くなったらしい。

 そういう場合は空席となることも多いのだが、あまりに若くして亡くなったため、弟宮の母である玄武からの一の后が皇后となり、現皇帝の即位と共に皇太后となった。

 先帝の子を持つ后たちは、みかどの死後も王宮内に残ることが多い。その扱いは后の身分によって様々だが、たいていは二の后宮か、三の后宮に入ることとなる。

 四公の后宮は、それぞれ敷地内に少しずつ規模を小さくして三つの后宮が建っている。

 この玄武の后宮には二の后宮に皇太后が住んでいるのだ。

 二人の話によると、その侍女たちに軽んじられ、ずいぶん意地悪をされているらしい。

 董胡はほとんど部屋から出ないため分からないが、侍女同士や女嬬同士は顔を合わせる場面も多く、思っていたほど居心地のいい場所ではなかったようだ。

 そしてそのように軽んじられるのは、すべて董胡の素性が怪しいせいだと不満に思っているのが言葉の端々に感じられた。

「でも確かにお味は黒水晶の宮の方が美味しかったですわね」

「私は美味しいですわ。食べないなら私が頂きますわ」

 いずれ逃げ出そうと思っている董胡にとっては、どう思われようと別に問題ではないが、二人をどんな形であれ味方につけておいた方が得策には違いない。

 そして董胡が持つ武器といえばこれしかない。

「ねえ、この后宮にはぜんしよもあるよね? そこで蒸しまんじゆうを作りたいのだけど」

 董胡は二人に言ってみた。だが……。

「まあ! そんなこと無理に決まっていますわ! やめてくださいませ!」

「帝の后が御膳所に立つだなんて……聞いたことがありませんわ」

 二人はますますけいべつするように呆れた顔で猛反対した。

かつなことをして鼓濤様の素性がばれたら。あ、いえ、おやかた様のお子じゃないと疑っているわけではございませんけど。ええ、華蘭様の意地悪なざれごとに決まってますけど」

 茶民はもうほぼ確定的だと思っているようだ。

「二人が人払いをしていれば誰にも見つからないよ。大丈夫だって」

 幸いというか、董胡の付き人として王宮に入ることを玄武の姫君たちは強固に断ったため、この一の后宮は極端に人が少ないらしい。その証拠に、いまだに一の后宮を取り仕切る侍女頭すら決まっていないのだ。

 宮のあるじである董胡には、最大百人まで従者を召し出すことのできる木札が渡されたが、今のところ余りに余って山積みになっている。

「あの……鼓濤様の作る蒸し饅頭は、そんなに美味しいのでございますか?」

 食いしん坊の壇々は、少し心が動いているらしい。

「もちろんだよ。壇々が今まで食べた中で一番美味しい饅頭を作ってあげるよ」

 まだ十三歳の壇々はごくりとつばみ込んだ。

「もう、壇々ったら! 鼓濤様の口車に乗せられないでちょうだい!」

「茶民。私の蒸し饅頭はきっと高値で売れるよ。そのうち宮に行列ができるよ」

「…………」

 小銭を稼ぐのが生きの茶民も少し心が動いたようだ。

「し、仕方がないですわね。絶対に見つからないようにしてくださいませね! それなら……協力してもいいですわ」


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