第276話 悪夢‐その②

※注意※

 グロ表現、鬱展開に耐性のない方は第286話から続きを読むことを推奨します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 嫌な夢を見た。


 凄惨せいさんな死を遂げる実に嫌な夢だった。

 あんな夢は二度と見たくない。


「はぁ……」


 思わず溜息ためいきが出る。

 寝起きなのに、どっと疲れた。


 しかし気持ちを切り替えなければならない。これから仕事が始まるからだ。

 一日でも休めば給料は半分になる。だから絶対に休めない。

 ノルマを達成できなければ大きく減給される。手を抜くことも許されない。


 吸着性の高いベッドから抜け出した俺は、肌への密着性の高い就寝用スーツを脱ぎ捨て、これまた肌への密着性の高い作業用スーツに着替える。

 朝食用丸薬を一つ口に放り込んでから安全靴を履き、何もかもが銀色の部屋から外へ出る。


「うわっ、ゲス・エストがいるぞ! 遅刻だ! この時計壊れてんじゃねーか」


「おい、大丈夫だ。今日はたまたま早く目が覚めただけだ。時計のほうを信じろ」


 俺の言葉が聞こえていないのか、同期の男は走って柱状の黒いワープゲートへ飛び込み、そそくさと仕事場へ転移していった。

 俺も同僚の後に続き、仕事場へと移動する。


 黒い空間から出た先は鉱山となっている。そこが俺たちの仕事場だ。

 ひたすら岩肌をピッケルで削り、エネルギー資源となる鉱石を掘り起こす。

 その採掘量にはノルマが設定されており、ノルマさえ達成すればその日は業務を終えることができる。

 ただ、鉱石が発見される確率的にノルマを達成するのは厳しく、たいていは十時間フルで掘りつづけなければならない。十時間というのがもう一つのノルマであり、こちらをクリアすれば採掘量のノルマは免除される。


 はっきり言って重労働だ。十時間ずっと力仕事。途中で休憩を入れてもいいのだが、もちろん、休憩はノルマの十時間には含まれない。

 もし二十四時間経過して採掘量と時間のどちらもノルマを達成できなければ大きく減給される。それは体調を崩したとしても免除されるものではない。


 俺たち会社員はそういったシステム面でのリスクを負って日々就業しているわけだが、採掘員ならではの大きなリスクもある。

 それが健康面でのリスクだ。

 例えば塵肺じんぱい。仕事の性質上、非常に空気が悪い。常に砂埃すなぼこりが待っているので、保護具を着けていなければ塵肺になってしまう。

 しかしこの保護具が高価で、会社から支給されることもないので、丸薬代などの食費を切り詰めて買うしかない。


 それから、塵肺以上に大きなリスクとして感染症というのがある。いまだに未知の病原菌に侵されて死ぬ者が後を絶たないのだ。

 病原菌は塵肺用の保護具では防げないので、接触しないようお祈りするしかない。もしもそうなってしまったら隔離病棟行きであり、経済的に完全に死んでしまう。


 俺がワープゲートから出たとき、最初に見たのは赤く照らされた鉱山だった。

 その赤い光はすぐに消えて黒い岩肌が姿を見せるが、またすぐに赤く照らされる。それが何度も繰り返されている。


「これは……」


 赤色灯が点滅しているのだ。普通はアラームとセットになっているもので、緊急事態を知らせるものである。

 アラームが鳴っていないということは、この状況になってからかなり時間が経っているということだろう。


 俺は嫌な予感がして居住区へ戻ろうとワープゲートに入る。


「あれ?」


 俺は転移することなく黒い空間から出てきてしまった。

 これはもしかしたら、転移を遮断されているのかもしれない。


 そのとき、定期的に流されているであろうアナウンスが聞こえてくる。


「ただいま、未知の生命体による襲撃を受けております。居住区への転移は遮断されました。本第七区画は放棄されます」


 これは……最悪だ。

 完全に見放された。もうここにいる人間は死ぬしかない。

 転移する前に教えてくれよと思うが、連絡手段は転移する以外にはなく、誰もこちらから居住区へ移動できないのだから知らせようがないのだ。


「これ、まだ犠牲者が増えるぞ……」


 その侵略者というのが何者なのかは分からないが、俺はとにかく武器になりそうなピッケルを取りに倉庫へ向かった。


 倉庫への道中、何人もの人が倒れていた。特に倉庫の前はその数が多い。

 彼らが死んでいないのはすぐに分かった。みんな仰向けになって、腹部を手で押さえている。息が荒く、呼吸に合わせて腹が上下する。

 未知の生命体の毒にでもやられたのだろうか。


「いったいこいつらに何が……」


 高熱で寝込んでいた大量の患者が室外に放り出されたかのような光景だ。


 俺はそいつらを尻目に一直線に倉庫へ向かい、その扉に手を伸ばす。

 そのとき、突如として開いた扉に吹っ飛ばされて尻餅を着いた。


「ああああ、助けてくれぇ」


 倉庫の中から男が飛び出してきた。そいつはつんのめって膝と手を着くと、そのまま四つん這いで俺の方へ這ってきた。

 その表情は死んだように蒼白で、恐怖のあまり目をむき出しにしている。

 そんな男が高速で俺の方へ這ってきて、尻餅を着いたままの俺に正面からしがみついてきた。


「おい、放せ!」


 男はすごい力で両腕ごと俺を絞め上げる。大木に縄で縛りつけられたように身動きが取れない。

 俺は石頭ではないが、ひたいから後頭部への頭突きなら勝てるかと考えていると、倉庫の方から嫌な音が聞こえた。


 ――メリッ、バキッ、ゴゴゴッ!


