メッサーシュミットBf109グスタフ

第26話 バルケンクロイツの機体

 ピシュン!

 パシュン!


 曳光弾が機体を掠める。


 機首に炸裂弾が命中し、発動機部分のカウリングが剥がれて吹き飛んだ。同時に冷却水と潤滑油が噴き出す。


 俺は機体を降下させつつ捻り込む。これでかわせるか?

 しかし、無情にも炸裂弾が数発ほど右主翼に命中し、黒い十字の描かれた翼が吹き飛ぶ。


 このマークは鉄十字、いや、直線で描かれている十字はバルケンクロイツだ。俺はドイツ機に乗っているのか? そういえばこの機体は機首が細長く、液冷エンジンを搭載している……。


 俺は日本機、しかも陸軍機にしか乗った事がない。

 何故、ドイツ機に乗っているのか……わからない。


 機体は火を噴きながら錐揉み状に回転しながら降下しているのだろう。上も下も何もわからない。グルグルと回転する地面が急接近して激突した。その瞬間、俺の意識は途切れてしまった。


 強い衝撃に体が揺さぶれれている。


 いや、そうじゃない。誰かが俺の肩を掴んで揺さぶっているんだ。


「おい、香月。目を覚ませ。香月祐」

「誰だ? 俺はどうなった?」

「夢でも見ていたのか? うなされていたぞ」


 俺は目を開いた。

 目の前にむさ苦しい男の顔があった。


 左目を眼帯で覆っており、頬に大きな切り傷がある。とにかく人相が悪く、どんな映画にも悪役で登場できる物々しい雰囲気を持つ男だ。


「スマンな、ヤブサカ」

「ちょっと気になってな。撃墜王がうなされてるってのは、やっぱり墜ちた事がトラウマになるのかなと思ったんだが?」

「そうかもしれん。夢を見ていたんだ」

「どんな?」


 興味深げに俺を見つめるその目は、優し気に笑っているつもりのようだが、正直そうは見えない。グサリとくる彼の鋭い眼光はどんな時でも健在なのだろう。


Bf109Gグスタフで撃墜された夢だ。思うように操れず被弾した。右の主翼が吹き飛ばされて錐揉みしながら墜落した」

「ふふーん。俺との模擬戦で連敗したのが悔しいのか?」

「そうじゃない。慣れない機体の扱いに苦労していただけだ」

「ま、オスカーと違ってひらひら旋回はできんよ」


 当たり前の話である。


 日本機は旋回性能を重視しており翼面過重は低い。対してドイツ機は速度重視の為、翼面過重は高くなっている。一式戦の場合は概ね120kg/m²であり、対してグスタフは概ね200kg/m²だ。この二機種には大きな開きがある。


「わかっちゃいるが、なかなか慣れなくてね」

「慣れてもらわなきゃな。困るのはおまえだぞ」

「ああ」


 ヤブサカがにやりと笑う。しかし、何か殺気でも込めているかのような鋭い目つきは変わらない。恐らくこの笑顔が彼の精一杯の愛想笑いなのだと思うが。


 藪酒やぶさか宗吾そうご。Bf109のパイロットだ。


 先日、俺たち香月隊が滑走路を破壊した際、発進待機していた機体があった。ヤブサカは香月隊を迎撃すべく準備中だったのだが、俺の攻撃が先に決まってしまい飛べなくなったのだという。


 その直後、俺は被弾して滑走路に不時着してしまい、この片目の怖い男に救助された。連中はヴァルボリ空軍基地を放棄して後退したのだが、俺もそのまま連れてこられたという訳だ。


「さて、香月君。君はどうするのかね」


 ヤブサカに睨まれる。いや、本人は睨んでいるつもりはないのだろうが、あの視線と向き合うのは相当な覚悟を求められる。


「ティターニアに戻る」

「それはできないと何度も言ってるじゃないか。あの撃墜王、ブラッディオスカーを野に放つわけにはいかないと」

「では何故、俺をメッサ―に乗せるんだ?」

「君を戦力化したいのさ。俺たちの陣営ノーサンブリアも多方面で戦っているからな」

「多方面だと?」

「そう、多方面だ。戦っているのは君たちのいたティターニアだけじゃない」

「まさか、三つ巴の戦いだったのか?」

「さあな」

「さあとは? どういう事だ?」


 ここアルスでは、二つの勢力が争っていたのではなかったのか。ヤブサカの言葉には納得できなかった。


「この戦場全体での具体的な勢力については何もわかっていない。ただし、この近辺で主に空戦しているのは三つだ。一つは貴様がいたティターニア。そしてここノーザンブリア。もう一つがダジボーグだ」


 複数の勢力が入り乱れているのか。

 この世界は単純じゃない。


「君たちはティターニアとダジボーグの両方と戦っていたのか?」

「そういう事だ。この三つの中では一番の戦力を保有していたのだが、何せ両面作戦を展開しているからな。それでもノーザンブリアが押していたんだよ」

「しかし、この前の空戦では俺たちが勝ったな。確かに運が良かった点はあったが、ティターニア側は劣勢だとは思えなかった」

「そりゃそうだ。ティターニアに貴様が、ブラッディオスカーが現れてから戦況が一気に逆転したんだよ」

「俺一人で戦況が変わるなんてありえないだろう」

「そいうでもないさ。戦力が拮抗している場所で、こちら側のエースが立て続けに墜とされる。たった一機の、しかもランクⅡのオスカーにな」


 個人の力で戦争の趨勢など決まるはずがないと信じていたのだが、局所的にはその限りでないらしい。確かに、俺は一年ほどで三十数機を墜としている。それが隊長クラスのパイロットなら戦力ダウンは否めないだろう。


「さあ、昼寝は終わりだ。今から飛ぶぞ」


 そうだった。俺は午前中の模擬空戦で消耗してしまい、昼食後の休憩中にソファーで眠りこけていたという訳だ。


「大丈夫か? 俺の不戦勝でもいいぞ」

「問題ない。今度はキッチリお返しをしてやる」

「頼もしいな」


 俺はヘルメットを掴んでヤブサカの後を追う。午前中に受けた屈辱を晴らしてやるとの決意を胸に、滑走路へと向かった。

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