第250話 カケララ戦‐ジーヌ共和国

 カケララは再び紅い爪を構えた。鋭く尖った爪が指先十センチくらいまで伸びる。


「はぁっ!」


 カケララが一瞬で距離を詰めてきて、シャイルは即座にその場を飛び退いた。

 シャイルも炎の概念化によって体温を上げて身体能力を向上させるという効果を得ており、カケララに負けない素早さを実現させていた。

 五爪の紅い残光がシャイルの残像を切り裂き、そこから離れた所に新たな残像と残光が発生する。


 カケララの爪による切り裂き攻撃を三連続で回避したシャイルだったが、そのどれもが紙一重だった。

 爪が紅い光をまとっているということは、カケララの爪に触れると痛いだけでは済まない可能性が高い。即死もありうるし、もっとひどいことが起こるかもしれない。


「くっ……」


 次の一撃で追いつかれると直感し、シャイルはさらに炎の魔法で自身の動きをアシストした。

 炎というのは、例えばロケットエンジン等で推進力になったりする。この世界にロケットなど存在しないが、これも紅い狂気との共存で得た知識だ。この推進力という効果だけを炎に持たせることで、自分を焼かずに移動能力を向上させられる。


 さらにシャイルは白い炎をそこら中の空間にばらいた。

 延焼するという火の性質を白い炎でも適用し、残像を白く燃やして空間を白く染めていく。

 そこへ突っ込むカケララの動きは鈍くなる。


 シャイルが二重に自己強化し、なおかつカケララを弱体化させたこの状態で、ようやくシャイルに反撃の余裕ができた。

 シャイルは拳にまとう白い炎の密度を高め、そしてカケララの右ほお渾身こんしんの一撃を打ち込んだ。


「どぅりゃああああっ!」


 シャイルの拳は完全にカケララの頬を捉え、首の力で止められることもなくシャイルはそれを振り抜いた。


 カケララは殴られた衝撃で大きくけ反った。

 しかし、倒れるまでには至らない。ゆっくりと上体を戻し、姿勢を正してシャイルを睨んだ。

 それから、両手を眼前に出してみせ、武器として一時的に伸ばしていた爪を引っ込めた。その手を握り締め、左右の拳を前後に並べてボクサーのように構える。


「どういうつもり? 武器なしでの決着を望むとでもいうの? あなたはそんな熱血タイプではないでしょう?」


「当然よ。単に手を開いていると力が入りにくいからよ。もし私が爪を引っ込めたことに安堵あんどしているのなら愚かなことだわ。私の本気のスピードとパワーを思い知れ」


 カケララがシャイルに飛びかかった。

 一秒のうちに十の打撃が繰り出され、シャイルは六発を防ぎ漏らし、そのうちの一発はまともに顔で受けてしまった。おかげで視界が明滅する。


「速い……」


 魔法とオーラで自分は加速しカケララは弱体化させているはずなのに、シャイルはカケララの動きに反応しきれなかった。ギリギリ目で追える速さだが、自分の体の動きが追いつかない。

 それに、速いだけでなくパワーも上がっている。次に同じように攻められたら今度は耐えられそうにない。


「力の差がはっきりしたわね。意識が飛べば私の精神支配にも抵抗できない。その新品の体は私がもらってあげる」


 再びカケララが拳を構え、大きく息を吸って、それをゆっくりと吐き出した。

 そして、ギンッとカケララの殺気が飛び込んでくる。


 シャイルは魂を燃やし、自らの心をきつけた。

 燃料は記憶。紅い狂気との記憶を燃料として、勇気の炎をガンガン煽り、そして放射する。

 シャイルを白い業炎が包み込み、カケララはそこに飛び込む形となった。


「私は魔導師なのよ。格闘家じゃない」


 シャイルは防御を捨てた。どうせ防げないのなら、攻撃に全力を出したほうがいい。

 概念化で魔法に独自解釈を与え、白い炎に狂気を焼くという攻撃力を持たせた。それはシャイルがまとっていてもシャイル自身を焼くことはなく、カケラだけを焼く。


 シャイルの顔に、腹に、四肢に、強烈な打撃が与えられるが、合計十発のそれを耐えてみせた。そして白い炎に飛び込んだカケララを焼く。

 炎は膨張し拡大し延焼するもの。それをカケララの内へと発揮することで、白の密度が爆発的に上昇し、狂気を焼き尽くす。

 それはカケララを破壊することに等しい。カケララは人間ではなく狂気の権化、その欠片なのだから。


 極限まで研ぎ澄まされた感覚。その一秒はお互いに加速されて体感では十秒程度まで延びていた。

 十の打撃と一秒の白き燃焼の中で、シャイルもカケララもこれで勝負がつくことを悟った。


 シャイルは吹っ飛ばされて仰向けに倒れた。

 カケララは轟々ごうごうたける白い炎に包まれて立ち尽くしている。

 二人の動きは完全に止まった。


「シャイル・マーン。あんたはたしかに脅威だわ。狂気の天敵かもしれない。もしかしたらゲス・エストよりも厄介かもね。でもカケラには勝てないわ。記憶と戦うのですらそんなに勇気が必要なのだから、本人に会ったときには確実に恐怖で押し潰される」


「たとえそうだとしても、消えゆくあなたには関係のないことよ。いまここにある事実は、あなたが私に消されるということ、ただそれだけ」


 全身真っ赤なよそおいのカケララだが、紅いオーラが白い炎に上塗りされ、目、鼻、口、耳とあらゆる穴から白い炎が噴き出すことで、紅は白に塗り替えられた。

 白い炎が燃料を失って煙と化し消えた後には灰も残らなかった。

 カケララは死によって体を遺さない。


「勝った……」


 自信はあったが、思った以上にカケララは強敵で何度か敗北が頭をよぎった。

 この勝利で得たのは喜びでも安堵でもない。焦燥だった。

 カケラはカケララとは比べ物にならないほど強い。一刻も早くエストたちに合流して一緒に戦わなければならない。

 最低限、カケラの弱点を伝えなければならない。


「ダース君、聞こえている?」


 反応はない。影越しに各戦力の状況を監視していると思ったが、敵が敵だけに派遣先にまで気を回す余裕はないのだろう。


「仕方ない。自力で向かうしかないわね」


 一瞬よろめいたが、強い意志でその場に踏みとどまった。

 紅い狂気の欠片と戦って精神的ダメージがほとんどなかったのは幸いだが、肉体的ダメージはかなり蓄積している。


「私は魔導師なんだ……」


 精神が前を向いているなら問題ない。魔法さえ使えればいい。

 シャイルは白い炎をまとい、さらに概念化により炎に推進力の解釈を与えて足から噴射し、空を飛んだ。

 エストたちがカケラと戦っているであろう魔導学院の方へとロケットのように飛んだ。

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