第249話 世は黒く、身を赤く染め

 シャイルが送り込まれた先は、故郷のジーヌ共和国であった。

 ダースの心遣いでシャイルが先にカケララを見つけられる位置に送り込まれたのだが、それは無意味だった。シャイルがジーヌ共和国に転移した瞬間、シャイルとカケララがお互いの存在を感じ取ったからだ。


 シャイルは建物の陰から姿を現し、カケララもそちらをジッと見ていた。

 視線が合った二人は互いに歩み寄り、手を伸ばせば届く距離まで近づいた。


「ふふふふふ」


 突如としてカケララが不気味な表情を浮かべて笑い声をあげる。


「あははははは!」


 それはカケララも想定していなかった。あのシャイルが声を荒げて笑い返したのだ。

 紅い狂気が体を乗っ取っていたころならまだしも、いまの彼女は神が用意した真新しい体に魂を移されてここに存在している。

 しかしよくよく考えてみると、紅い狂気の影響を受けていたのは体より精神のほうだろう。そうだとしたら、いまもシャイルの精神には紅い狂気の残滓ざんしが混ざり込んでいるに違いない。


 しかしカケララには計りかねた。このシャイルを狂気の同胞と見なしていいのかどうかを。

 カケララはまだジーヌ共和国をどういうふうに狂気に染めてやろうかと考えていたところだが、シャイルを利用できるのなら素晴らしい演出が作れそうだと直感した。


「ふふふふふ」


「あははははは!」


 再度二人は不気味に笑い合ったが、これは単にカケララが探りを入れたものではない。明確な意思を持って、シャイルに対して精神攻撃をおこなった。

 このカケララの能力は精神干渉。つまり心を操り、相手を思いのままに動かすことができる能力だ。

 カケララがその力を行使した結果、シャイルは明確にそれを跳ねけた。

 もちろん、通常の人間にあらがうことなんてできないのだから、シャイルがカケララに対して敵対存在であることが分かったと同時に、紅い狂気に関する何らかの力を得ていることも分かった。


「ねえ、紅い狂気を経験したからって、怖いもの知らずになったつもり? あんたの腸をひっぱりだして固結びしてやろうか?」


 カケララがシャイルを脅かすが、シャイルは冷ややかに目を細めてカケララを見返した。


「脅しが弱いわね。そんなので私が怖がるとでも? あなたみたいな薄い狂気では私には勝てないわ」


 カケララの中には予備知識としてシャイル・マーンという少女の性格情報があったが、それは紅い狂気に体を乗っ取られる前のものだった。

 かつてのシャイルを思えば、いま目の前にいるのはまるで別人。さきほどの高笑いにしても、以前のシャイルからは絶対に出てこないものだった。


 いまカケララの前にいる人間は、まったくもって未知の存在。

 未知というのは恐怖の要因でもある。

 カケララは恐怖を与えて狂気をむさぼる存在であって、自らが恐怖を堪能する存在ではない。


「狂気に適応したのか耐性が備わったのか分からないけれど、得体の知れないあんたは単純に邪魔だから死んでもらうわ」


 カケララが紅く鋭い爪で切り裂こうとシャイルに飛びかかる。

 しかし、シャイルに触れる寸前でカケララは退いた。一歩、二歩、三歩と跳んで距離を開けた。

 さっきまでの距離から十倍は離れた。カケララを退かせたのは、殺気などという曖昧あいまいなもののためではない。そこには明確な身の危険があった。


「そうよね。これが苦手なのよね、あなたは」


 シャイルは白いオーラをまとっていた。

 だが、通常のオーラとは様子が違う。まるでシャイルが炎に包まれているかのように、シャイルの足元から頭上へと白いオーラが絶え間なく昇っているのだ。

 シャイルは炎の操作型魔導師だが、カケララの目に映るのは、明らかに炎とは異なるものであった。


「なんだ、そのオーラは!」


「紅い狂気、つまりカケラと体を共有したことで、カケラの持つ知識を私は得たの。世界の真実、本当の摂理、つまり真理を知った。だから私の魔法も概念化できるようになった。もちろん、概念化魔法の使い方も真理の中に含まれていて完璧に知った。概念化魔法というのは解釈しだいで何でもできるのよ」


