第4話 死の色

「ミ、ミノタウロス!?なんでダンジョンの外に!」


 目の前には頭と下半身が闘牛のように逞しく、胴は鍛え上げられた人の肉体をもちその身長は軽く見積っても3m近くある。

 返り血を浴びて赤黒く染った茶色の毛並みは本能的に恐怖させる。


 右手には今日だけの関係だったはずの剣士を両断した、ボクの身長ほどもありそうな大戦斧が毛色と違って、血の赤を新しいものと古いものの両方を鈍く光らしている。


(ミノタウロスはやばい!走って逃げたって追いつかれる!)


 追いつかれるのがわかっていても逃げずにはいられなかった。

 逃げ出したボクを追いかけるようにミノタウロスも動き出す。あのまま死んだふりでもしておけば見逃されたのかもしれないが、化け物を前にしてそんな賭けには出られなかった。


 蹴られて続け、腫れてる体に鞭を打つ。こんなとこで死ぬ訳には行かない。

 何も無いボクが何かをえようと、村から出て来たのにまだ何もできていない。

 都市で行われる派手なお祭りにも参加したいし、きれいな女性とだって出会いたい、村にはなかった料理だって…まだボクは何も出来ちゃいない。


 16歳になって都市で仕事が貰えるようになって出てきたのに、こんなすぐに死ぬ訳には行かない。


(考えろ!考えろ!考えろ!ただ逃げたって追いつかれるだけだ!どうしたら生き残れる!)


 少年はミノタウロスのことを何も知らなかった。森で発生することなんて稀だし、冒険者でない少年は戦ったことすらないのにそんな知識を持っているはずがない。


 

 仕事のためにわざわざ勉強したのも、初心者向けのダンジョンのコボルドと、ボスのコボルドロードのことくらいだ。


 森に発生した中級種以上なんて、ギルドに即討伐されるから、雷にあたるより出会えないのではないだろうか。


 どちらも出当たったらほぼ即死だが。


 少年は知らないながらもあの大きな体躯が抜けづらそうな太く密集した木の隙間をぬっていく。

 小柄な少年がとることができる少ない選択だった。


 少しでも減速すればいい、そう思っていた。

 しかし、少年はあの距離で剣士の血を浴びてしまったことが不運だった。

 逃げる道選びは完璧だった、いくらミノタウロスだって、大木をなぎ倒せば少しくらい時間は稼げただろう。


 だが、ミノタウロスは『人型』の『猛牛』である。人の力を持つゆえに色を知覚し、猛牛であるがゆえに動くものを追う。

 両方の性質を持っているため赤く小刻みに走り抜ける少年は格好の獲物だった。


 血を全身に浴び、ボロボロになった服はもうまとわりついてるだけでひらひらと少年についていく。


 人を興奮させる赤と闘牛を興奮させる揺れ動くもの、ミノタウロスからしたらただの獲物なのだ。

 強さを誇示するために周りの生きるものを殺して生きるミノタウロス、そんな生き物が興奮して獲物を逃がすはずもなかった。


 気性がとにかく荒いためミノタウロスは常に個々で生活する。

 同士討ちを避けるために単独行動を取り、繁殖したければ人の女を襲う。よくある物語に描かれるミノタウロスはフィクションではない。


 単独行動を好む種のミノタウロスに出会ったのは不運な少年の唯一の幸運かもしれない。


 森に生きるモンスターは低級だからこそ群れを作る。虫や小動物系はもちろんウルフ系も群れで狩りを行う。

 ミノタウロスのおかげで他のモンスターが寄ってこないので、四方八方から襲われることは無かった。


 剣士の上半身を飛ばした戦斧を自分の体で拭い脂を拭き取る。脂は切れ味の大敵なのでミノタウロスは勝ち誇るように毛に血を足す。 

 殺したあとの掃除を済ませたミノタウロスは興奮を抑えきれないように、逃げた赤い少年を追いかけようと地面を踏み込む。


 次の瞬間、3mの巨体を支える立派な牛の足が地面を蹴飛ばした。蹴られた地面はその勢いに耐えられないと言わんばかりに蹄にめくられていく。

 二本の異様に発達した牛の足は数秒先に走った少年を数歩で間合いに捕えた。


 ボクは後ろを振り向く暇もなく走り続けた。余計なことをした瞬間にその身体が真っ二つになると本能でわかっていたから。

 後ろからドゴ!ドゴ!と蹄の音が聞こえる。一回聞える度に距離がすぐ後ろまで迫っているのが分かる。ドゴンドゴンと吹き飛ばされた木が周りにぶつかる音が同時に響く。


 これだけ堂々と距離を詰められれば後ろを見なくたって分かる。こんな轟音を真後ろで響かせられたら、誰だってすぐそこにいるのが分かるだろう。


 後ろを向いたって見て避けれるわけもない。ミノタウロスがボクの近くに踏み込んだ瞬間にボクは運に任せて体を横に投げる。

 ボクは速度を殺せず、派手に転ぶように横に避けれた。


「ブモォア…」

「ひっ…」


 ボクが走っていた目の前の大木に大戦斧が突き刺さる。

 いや、刺さるというより大木を割っていた。


 まるで薪割りでもしてるかのように縦に綺麗に割れている。


 木の根元に戦斧が挟まったミノタウロスは数秒抜く素振りを見せたがしっかり噛んでおり引き抜けない。

 ミノタウロスは抜けないのを面倒臭がって、戦斧を力の限り横向きに動かし木の側面を抉りとってしまった。

 