 木造の倉庫が裂けながら膨張し、中から何か巨大なものが飛び出した。

 それは、黒いブヨブヨの体をしていて、焦げ茶色の光沢のある粘液をまとったバケモノだった。

 足と手は見あたらない。瓢箪ひょうたんのようにずんぐりとした体。

 もしパーツに分けるとしたら、下半身と、上半身と、口だった。


 そのモンスターが、どういう原理か俺の方へズイズイと近づいてくる。


「おい、放せって!」


 俺は額を眼前にある後頭部へと何度も打ちつけるが、男はビクともしない。いっそう俺にしがみつく腕に力が入り、俺は身をよじることしかできない。


 いよいよ怪物が迫り、もはやこの男を殺すしかないと思ったが、その結論に至るのが遅かった。

 怪物が口だけの頭部をニュッと伸ばして俺の頭をすっぽりと覆う。

 完全な真っ暗闇の中、何かドロドロの液体が頭にぶつかったと思うと、それが顔に流れてきて慌てて目を強くつむり、ギュッと口を閉じた。

 ネットリとした液体がどんどん落ちてきて首を包み、さらに溜まって顔を覆う。

 液体が俺の頭部を完全に覆った。


「ンーッ、ンーッ!」


 息ができない。まるでスライムの入った金魚鉢に頭を突っ込んだみたいな感覚だ。しかも、液圧がどんどん高くなっている。

 粘液が鼻から入る。その気持ち悪い衝撃に思わず口を開け、口からも粘液が入ってくる。


「ウゴッ、グゴッ」


 入ってくる。入ってくる!


 液体だけではない。何か大きい丸い粒が喉を通っていった。それも一つではない。いくつもいくつも喉をこじ開けて体内に入ってくる。


 息ができない。死ぬ!


 限界が来たところで俺は解放された。

 激しく咳き込みながら吐き気をもよおすが、口から何も出てこない。

 閉じた目蓋まぶた越しに赤い明滅を感じた。右手で顔の粘液を払うと、赤い明滅は赤色灯の光だと分かる。

 怪物の姿は消えていた。気づけば俺にしがみついていた男も消えている。


「はぁ……はぁ……」


 疲労と息苦しさと満腹感で思うように動けない。

 楽な姿勢を取ろうと地べたに仰向けに寝て、腹に手を置く。俺の腹は少し膨れていた。

 息苦しくて一所懸命に呼吸すると、それに合わせて腹が上下する。


 俺はふと周囲の様子を見た。

 さっき仰向けに寝ていた奴らの腹が大きくなっている。まるで妊娠しているみたいな腹だが、女だけでなく男でもそうなっている。


 そんな中の一人がうめき声をあげだした。女だ。

 初めは苦しそうに呻いていたが、しだいに悲鳴に変わっていく。

 まるで体をナイフで切られたみたいな悲鳴をあげ、臨界まで膨れ上がった腹が脈打ち、そして股から大量の茶色い粘液と黒い塊が飛び出した。

 その黒い塊は少し小さいが、さっき俺を襲った怪物と同じ姿をしていた。

 怪物は大きな口を開き、痙攣けいれんしている女を足から徐々に徐々に飲み込んでいき、そして生きたまま丸呑みにしてしまった。

 そしてこちらへ向かってくる。


「くそっ、来るな」


 俺の願いが通じたわけではないだろうが、幸いなことに黒い怪物はどこかへ去っていった。


「うっ……」


 今度は男が呻き声をあげた。

 大きな腹が脈打っている。


「おい、待てよ……」


 女が怪物に出産させられたのは分かった。だが男はどうなるのか。

 嫌な予感しかしない。


「うあああああっ!」


 男が絶叫し、腹が弾けた。

 大穴の開いた腹からは、大量の黒い虫が這い出てくる。

 そしてその虫が男の全身を覆った。


「これは、まさか……」


 食べている。無数の小さい虫が、男を生きたまま喰っている。

 男はもはや声を出せないが、どれだけの苦しみと痛みを感じているのかは想像が及ばない。


「おい、嘘だろ。やめてくれよ……」


 俺の腹がだんだんと膨れてくる。中で無数にうごめく感覚がある。

 そんな俺の耳に足音が聞こえてくる。

 弱った力を振り絞ってそちらを見ると、さっき俺にしがみついてきた男が、力ない足取りで近寄ってきていた。

 その手にはピッケルが握られている。


「おい、あんた、俺を殺してくれ。ひと思いに、頼むから……」


 男は俺のそばへ来ると、無言でピッケルを振り上げた。

 俺は目を閉じ、激痛をともなう救済を覚悟して待った。


「うあああああっ!」


 肩に激痛が走った。

 頭や喉から狙いが逸れたのかと思ったが、今度は太腿ふとももに激痛が走る。

 目を開けると、男はわざわざ移動して太腿に狙いを定めていた。


「オイッ! 何をしているッ! なんでこんなことを……」


 すると男は俺に笑ってみせた。絶望に満ち満ちた死んだ目で、ほおだけを吊り上げて。


「決まっているだろ。自分がいちばん苦しむのなんて嫌だ。だから俺より苦しんでくれ」


 そして三度ピッケルが振り下ろされる。


「うがああああっ……」


 そこからはもう声が出なかった。

 俺の腹が破裂し、おびただしい量の黒い虫が飛び出して俺を覆い、そしてむさぼり食う。


 激痛につぐ激痛。局所の痛みから全身の痛みへ。

 業火のように燃え盛る怒りさえあまりの苦痛に吹き飛んでしまい、一刻も早い自身の絶命を願うことしかできなかった。

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