「まさか、そのオーラを概念化魔法で出しているというの?」


「それは少し違うわね。オーラは魔法では出せない。でも、発生したオーラを概念化魔法の解釈しだいで強引に操ることはできる。勇気っていうのはね、振り絞るのに燃え上がるような決意が必要なのよ。まるで炎みたいじゃない? つまり、勇気を炎と同種の概念と見なせば、勇気の白いオーラも炎のように操作ができるということよ」


「ふーん……。いかなる手段でも干渉できないはずのオーラを操作できるってのはたしかに脅威だけれど、そんなことより、私が気にしているのはその白いオーラをどうやって出しているかってことよ! 概念の解釈しだいで操作はできても、発生はさせられないのでしょう?」


 よほどマインドコントロールの鍛錬を積んだのならできなくもないだろうが、そのような実を結ぶか分かりもしないことのためにストイックに鍛錬を重ねつづけるようなバカは、ゲス・エスト一人で十分だ。


「何も不思議なことはないわ。私はね、ずっと戦っているのよ、記憶と。紅い狂気に非道、外道の限りを尽くした暴虐の数々を無理やり見せられつづけた記憶とね。あなたへの恐怖なんか、あなたの生みの親に対する恐怖にまさるはずないでしょう?」


 カケララには納得がいかない。カケララがカケラに劣るのは当然だが、だからといって、いちばん怖いもの以外が怖くないなんてことにはならないはずだ。


 シャイル・マーンが白いオーラを出すのは、まあいい。しかしそれが出る理由に自分がいっさい関与していないのが気に入らない。

 もしも自己完結お嬢ちゃんなんかに負けたりしたら、カケラやほかのカケララたちに合わせる顔がない。


 カケララは理解した。シャイルは自分が本気で挑まなければならない相手なのだと。


「なるほど。狂気に耐性あり、か。経験による慣れに加えて、白いオーラによる抵抗力。加えて私が本家に劣るとなれば、私の精神支配が効くはずもない。けれどね、精神干渉には強さのレベルがあって、高難易度の干渉が無理でも低難易度の干渉なら可能よ」


 カケララが先ほど仕掛けたのは最高難易度の精神干渉であった。

 精神支配。心も体も完全に支配してしまい、別人にしてしまうもの。

 ちなみにいままでのシャイルはカケラにこれをかけられていた。カケラはそれをした上で、あえてシャイルの自我を残すことで地獄を味わわせてきたのだ。


 次点で難しいのは記憶の扉という干渉技だ。

 記憶の世界に閉じ込めてトラウマなんかを強制的に見せつづけるものだが、これは心を覗き見る力も必要なので、能力が分散しているカケララには使えない。


 カケララの知る上位三つの精神干渉技のうちの三つ目は、無幻悪夢という技。

 無限に悪夢を見せつづける技だが、これのタチが悪いところは、術者が見せるという点だ。

 通常、夢というのは見る本人の記憶を元に本人が想像し得るものしか見ることができないものだが、無幻悪夢は術者の思考により生み出されるため、本人では想像しえないような恐ろしい悪夢でさえ見せられるということ。


