第四膳 餃子と共同作業(1)

 病院へ行くためアパートを出ると、ラーメン屋のガラス扉に張られた派手なポスターに目が行った。

 赤地に金色で大きく「春節」と書かれている。春節(旧正月)の時期に合わせて営業時間の変更や特別メニューの提供があるらしい。


 そうか。今日は旧暦の大晦日にあたるのか。

 それならば、今夜のメニューは餃子で決まりだ。


 今日は金曜日。紅子が来る日だ。彼女はいつも、このラーメン屋が閉まる頃にやって来る。それならば、「年をまたいで餃子を作り食べる」という中国の風習に倣って「年越し餃子」を作ろう。


 そうだ、せっかくの年越し餃子なんだから「当たりつき」にしよう。

 一部の餃子の中に硬貨やピーナッツなどを入れ、それに当たった人は来年良いことがある、という、これも中国の風習だ。

 本来は複数人で楽しむためのものなのだろうが、構うものか。

 紅子が一人で食べれば、彼女が絶対に「当たり」を引く。だから紅子は絶対幸せになれる。


 楽しみだ。


 心がポスターの「春節」の文字のように威勢よく踊りだす。

 いつもなら、病院へ行くのは気が重い。血液を体の中に取り込むごとに活力が漲り、そのことで「吸血鬼である」という現実を突きつけられるからだ。

 だが今考えているのは、餃子のレシピと紅子の笑顔だけだ。


 顔を上げ、病院へ向かう。

 いつの間にか、紅子の存在が、わたしの心にあたたかい光を灯してくれていた。

 



 とはいうものの。

 餃子の皮になる強力粉をこねて冷蔵庫で寝かせ、餡になる具材を取り出した頃になって、急に不安になる。


 本当に、水餃子でよかったのか。

 シチューの時はなんとかなったが、自分が好きだからと言って、相手が好きとは限らない。


 思い出した。高校時代、「焼餃子以外は餃子じゃねえ」と言っていた友人がいた。

 彼によれば「餃子は焦げがあってこそ」なのだそうだ。当然、水餃子は頑なに食わず嫌いをしていた。


 『自分が好きだからと言って、相手が好きとは限らない』


 そうだ。どうしてこのことを気に留めなかったのだろう。シチューの時よりさらに前、美奈とのことで、嫌というほど思い知ったというのに。


 わたしはいつも、美奈に自分の「好き」ばかりを押しつけていた。


 自分がおいしいと思ったものを食べさせたい。

 自分が楽しいと思ったものを一緒に楽しみたい。

 そうして、小さなアパートで手料理を囲む、つましくも穏やかな日々を送りたい。


 そんなことばかり考えて、美奈が「本当に好きなもの」「本当に求めるもの」を見ていなかった。

 そこには確かに愛情はあったのだが、相手に対する思いやりが欠けていたのではないか。


 たぶんそうだったんだと思う。

 だから美奈は他の男を選んだのだ。

 本当に今さらなのだけれども。


 もう、同じようなことはしたくない。

 餃子のことから美奈のことを思い出し、気づけて良かったと思えた。だから今日は……。




 いつもと同じ頃に紅子がやって来た。ただ、今日のラーメン屋はまだ煌々と明かりが灯っている。


 寒さで赤くなった手を綺麗に揃え、「お礼」を渡してくれる。今日は、いつもの生地で作られた小物入れだった。


「今日は餃子を作ろうと思ってね。ちょっと手伝いをお願いしたいんだ。どうかな? 手伝ってくれるかな?」


 そう言ってエプロンを手渡すと、キョトンと自分のことを指さした。二人しかいないのに。


「私、も、作らせていただけるのですか?」

「うん。今日は餃子の皮を包むのを手伝ってほしいんだ。それにね、餃子の中に……」

「ぎょ?」

「え? ぎょ?」

「ぎょう、ざ?」


 どうやら餃子を知らないらしい。そんな人もいるんだと思いながら説明すると、紅子は難しい顔をして斜め上を眺めながら腕を組んだ。


「ええ、と、『チャオツ』……だったかしら……に似ていますね。話に聞いただけで食べたことはないのですけれど……」


 「ぎょうざ」という戦後広がった読み方を知らないなんて、やはり紅子は過去から、と思いかけ、頭を振る。

 いやいや飛躍しすぎだ。web小説的ファンタジー脳でものを考えるのはやめよう。


「そうなんだ。じゃあ、二人で話しながら初めての『ぎょうざ』を作り上げていこうよ」


 そうだ。二人でたくさん話そう。何が好きとか嫌いとか。

 どうしたいとか、したくないとか、なんでもいい。


 紅子がエプロンを身に着ける。エクリュカラーの生地はたっぷりとギャザーが寄っており、ペールピンクの大きなリボンでウェストを絞るフェミニンなデザインだ。

 美奈は買っただけで一度も使わなかった。荒れた生地の制服の上にそれを身に着けた紅子は、全身が映せる鏡の前で歓声を上げ、くるくると何度も何度も回転した。


「れ、烈様」


 回転しすぎたせいで軽くふらつきながらも、花が開くような笑顔を見せる。


「さあ、二人でとびっきりの餃子を作りましょう!」

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