あいつは綺麗に死んだと隊長は言った

晴見 紘衣

第1話 奇妙な森で

 あいつは綺麗に死んだと隊長は言った。

 

 骨も残さず綺麗に死んだのだと。それのどこが「綺麗な死に方」なのか、納得いかない。

 

 これは無謀な作戦だった。目標に接触する前に怪物どもに襲われ全滅する。可能性の話ではなく、もはや決定的だと誰もがわかっていたはずだ。

 

 それでも隊長は進軍を命じた。それが軍の方針であり、指令を受けた以上は従う義務がある。だから隊長は俺たちに命じた。イングルドの森を通り抜け、ジャラッドの砦を背後から奇襲せよと。

 

 イングルドの森は魔の森だ。地元の人間だって近寄らない。

 

 村人が眉根を寄せてそう話すのを隊長も一緒に聞いた。だからわかったはずだろう? この森を進めば全滅すると。

 

「イングルド」とは地元の言葉で「怪物」という意味らしい。怪物の森。村人の言葉は真実だった。


 最初に見たのはリスに似た小さな動物だ。木と木のあいだに見え隠れする薄茶色の体。ふさふさした尻尾と愛くるしい顔。一匹、二匹、三匹、までは数えていた。

 

「ついてきてるのかな」


 隣を歩くガシルが小声できいてきた。


 この部隊に俺が配属されたのは二か月前で、すこし遅れてガシルも転属してきた。


 再会だった。


 訓練校を卒業してから二年、俺も戦場で揉まれたが、ガシルもだいぶしごかれてきたんだろう。頬がこけて、眼光も鋭くなっていた。似てるけど別人かなと、口をきくまで疑っていたくらいだ。


 その友人が昔みたいに微笑んだ。鳶色の瞳を細めて緩んだ雰囲気を纏うのは、再会してからはめったにないことだった。訓練校時代に森での演習を一緒にこなしたから、それを思い出していたのかもしれない。

 

「怪物がいるって聞いたけど、あんな可愛い動物が無事でいるなら平気かもね。僕らのほうが強いでしょ」


 ガシルが誇示するように剣の柄頭を握る。


 いまの王様が侵略戦争を始めたのが十二年前。すでに二つの国を落とし、この国も落とせば紛うかたなき大国となる見通しだ。


 俺たち兵士は王の剣となって戦場を駆ける。名誉を胸に抱き、勇猛を身に纏い、国の礎となる。


 ……ってなことを訓練校時代にうんざりするほど刷り込まれたが、俺が兵士になったのはそんな誇りからじゃない。強制されたからだ。


 従わないと家族が牢屋にぶち込まれる。


 すでに戦場へ行き、片足になって帰ってきた親父と、手仕事で家計を支えるおふくろと、まだ小さいくせに親を手伝う弟を守るために、十七歳で軍に入った。ガシルの事情も似たり寄ったりだ。訓練をともに耐え、励ましあい、成績に関係なく三か月で卒業となり、それぞれ別の前線に送られた。

 

 戦場を生き抜いて帰る。目標はそれだけ。勝ち負けじゃない。

 

 遠い国の富を奪うために、いまある暮らしが追い込まれてるんじゃ納得いかねえ。戦争なんざとっととやめちまえ。


 口には出さないがこれが本音だし、きっとガシルだってそう思ってたはずだ。はっきりとは言わなくても、言葉の端々や溜息を噛み殺すタイミングなんかで伝わってくるものなんだ。


 リスの姿をした悪魔たちが本性を現したのは、行軍の足を止めて休憩しているときだった。


 水はいつ補給できるかわからない。飲み干してしまわないように、ゴクゴク飲みたいのをこらえて水筒の蓋を閉めた。そのときだった。


 十匹、いや、二十匹はいただろうか。樹間から飛び出してきたソレは、牙を剥きながら頭部を肥大化させた。


 頭だけだ、でかくなったのは。


 もはやリスの顔なんかじゃない。鳥みたいだと思った。猛禽類――あるいはコウモリ。そんな印象だ。ただし、二本の鋭い牙は肉食獣の証。


 鳥だと思ったのは羽のせいだ。いったいどこにしまっていたのか、背中から二枚の羽が生えていた。伸びた骨格に茶色い皮を張り付けたような薄い羽だったが、肥大化した頭部よりも大きかった。


 ばかでかい頭と羽。胴体は小さいリスのまま。それなのにやつらは人を食った。腕の肉を食い千切られたやつもいたし、足を骨ごと持っていかれたやつもいる。

 

