残虐王は 死神さえも 凌辱す

8 王子の棺

　純白のシルクに多く襞（ひだ）を取り、腰を締める帯は幅広の深紅、襟元を飾るのはオニキスが複雑な模様を描いて填（は）め込まれた黄金、額（ひたい）には獅子の目と言われるルビーが輝いている。いつもは麻（あさ）の下穿（したば）きも今日は上衣と同じ純白のシルクだ。

　絶世の美女と言われた母親の面影を残す端正な顔立ちに、すらりとした背、すっきりと伸びる背筋、鍛（きた）えられた体躯（たいく）、正装をしたリオネンデは黙って澄ましていれば彫像のように美しい。

　まだ夜も明けやらぬ後宮で、女たちに傅（かしず）かれ、リオネンデが身なりを整える。その傍（かたわ）らには、すでに身支度を終えたスイテアが控えていた。

　時刻をレムナムが告げ、リオネンデが頷（うなず）く。マントの肩止めを確認し、剣を手にすると、ついてこい、とリオネンデがスイテアを促した。

　リオネンデは後宮の奥へと歩みを進める。やがて下方に続く階段となり、外界の光が途絶え、壁に掛けられた松明（たいまつ）の光だけが頼りとなる。

　前を進むリオネンデのマントが引きずられ、後ろを歩くスイテアが裾（すそ）を踏む。リオネンデが歩みを止めて振り向くと、マントを引いて裾を僅（わず）かに絡（から）げた。

　儀式が終わるまで声を発してはいけない。どうやらそれは王であるリオネンデとて同じようだ。怒鳴られるのではないかと身を縮めたスイテアを一瞥（いちべつ）し、フン、と不機嫌な顔を見せるだけで前を向いてしまった。

　階段を降り詰めたところでサシーニャが燭台（しょくだい）を持って控えていた。サシーニャの衣は黒で、長く伸ばした金髪が燭台の灯で揺れて煌（きら）めいている。リオネンデと頷（うなず）き交（か）わすと、やはり何も言わず、歩き始めた。

　そこからは壁に灯される松明もなく、サシーニャが持つ燭台の頼りない光だけとなった。両腕を伸ばしたほどの広さの廊下がどこまで続いているのか、その場からは予想もつかなかった。

　辿（たど）り着いた広間で、サシーニャが壁に設えられた灯火台に火を移すと、次々と炎が移っていき、やがてぐるりと広間を照らした。奥のほうに大きく間隔をあけて、いくつもの棺（ひつぎ）が並べられているのが見える。手前に立派な廟（びょう）があった。

　リオネンデが剣を鞘（さや）から抜いて、廟の扉の前で捧げ持つ。サシーニャが手にしていた杖で、その剣を撫でると廟の扉がゆるゆると開いていく。剣を手にしたまま、リオネンデがその中に入っていく。サシーニャが顎（あご）で、行け、とスイテアに合図した。そしてサシーニャはスイテアの後ろを来る。

　廟には格子窓があり、広間の灯火が、薄明るく照らしていた。奥に祭壇のようなものがあるだけで、他には何もない。その祭壇の前でリオネンデが止まった。サシーニャに押されてリオネンデと向き合う形でスイテアが立つ。

　リオネンデがスイテアに手を伸ばしたと思うと、スイテアの髪を一房、掴（つか）む。そして手にしていた剣で、その髪を切り取った。

「！」

恐怖と驚きで叫び出しそうな口をスイテアが手で押さえる。

　リオネンデはそんなスイテアを気にする様子もなく、切り取ったスイテアの髪を祭壇の供物台のようなところに捧げた。さらに剣で己の髪を切り取り、スイテアの髪の上に置いた。剣を鞘に納め、サシーニャに続いて廟を出る。廟の外に出たリオネンデとサシーニャに睨み付けられて、慌ててスイテアも廟の外に出た。するとサシーニャが廟の扉を杖で撫で、扉はゆっくりと閉まっていった。

