第282話 悪夢‐その⑥

※注意※

 グロ表現、鬱展開に耐性のない方は第286話から続きを読むことを推奨します。

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 気がつくと、俺は椅子に座っていた。もう目覚める工程もカットされたようだ。

 さっきの悪夢は展開が速かった。だんだんと悪夢のクライマックスが訪れるスピードが上がっている。


 ここはレストランだろうか。大きなフロアにたくさんの小さなテーブルが並んでおり、俺はその中央にある二人用の席に着いている。

 正面にいるのはシャイル。いつもの大きな黒い瞳で俺を見つめており、俺と視線が合うとニコリと笑った。


 そのとき、黒いタキシードのウェイターがやってきて、クローシュが被せてある銀色の皿を俺とシャイルの前に置いた。


「お待たせいたしました。こちら、シャイル様ご要望のスペシャル料理となっております」

「ありがとう。いただきますわ」


 シャイルがウェイターに会釈する様子は、リーズよりもお嬢様っぽい雰囲気をかもし出している。

 ウェイターは会釈を返すと、褐色の瓶からシャンパングラスに薄く黄味がかった透明な液体を注いだ。

 それを俺とシャイルの皿の横に並べると、再度会釈をして元来た方へと去っていった。


「これ、白ワインか?」


 あのシャイルが未成年で酒を頼むわけがない、と一度は思ったが、よくよく考えてみると俺はこの世界の酒を飲める年齢を知らない。

 そもそもここが公地だとしたら法律すら存在しないし、公地でなかったとしても、いまや世界王たる俺が法律なのだ。


「これはただのジンジャエールよ」


 ジンジャエール。この世界にもあったのか。それも元の世界と同じ名前で。

 たしかにジンジャエールにも見える色をしている。


「なあ、そもそもこれは何の食事会だ? 何かの記念日とか祝いの席なのか?」


「記念日、といえばそうなるのかもね」


「何の記念日だ?」


「じきに分かるわ」


 妙にもったいぶる。

 俺はサプライズだろうが何だろうが、こういうふうに隠し事をされるのは好かない。

 だがあんまりしつこく訊くのも野暮やぼだろう。俺はあきらめて、シャイルがやっているように胸に紙のナプキンをつけた。


 シャイルがクローシュを開けたので、俺も銀色のふたを取って皿の品を見た。

 ブワッと肉の焼けた臭いが俺の鼻孔を突き、食欲をそそる。

 いまの俺の精神状態ではあまり食欲がなかったのだが、食欲増進剤を飲まされたかのように一気に食欲が込み上げ、唾があふれ、腹が鳴る。


「いただきます」


 俺はさっそくフォークで押さえた肉にナイフを入れた。

 こぼれ出る肉汁に血の赤がにじむ。しかし焼き加減はちょうどよさそうだ。

 弾力のある肉を一ブロック切り取ると、それを口に入れて噛む。

 熱々の肉汁がブワッと染み出してきて……。


「これは、豚肉か?」


 見た目からして、てっきり牛肉のステーキだとばかり思っていたが、先入観を持つのはよくないな。

 いや、しかしおいしい。味は豚肉っぽいが、ちょっと不思議な味だ。味というか、食感が鶏肉みたいだ。

 高級肉は柔らかいというから、これはさぞかし高い肉なのだろう。


 シャイルはナイフとフォークを握ったまま俺が食べる様子を見つめていた。


「食べないのか?」


「もちろん、食べるわよ」


 シャイルはクローシュを取り払った皿に視線を落とすと、涙をこぼした。


「お、おい、どうした?」


 シャイルは視線を皿に落としたまま、むせび泣きはじめた。人目もはばからず泣きながら「いただきます」を言った。

 いったいどうしたというのだ。そう思いつつ、今度は俺が両手を止めてシャイルを見つめる。


 シャイルはナイフで肉を切り刻み、フォークに刺した肉をパクパクと口に入れていく。


「おいしい、おいしい……」


 泣くほどにおいしいのか。いや、食べる前から泣いていたよな、なんて思っていると、嫌なシャイルが出はじめた。


「私が生きるためにあなたの命を消費させていただきます。申し訳ないけれど、生きるためなんです」


「さすがに大袈裟おおげさすぎないか?」


 シャイルには以前からお人好ひとよしすぎるところがあった。

 てっきり生まれ変わって現実的な思考をするようになったと思っていたが、やはり性根というのは変わらないのだろう。


「おいしい。あなたの肉、おいしいです」


「…………」


 さすがに動物に対して敬意を払いすぎじゃないか。

 そう思ったが、ふと嫌な想像をしてしまう。

 だがそれはむしろ、俺のほうが大概というものだ。


 シャイルはあっという間に口の中の肉を飲み込むと、涙を拭うこともせずに俺を見つめてニコッと笑った。


「あなたもおいしそう……」


 一瞬、シャイルの言葉を理解できなかった。

 いや、一瞬じゃない。何度咀嚼そしゃくしても、その言葉の意味を飲み込めない。

 全身を鳥肌が駆け抜けるような感覚。その感情を認識するより先に大きく身震いをした俺は、たまらずシャイルを問い詰める。


「おい……。これは、何の肉だ?」


 シャイルは一瞬だけポカンとした表情を俺に向けたが、開いていた口を閉じると、口角を上げて笑いはじめた。

 嫌な予感が食道をぐんぐんと込み上げてくる。

 もしかして、これは人間の肉なんじゃないか。


「知らずに食べていたの? これは、エアさんよ」


 軽く想像を超えてきた。

 一瞬にして臨界点を突破し、嘔吐おうとした。

 吐しゃ物は血のように真っ赤で、いつの間に食べたのか、眼球まで口からこぼれ落ちた。


「あっはははははは。それはかわいそうよ、エアさんが。ちゃんと胃の中で消化しなきゃ、エアさん無駄死にじゃない。あーっはははは」


 高笑いする姿はまるでカケラそのもの。カケラが体を乗っ取っていたころのシャイル。

 だが、いまのシャイルは目が黒い。カケラではなくシャイルだ。

 嘔吐が止まらない。吐き気が加速して口から真っ赤な液体が飛び出しつづける。

 苦しい。息ができない。

 いろいろな感情が吐しゃ物みたくグチャグチャになって、ない混ぜになっている。


 それから思い知る。

 これは単なる精神攻撃ではない。

 肉体への責め苦も加わった、心身同時拷問だと。


 嘔吐が治まらず呼吸ができずに苦しんでいる俺を、早足で近寄ってきたウェイターが担ぎ上げた。どこかへ運ばれている。

 血の道筋を残しながら運ばれた先は厨房だった。

 俺は巨大な黒い中華鍋へと放り込まれた。

 鍋にはおそらく百八十度くらいあるであろう熱々に熱せられた油が入っていて、そこに落とされることで俺は全身をくまなく超高温に責められた。

 熱いなんてものじゃない。痛い。苦しい。つらい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。


「安心して。食べられるまでは死なないから」


 いままででいちばんひどい。いままでもひどかったが、致死ダメージを負ったら死んでいただけマシだった。

 今回は死ねずに死の苦しみを味わいつづけるのだ。しかも大切な仲間にその仕打ちをやられている。

 これほどの地獄があるか?


 さすがにもう嘔吐は止まっていた。

 カラッと揚げられた俺は、そのままシャイルにガブリと食べられた。

 ピラニアも驚く脅威の歯とあごで、俺を生きたままかガブリガブリと食べていく。


 痛い。死にたい。痛い。死にたい。


 痛い。痛い。痛い。死にたい。


 死に……。死……。死。

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