 これら三つの精神干渉技は、カケララがシャイルにかけるには難易度が高すぎる。

 ただし近いことはできる。


「あんたの魂を拘束できないことは認めるけれど、恐怖を与えることくらいはできる。あんたの思考内に直接映像を送り込めば、あんたはそれを認識せざるをえない」


 シャイルは両手を広げてみせた。

 カケララは攻撃が来るのかと身構えたが、シャイルはそれ以上動かない。それどころか笑っている。冷ややかに。


「私に恐怖を与えられるというのなら、試してみたらいいわ。でも先に断言しておく。私には通用しないわよ」


 シャイルが手を広げたのは、何でも受けとめてやるというジェスチャーだった。

 もちろん、それは精神支配などの高難易度技を受け入れるという意味ではなく、技を出す猶予をやるから効く技があるなら出してみろという意味である。


「馬鹿な娘。自惚うぬぼれを後悔するがいい」


 カケララの目が紅く光った。

 シャイルの脳に映像が流れ込んでくる。シャイルの視界には現実の世界が映りつづけるが、脳内にはカケララの創り出した光景が送り込まれる。

 視界がジャックできていない分を補強するため、カケララは映像に合わせてシャイルに語りかける。まるで怪談の語り部のように。


「ここは光が途絶された漆黒の世界。光の存在しないこの世界では、自分の手すらも見ることは叶わない。真っ暗闇というのはすごく怖いもの。そんな世界に一人の少女が放り込まれた。世界を支配する真っ暗闇が彼女をさいなむ。彼女はその世界に置き去りにされ、ずっと、ずーっと放置された。彼女は真っ暗闇の中に長くいることで、だんだんと自分という存在が分からなくなった。自分が何者なのかを失念し、自分が生きていることを見失って、自分に形があるのかすら分からなくなった。こんな世界だけど、実は赤色だけは見ることができるの。自分を傷つけることでそれに気づいた少女は、赤を見るためにもっと自分を傷つけた。精神を落ち着けるために血を見て、そのときに感じた痛みで生を実感し、したたる血で自分の体の輪郭を浮き上がらせる。少女は自分の体を傷つけつづけた。最初はつらかったのに、だんだんと痛みに酔いしれるようになった。そして……」


 そこでシャイルがさえぎった。

 このとき、もしシャイルがつらそうな表情を浮かべていたのなら、効果ありと見なしてカケララは続けていただろう。しかしカケララはシャイルを無視して続けなかった。

 たしかにシャイルは苦痛そうな顔をしているのだが、それは恐怖のたぐいによるものではなく、つまらない話を聞かされてイライラしている者のそれだったのだ。


 シャイルは鬱陶うっとうしい煙を払うように手を振り、燃え盛る白い炎の中からカケララに冷たい視線を向けた。


「もういいよ、それ。知っているから。血に飢えた果てに生きたしかばねになったって結末よね。私はね、彼女をうらやましいと思ったわ。だって、見たくないものを見なくて済むんだもの。その子が狂っていく姿は、私がカケラに無理矢理見せられた光景の中ではだいぶ優しいほうだった。あなたがその程度の話をチョイスしたことで、あなたの程度が知れてしまったわ」


 カケララにはすぐに返す言葉が見つからなかった。比較対象が彼女の根源であるカケラなのだとしたら、それを上回れるわけがない。先ほどシャイルが言ったとおりの、覆しようのない事実だった。


 カケララが口を閉ざしているので、シャイルが続ける。


「さっきのは無幻悪夢の効果を期待しているんでしょうけれど、意識が顕在けんざいなせいで臨場感はないし、永遠に続くという恐怖もない。それはもうただの妄想なのよ。あなたの陳腐な、ね。トラウマにすらなれない」


 カケララは言われるまでもなく分かっていた。

 本当は体験させたいのに、映像を見せて説明をするということをやっているうちに、その滑稽こっけいさをどんどん自覚していった。

 だから、途中からはあきらめて別のことを考えていた。シャイル・マーンと戦うにあたっての最善策は何か。


「最初、その白いオーラに思わず退いてしまったけれど、その必要はなかったわ。だって、あんたの白いオーラに私が触れたとして、私は弱りはしてもダメージは受けないのだから。もしその白い炎に炎本来の性質もあるのなら、白い炎に包まれているあんた自身が焼かれて無事ではいられない。つまり、少し不快なのを我慢すれば、私はあんたのことを裂き散らかすことができるってことよ。肉弾戦に持ち込めば、私とあんたの勝負はサイとネズミの勝負みたいなものだからね」


「いいわ、来なさいよ。その例えが見当違いだと分からせてあげる」

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