第四膳 餃子と共同作業(3)

「人血以外のものを口にすると、胃から毒素が出て命を落とすんだ。でも定期的に輸血を受けているから、吸血鬼っていう名前でも吸血はしたことないよ。それに頸部吸血でしか感染しないから、紅子さんに感染うつすこともないし」


 聞かれてもいないことをべらべらと喋る。その意図は、おそらく「恐怖」だ。

 こわい。もし紅子の目が世間の目と同じだったら。わたしの作ったものを、わたしの存在を、「怖い」「気持ち悪い」と思ったら。


「あ……おそれいります」


 わたしのうわずった喋りをやんわりと制する。


「では、烈様は、いわゆる『ドラキュラ病』に罹患りかんされている、ということなのですね」


 かなり古風な俗称を出されて一瞬戸惑う。今時そんな呼び方をする人がいるのか、と思ったが、考え直す。

 違う。紅子はおそらく、「今時の人」ではないのだ。


 わたしが肯定すると、彼女はしばらく無言で俯いていた。

 つむじを見せたまま動かない。次に彼女から投げつけられるであろう言葉を待つのに耐えられなくなり、再び空虚な言葉を垂れ流そうと口を開いた。


 その時、紅子のお下げ髪が動いた。 

 ゆっくりと、深々と、頭を下げる。


「ご自身が、お食事を召し上がらないというのに」


 小さな手がエプロンを強く握っている。


「いつも、私のために、こんなにお料理を作ってくださっていたなんて」


 更に深く頭を下げる。


「なんとお礼を申し上げたらよいのか……」


 お下げ髪が微かに揺れる。


「ありがとう存じます。本当に、ありがとう存じます。こんなにもお優しいかたと出逢えたなんて、本当に、本当に、なんと」


 物凄い勢いで顔を上げる。そして黒い瞳が潤んだかと思うと、みるみるうちに大粒の涙が溢れ出した。

 鼻の頭をを赤くして、ぽろぽろと涙を零す。


「ああ」


 両手で顔を覆い、嗚咽し、しゃがみ込む。

 その姿を見て、いつかの母を思い出し、胸が鈍く痛む。

 彼女も母と同じ目でわたしを見るのだろうか。


 紅子が顔を上げた。


「は、はしたなくて、も、申し訳ないことでございます。でも、だって、だって、烈様は、あんなに美味しいご飯を作れるというのに」


 色々なものでぐちゃぐちゃになった顔を悲しげに歪ませる。


「召し上がることが出来ないなんて、そんな、あんまりです……」


 「美味しいご飯が食べられなくて可哀そう」と思い、泣いてくれている、のだろうか。

 普通、吸血鬼という存在を目の前にした人が真っ先に抱く思いは、もっと別のことなのだが。


「それはね、もう、わたしの中で受け入れているんだ。だから気にしないで」


 それは本当だ。わたしが料理人になったのは、自分の作ったものを人に「美味しい」と言って食べて欲しかったからだ。家業のためでも、自分が美味しいものを食べるためでもない。


「それより紅子さんは、わたしのことが怖くないの? 吸血鬼だよ」


 彼女の目線までかがみ込む。すると真っ赤になった目で、きょとん、とわたしの目を見た。 


「怖い? え、怖いわけないではないですか」


 何を言っているのだお前は、という風に首をかしげる。


「こんなにお優しくて、ご飯が美味しいのですから、怖いはずないです」


 怖い怖くないの基準になぜご飯の美味しさが関わるのかは分からない。だがその言葉を聞いて、わたしの心にずっとこびりついていたきたない澱が、柔らかくほぐれ、すうっと浄化されていくのを感じた。


 やっぱり、ちゃんと話さないとだめだ。

 わたしは今まで、紅子の何を見ていたのだろう。




 餃子の皮を作りながら、わたしが吸血鬼になったいきさつを話した。

 二股をかけていた上にわたしが吸血鬼になった途端に他の男と逃げた美奈に対して、紅子は頬を膨らませてぷりぷり怒っていた。


「なんとふしだらな。そして身を挺して守って下さった殿方に対して、なんたる仕打ち。女たるもの、みさおを立てた殿方に誠心誠意尽くさねばなりませんのにっ」


 丸めた皮の生地を、ぺしんっ、と叩きつける。


 なんだか昭和的だな、と思いかけ、そうだ紅子は昭和だった、と一人納得する。本当に昭和がこういう感じだったのかは知らないが。


 本当は、さっさと訊いてしまいたい。「紅子さんは、過去から来たの?」と。

 しかしどうしても勇気が出ない。だってあまりにもファンタジーだし、もし違ったら失礼なことこの上ない。


「まあまあ。ほら、皮に罪はないからさ。じゃあ、餡を包んでいこうか」


 なんとかなだめると、彼女は申し訳なさそうに叩きつけた皮を撫でた。




 しんなりと柔らかな皮の上に、ひき肉やエビ、野菜がとろりと一体になった餡を乗せる。


「餃子の包み方は色々あるんだけど、どれがいいかな」


 初心者が作りやすいのは、ただ半分に折って縁を止めたものだ。でも折角なので両端をくるんと巻いてみる。


「わ、可愛い。お帽子みたいです」

「そう?他にもこうやってひだを作るのもあるよ」

「それも素敵。このエプロンみたいです」


 エプロンを眺め、うっとりして手が止まる。その間に「当たり」を取り出した。


「今日、餃子にしたのは中国の風習を真似してなんだ。今日は旧暦の大晦日なんだけど、大晦日のうちに餃子を作って、新年になってそれを食べるんだって。それでね、餃子のいくつかの中に、こういうのを入れるんだ」