「王家の墓だ」

　リオネンデの声が穏やかに木霊した。そして、ついてこい、と並べられた棺の間を進んでいった。

「これは父上……前王の棺」

　リオネンデがある棺の前で足を止めそう言った。そして次の棺へと進む。

「これは母上……」

さらに次へと進む。そして振り向く。

「どうした、リューデントの棺を見たくはないのか？」

スイテアの足は亡き王妃の棺の前で止まり、ガタガタと震えている。拳（こぶし）で口元を押さえ、目からはポロポロと大粒の涙が次々と溢れ出す。

　リオネンデが戻ってきてスイテアの腕を掴み引き摺（ず）って行く。許して、とスイテアのか細い声が広間に力なく木霊する。広間の入り口で待つサシーニャは聞こえないフリをしている……

「よく見ろ、棺に『リューデント・グランデジア』と刻まれている。文字は読めるはずだ。それにこの紋章はドラゴン。なんだったら、棺を開けて中を見るか？」

ついにスイテアが叫び声をあげる ――

　泣き叫び、泣きじゃくり、それでもやがてスイテアも落ち着いてくる。リオネンデはあれきり何も言わない。まさかこの場に置き去りにされた？　そんな不安がリオネンデの姿を探させる。が、リオネンデは『棺を開けるか』と言った場所から動いていない。

　自分を見るスイテアに気が付いたリオネンデが言った。

「俺を殺したいか？」

スイテアは答えられない。胸がいっぱいで、混乱から立ち直れていない。でも判っている。殺したい、この男を殺すためにわたしは生きている ――

「おまえになら殺されてやらんでもない。だが、今はまだ駄目だ。俺には成さねばならないことがある。それが果たせたならば、おまえに殺されてやる」

　この男は何を言い出した？　わたしを騙そうとしている？　スイテアが目を見開いてリオネンデを見る。

「成さねばならぬこと ―― 我ら兄弟の願いを俺は叶えねばならない。おまえが愛した男の願いでもあるのだ。だが、待ちきれぬと言うのであれば、いつでも俺を襲（おそ）え。俺を倒せると思うのなら、隙（すき）を突けばよい。しかし、そう簡単にはいかぬぞ。今、言った通り、成さねばならぬことがある限り、そう易々（やすやす）とおまえに殺（や）られはしない」

　リオネンデが穏やかな笑みをスイテアに向ける。スイテアがそんなリオネンデを見詰める。

「王よ、戻りましょう。そろそろ死者が目覚める時刻かと……」

　遠くでサシーニャの声が聞こえた。

「夜が明けるらしい ―― 戻るぞ、遅れるな。遅れれば、ここは闇に閉ざされる。そして夜明けとともに起き出した死者の宴（うたげ）が始まる」

　広間の入り口に足早に向かうリオネンデのあとをスイテアが慌てて追った。

　サシーニャと、階段の下で別れ、後宮への長い階段を昇る。途中息切れして歩みが止まるスイテアを『世話の焼ける』と、リオネンデが抱きあげ、そのまま階段を昇り切った。

　そこでスイテアを降ろすと

「さあ、歩け」

と、さっさと行ってしまう。半ば走りながらスイテアが追うと、後宮の広間でレムナムや他の侍女たちに迎えられる。

　湯あみの準備が済んでいて、やはりリオネンデはさっさと湯殿に消える。どうしたものか迷うスイテアを

「死者の不浄を祓（はら）わなくてはなりません」

と、レムナムが湯殿に誘（いざな）った。

　スイテアが連れていかれた湯殿にリオネンデはいなかった。スイテアが溺（おぼ）れそうになった湯船より、ずっと小さな湯船だが、スイテアが与えられた部屋より広い。そこで数名の侍女に世話をされ、身体を清められる。