 えぐられた木の塊がボクの近くに弾んで飛んでいく。パラパラと飛んでくる木の粉がボロボロの体にあたって痛いが目が離せない。


 ボクはその瞬間を見て唖然とした。どんな鍛えた大男だって自然に生えてる立派な木を抉るなんてことはできないだろう。

 体格だけでは表せない力を目の当たりにしてようやく気づく。


「ミノタウロスって…色…あるの?」


 ミノタウロスのような中級のモンスターと低級の1番大きな差は色を扱えることだ。

 ミノタウロスは今でこそ赤黒く染まってしまった毛並みだが元は立派な茶色の毛並みと人の身体だ。

 先程のドワーフのような男と同じように種族で筋力増強の能力を持つ。


 戦斧だってボクの身長程もある。それだけでも相当な重さなのに軽々と振り回している。一撃で胴を力任せに両断するのだって相当な力だ。


ギリギリの回避を数度繰り返した。

 

 木が密集してるおかげでミノタウロスも横なぎに攻撃してこないため、踏み込みに合わせて横に飛ぶタイミングさえ間違えなければ避けることは出来た。

 まともな戦闘なんてこんな化け物、どんな色があっても遠慮したい。


 コボルドから逃げ回っていた時と違ってボクはほとんど半べそだった。


 

(街なんかに連れて逃げ込むわけに行かないし!このままじゃいつか当たる!)


 ボクは淡い期待にかけて太い路地が見えるように森の中を進む。


 低級ダンジョンとは違って上級のダンジョンには大人数で遠征の形をとることが多い。

 そのため低級ダンジョンに向かうには細い道、上級に向かうには太い大通りを使うのが一般的だ。だからこそミノタウロスを倒せる人がいる可能性のある大通りを視野に入れ続けた。


 山で遊んでいる時に遭難し、村の近くを遠征で通りがかってくれたおかげで助かったこともあったので、物語以外で知っている数少ない情報だ。


 道に出たら即死なので並木に沿ってさらに森を走る。

 するとやはり運がいいのかすぐに立派な赤い鎧に身を包んだ一団を見つけられた。今日は不運なのか幸運なのか分からないが死んでないだけで幸運なのだろう。


 立派な赤い鎧の集団を見かけ、ボクは最後の最後に気を抜いてしまった。


「助けてくださぁぁぁぁぁぁい!」


 半べそかいて走っていたボクは、助かる可能性に飛びつき、距離を考えずに道に体をさらした。

 立派な鎧姿が見えてこの決死行に終わりが見えたせいだ、誰だってそうする。


 ミノタウロスは邪魔な木が無くなったのをいいことに避けては離れてを繰り返していた鬱憤を晴らすかのように通りに体を晒す。

 通りに晒した体は捻じきれんばかりに振りかぶり強引に斜めに大きく振りきる。

 ボクは目の前の集団のことだけしか目につかず、後ろに襲いかかる戦斧はもう意識の外だった。

 戦斧がボクの頭に吸い込まれようとした。


「うわぁっ!?」


 その瞬間に頭の上を火柱が横向きに通り抜けて行った。振り上げていた手と髪が少し焼ける距離で顔がすごい熱かったので派手に倒れ込んだ。

 手は近くを通り過ぎた炎の熱で当たってもいないのに軽い火傷までしていた。

 ヒリヒリと痛む手が生きていることを実感させる。転んだ拍子にボロボロの体が悲鳴をあげ出す。


 倒れ込んだ僕の後ろにいたミノタウロスは膝から崩れ落ちその巨体を地面に倒した。

 僕の前に砂埃を上げて倒れてきた巨体は首から上が焼けて無くなる。焼けたからだからは血の一滴も出なかった。

 手に持っていた戦斧も柄以外無くなっていて、柄の先は少し溶けていた。


「た、助かっ…た?」

「大丈夫…ですか?」


 炎の主がボクの近くまで駆け寄ってきて顔をのぞきこんでくる。揺らめく綺麗な深紅の赤髪はそれだけで最上級の色保持者とわかる。


 瞳まで赤いのは遺伝的に赤の血が薄れていない証拠だ。なのに、赤使いは熱の扱いが非常に感情に左右されるため瞳は赤く燃えているのに、感情を抑えるのでどこか気だるげな印象を受ける。


 装備は僕と同じくらいの身長の女性には見合わなそうな細身の長剣、熱がこもらないための軽装のプレートが主要な箇所に着いているくらいだ。


 赤の最上位では自身が炎に近い存在になるため物語では装備すらも溶かしてしまう程だ。


 そんな薄手の装備だから血色の良い白い綺麗な足が目の前に来た時にボクの顔も赤くなってしまう。

 残り火が散る中を歩いてくるさまはとても綺麗で、昔の人達が火を崇めていた理由も分かってしまう。


 圧倒的な力を示された炎に心の中の何かが燃えてしまう。

 ボクも目の前の圧倒的な存在に熱いものが込み上げてくる。



 しかし、疲労とダメージの限界の体は一時の出会いや最上級の赤の力を見れた感動すらも味わう暇もなく意識をとばしにくる。

 最後に覚えているのはかすかに体を包む温かさだった。



 ミノタウロスの燃やされ処理された灰のそばに現れる黒い影がひとつ。


「ダンジョンから連れだしてお手製の黒を混ぜてあげましたが…まさかバーミリオン家のご令嬢が出てくるとはね。もう少し暴れさせられればよかったのですが、赤の姫さんじゃさすがに…か。」


灰の中から炭では無い黒の小石ほどの塊が影に溶け込む。


「他の色は親和性が低いですからね。ミノタウロスですらこの量が限界なんですが…。

赤のお姫さんの力を受け止められた彼なら面白いことができるかもしれませんねぇ…。」


 顔も見えないほど影そのものなのにニヤリと笑った気がする。

 そう独り言を言い残すと木陰にに入った瞬間に溶けたように消えた。

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