 用意したのは硬貨、ピーナッツ、飴。


「硬貨の入った餃子に当たった人は、お金に困らない。ピーナッツなら健康で長生き。飴なら甘く良い生活、って縁起を担ぐ」


 このあたりは紅子が来る前に念のためネットで確認したので、大丈夫、だと思う。多分。


「本当なら大人数で食べている時、『当たったー』ってやるものなんだろうけど、いいよね。絶対に紅子さんが当たるから、紅子さんは絶対幸せになるよ」


 紅子は小皿に乗せた「当たり」を手に、わたしを見つめた。


「私が、幸せに?」

「そう。紅子さんは、絶対に幸せになる」

「絶対……」


 わたしの言葉に思うところがあるのだろう、とは思う。それでも彼女は淡く微笑み、それらを餃子の中に包み込んだ。

 ピーナッツ以外は明らかに「ここに入っていますよ」と分かる形になっている。まあ、いいだろう。




 餃子を大鍋で茹でる。ぐらぐらと沸く湯の中に、餃子が我先にと飛び込んでいく。

 底の方でじっとしていたかと思うと、ゆらりゆらりと踊りだし、一つまた一つと浮かび上がる。

 皿に移すと、餃子たちは湯上りの艶やかな肌から湯気を立てて、心地よさそうにしている。


 味はしっかりめにつけたつもりだが、たれも作っておいた。醤油や酢、ラー油に、みじん切りの長ネギを混ぜただけなのだが、主張の強い香りが混然一体となって、どうだ旨そうだろうと煽ってくる。


「ここ、これは……っ!」


 香りと初めて見るビジュアルに圧倒されたのか、漫画のようなリアクションを取っている。わたしはドヤ顔を押し殺し、余裕の笑みを向けた。


「召し上がれ、冷めないうちに」


 紅子の口の中に、餃子が一つ、吸い込まれていく。

 とぅるっ、という音が聞こえる。

 熱かったのか、しばらくハホハホと湯気を吐く。

 飲み込み、動きが止まる。

 目を見開く。


「お、おいし……っ」


 箸を置き、勢いよくわたしを見る。


「ぴゅーって、ぴゅーって中から美味しい味が出てくるのです! 白菜のとろとろが豚肉のしっかりと腕を組んで、陰に潜んだ海老がぷるって回転して、ニラや生姜が押しのけるように主張するところを、もちもちの皮が優しくなだめて、それが全部つるっと喉を滑りぬけていって、お腹の中に落ちる時までおいしゅうございます!」


 相変わらず、ちょっと何言っているか分からない食レポだが、今日は一段と饒舌だ。


「このたれもおいしゅうございます! 一つ一つの味が強いのに、餃子をしっかり支えているのです。それで、えっと、えっと」


 お腹が空いているだろうに、一生懸命食レポをする。冷めちゃうからその辺でいいよ、と言いかけ、止める。

 変な気遣いをしなくてよかった。今日、食レポが長いのは、おそらくわたしのためだ。

 食べられないわたしのためだ。


 


 そうこうするうちに、あっという間に半分以上の餃子が紅子の小さなお腹の中に吸い込まれていった。


「あっ」


 餃子の一つを取り声を上げる。それは、明らかに硬貨入りのものだ。

 紅子はそれを箸で丁寧に半分に切った。案の定、中から硬貨が出てくる。


「おっ、紅子さん、これでお金に困ら」


 そう言いかけたわたしの唇に、紅子は半分にした餃子をそっと触れさせた。

 弾力のあるあたたかな皮。餃子の香り。久しぶりに触れた、食べ物の感触。


「これで、烈様はお金に困りません」


 わたしの唇が触れた餃子を、ぱくりと食べて微笑む。


「私も、お金に困りません」


 いたずらっぽく笑い、もう一つの餃子を半分に切る。

 ピーナッツが顔を出す。

 その餃子も、わたしの唇に触れさせる。


「烈様も、私も、健康長寿」


 飴の入った餃子も触れさせる。


「烈様も、私も、甘く良い生活」


 ぱくりと食べ、満面の笑みを浮かべる。


「これで二人とも、幸せです」


 満足そうに頷き、お腹をさする。


「わたし、も?」

「そうです。烈様も、です」

「幸せ……」


 考えたこともなかった。

 自分が幸せになる未来を。行く先に光がある未来を。

 紅子はわたしに光を灯してくれた。けれども未来にまで光を求めることはできないと思っていた。


 紅子を見つめる。

 彼女だって、きっと苦労の多い生活をしているのだろう。それなのにわたしにも幸せを分けてくれた。

 わたしは、紅子の幸せを願うように、わたしの幸せを願ってもいいのだろうか。


 目の前に白く淡い光が差し込む。二度と見ることができなくなった、初春の日差しのような。

 彼女に微笑みかける。


 その時。気のせいかもしれないが。

 紅子の体が一瞬、透けたように見えた。

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