「スイテア様」

　レムナムがスイテアの背に湯を流しながら言う。

「今日がどのような日か覚えておられますか？」

レナリムの言葉使いの違和感を不思議に思いながらもスイテアが答える。

「４年前、王妃様がお亡くなりになった日」

リューデントの名は口にできなかった。

「はい。毎年この日、リオネンデ様は王家の墓地にて１年のご報告をなされます」

「……」

「祭壇に髪を捧げられたのですね」

「えぇ……」

「これでスイテア様は王家に迎え入れられた」

「え？」

　思わずスイテアが腰を浮かす。

「どういう事？」

「おかけください ―― リオネンデ様も髪を捧げた？」

「えぇ……」

「後宮と王家の中では正式に、表向きには非公式に、スイテア様がリオネンデ様の妻になったと、祖先に報告なさった」

「……」

「リオネンデ様は何もおっしゃらなかった？」

　スイテアの瞳が再び涙で満たされる。それに気が付かないレムナムが続ける。

「控室の寝台を変えろとリオネンデ様が仰ったとき、やはりリオネンデ様はスイテア様がお気に召したのだと思ったものです」

スイテアの気も知らず、レムナムは上機嫌だ。

「でも、まさか、妻になさるとまでは予測しておりませんでした。表立って『妻』『后』と呼ばれることはなくても、後宮では最大の権力者となられたのです。この先、リオネンデ様がどこかの姫君をお迎えになるようなことがあっても、後宮ではそのかたよりもスイテア様のほうが格上なのですよ。スイテア様は王家の一員となったのですから」

　とうとうレナリムはスイテアが泣き濡れている事に気が付かないまま、スイテアの無造作に切られた髪を揃え整え、乾かし、真新しい衣装を着せ、薄く化粧を施（ほどこ）した。その頃にはスイテアの涙も枯れて、ただ瞳が赤く染まっていた。衣装はリオネンデが望んだローゼルの燃えるような赤い色の物だった。

　王の寝所にはサシーニャが来ていた。スイテアを見ると『お疲れではありませんか？』と、声を掛けて来る。

　リオネンデは細い剣を手にしていた。

「墓場に続く階段も登り切れなかった。情けない体力だが、どうにかなるかな？」

「それはこれからの鍛錬（たんれん）次第かと」

「どうだ、スイテア？」

急に名を呼ばれスイテアがたじろぐ。

「なにか？」

「この剣だ。普通の物ではおまえには重かろう」

「剣？」

　訳が判らず戸惑うスイテアに、リオネンデが壁から一振りの剣を降ろすとスイテアの隣に立つ。

「持ってみろ」

と、柄を握（にぎ）らされる。

　恐る恐る柄を手にして受け取ろうとする。

「あっ！」

手から滑り落ちそうな剣をしっかりとリオネンデが受け止めている。

「どうだ、重いだろう？　で、今度はこっちだ」

次に細身の剣を渡してくる。

　ずっしりとした質感を感じるが、壁に掛けてあった剣のように取り落とすほどではない。

　数歩離れてリオネンデが

「どうだ、掛かってくるか？　俺を殺したいんだろう？」

そう言われても、すぐにかかっていけるものでもない。王家の墓所で、先ほどの湯殿で、起きた出来事にかなり消耗してしまったスイテアだ。

「フン、随分疲れてしまったようだな」

動かないスイテアに諦めたのか、リオネンデがスイテアから剣を取り上げる。

「まぁ、サシーニャに、おまえでも持てるような剣を探すよう頼んでいたところだ。すぐにもっと軽いものを見つけ出してくれる」

スイテアに返答する様子はない。

　何を言っても反応の薄いスイテアに、機嫌が良かったリオネンデも舌打ちをする。

「怒るな、リオネンデ。後宮で、先ほどの儀式の意味でも聞いたのでしょう」

サシーニャがリオネンデを宥（なだ）める。リオネンデは軽く溜息（ためいき）を吐（つ）いた。

　レムナムが朝の食事の用意を始めると、食べて行けとリオネンデが言うのを辞してサシーニャは退出した。

「本日は予定がおしてございます」

これから再び墓所に戻り、死者の御霊を慰めるのだろう。

　二人きりになるとリオネンデはスイテアを抱き寄せて、食事を始めた。が、好きなものを取って食べろ、と言ってもスイテアは動かない。暫く食べたり飲んだりしていたが、

「飲め、ブドウの果汁だ」

と、スイテアの口元に杯を運ぶ。それでも飲もうとしないスイテアの耳元で

「どうした、元気がないな。そんなにリューデントが恋しいか？」

と侮蔑（ぶべつ）を帯びた囁（ささや）きを投げる。

　リオネンデの言葉が、スイテアの瞳に憎しみの炎を蘇（よみがえ）らせた ――