「頭が大きくなるのは、あの頭の中に胃袋があって、それが大きくなったのかもね」


 と、あとになってガシルは皮肉っぽく笑っていた。


 こいつらは敵だ、と思うと同時に剣を抜いた。

 

 体はうまく動いてくれた。ちっとも可愛くない顔を切りつけ、羽を突き刺し、どうにか怪物の群れを追い払った。倒してはいない。やつらは木々の隙間を飛んで逃げていった。

 

 死者はいなかった。ただし、脱落する仲間が四人いた。負傷が大きく歩行が困難になってしまえば、置いていくしかない。とどめを刺してくれと望んだやつには、隊長がそれを実行した。

 

「俺なら這ってでも可能性にかける」


 小声で漏らした感想に、ガシルが短く応じてくれた。

 

「力尽きるまで、ね」

 

 目は合わせなかったから、ガシルがどんな表情をしていたのかはわからない。

 

 次に見た怪物は最初から大きかった。

 竜だ、と誰かが口走っていたが、竜とはあんなにも腐臭を撒き散らすものなのか?


 想像上の生き物に正解なんてないのだろうが、竜などという神秘的なものには思えなかった。泥と木と虫の死骸を混ぜて竜のような形にした殺戮人形ですと言われたほうが頷ける。

 

 この戦闘では死者が出た。怪我人も多かったが、俺もガシルも軽傷で済んだ。

 

 イングルドの森は広大だ。迷わないために目的地までの最短距離を頭に叩き込んである。


 まっすぐ東を目指せば標的の砦に着く。そうなるように入り口を決めて森に入った。夜は休むと計算しても、九日もあれば到着する距離らしい。


 ところが、だ。

 

 東にある太陽が空に張り付いたまま動かない。もうとっくに中天を過ぎているはずなのに、まったく太陽が動かない。おかしい、おかしいと何度も確認していると、ふいに太陽が消えた。

 

 雲に隠れたのではない。日が沈んだのでもない。文字通り、消えた。最初からなかったかのように消失して、一気に闇が訪れた。

 

 この森の夜はこうやって唐突に始まるんだ。星が見えているのが救いと言えば救いで、なにも見えない真っ暗闇だったら恐慌をきたすやつもいただろう。

 

 森で最初の夜を迎えたとき、すぐに深呼吸を繰り返した。落ち着け、慌てるな、周囲を探れ、と自分に言い聞かせていると、ガシルの緊張した声が耳を打った。

 

「音が消えた?」


 そう、音がない。

 森には音が溢れているのが普通だ。草を踏む音、葉擦れの音、鳥や虫の声、獣が移動する気配。それらすべてが消えていた。

 

「おかしいな。鎧の音もしない」

 

 言われて気づいた。腕を叩いたり水筒を小突いたりしてみたが、無音。耳が詰まっているのかとも思ったが、人の声は聞こえる。声も咳払いも耳に届く。自分の心音もよく聞こえた。

 

「このまま進む」

 

 隊長の声が遠かった。俺の目の前に隊長はいたのに、だ。はるか遠くの前方から、こだまのような小さい声で聞こえてきた。

 

「なんか変ですよ、この森」


 仲間が不安を訴えはじめた。

 

「声がありえない方向から聞こえてきます」

 

「昼間の獣だって変です。あんなの初めて見ました。鳥の怪物に竜みたいな……追い払っただけです。きっとまた襲ってきます」


「急に夜になったのも変です。ほんとに夜なんでしょうか。太陽も変でした。本当に東に向かっているんですか?」

 

「人数が減ってます。まだ一日目なのに。この調子だと、目標に到着しても戦闘は難しいのではないでしょうか」

 

「撤退はない」


 隊長は断言した。今度はちゃんと隊長の体から声が聞こえた。

 

「引き返したほうがいいと思います」


 ガシルの進言は、なんと頭上から聞こえた。俺の隣に立つガシルが弾かれたように空を見上げるのがわかった。


 それ以上の意見を飲みこんでしまった友人のかわりに、俺も意見を述べた。

 

「自分もそう思います。この森は危険です。全滅する前に引き返して、別の道を探すことを提案します」

 

 言いながら寒けがした。自分の声がどうして足元から聞こえてくるんだ? 誰が喋っているんだ? 俺のはずだ。でも俺じゃないのか? 俺の影が発言しているとでも?

 

 帰ろう。引き返そう。そう決断してくれ。この森はやばい。


「撤退はない。夜明けまで進む。行くぞ」

 

 くそったれ。

 

 悪態を丸呑みにして腹に押しこみ、隊列を組み直した。

 

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