第245話 辛辣な親、劣悪な上司、悪辣な権力者、不憫な子

 諸島連合の島々には、基本的に一つずつの国がある。大陸の国はそれらの小国をまとめて一つの国と見なし、諸島連合と呼んでいる。

 だが実際のところ、諸島連合の国々は互いに親しみを持ってはいないし、協力関係を築いてもいない。むしろ敵対することのほうが多い。

 連合の名は大陸の国が勝手につけた呼称でしかない。


 諸島連合は後進国だ。生活の質は低く、貧しい。治安は悪く、いわゆる民度が低い。隣人のものを気後れなく盗むし、時には強奪する。そのために命を奪うこともあり、そこに躊躇ちゅうちょはない。

 彼らにとっていちばん大切なのは自分自身であり、二番目に食料、三番目に住居、四番目に衣類、五番目に家族。

 諸島連合にもお金というものがあるが、それほど重要視されていない。なぜなら、生きるために人から奪う必要があるのは、お金ではなく食料だからだ。


 大陸人の中には彼らのことを原始人と呼ぶ者もいるが、彼らはそこまで古い人種ではない。

 各国の中心部にはちゃんと三階立て以上の建物が建っているし、水道や便所もある。


 リーズ・リッヒは諸島連合の上空を飛行しながら点在する地上を見下ろしていた。

 彼女の魔法は風の操作型魔法。飛行するのに極めて有利な魔法だ。

 そんな彼女の魔法で彼女の隣に並んで飛行している少女が二人いた。ハーティ・スタックとイル・マリルである。

 この二人は、憎きゲス・エストと親密なリーズのことをこころよく思ってはいなかった。だが、同じリオン帝国の出身であることや、二人と仲良くなろうと懸命に話しかけてくるリーズの様子を見て、ゲス・エストとのしがらみを持ち出すのは気乗りしなかった。

 ただし、リーズの話の内容を聞いていると、彼女とは仲良くなれる気がしないという考えはますます大きくなってもいた。


 リーズは語る。空回りしている自覚はあっても、彼女はそれしかやり方を知らなかった。


「民族性というのは同様な人格が集合した結果として生まれたもので、それは記憶として遺伝子にも組み込まれていくものですわ。結果として、環境が変わっても民族性が急激に変化することはないんですの。つまり、民族性というのは人類が最初に置かれた環境の影響を強く受けており、その後は遺伝によって性質が受け継がれていってその民族性が変化することはほぼない、ということですのよ。それがシミアン王国の高名な民族学者が唱えた民族性初期定着論であり、それが真実であるとシミアン王国民は信じているらしいですわ。しかしながら、リオン帝国のこれまた高名な民族学者が、民族性初期定着論に真っ向から対立する人格臨機適応論というのを打ち立てましてね、人の人格形成には幼少期の環境要因が大きく影響し、遺伝的に継承したものが人格に反映される部分はごくわずかだということらしいですわ」


 ちなみに、リーズがゲス・エストにこの話をしたとき、「その知識は無駄だから捨てろ。行動遺伝学では遺伝と環境が人格に及ぼす影響は半々とされている。それだけ覚えておけばいい」と言われたのだが、さすがにこの二人に対してゲス・エストの名前を出すほど、リーズも空気の読めない女ではなかった。


「あなたって、よっぽど不器用なのね。それだけ知識があるのに、学院だと成績は中の上程度じゃない」


 イルが指摘し、ハーティが同調する。


「そうそう。試験というのは大事な部分が出題されるものなんだけど、その知識量があるのに試験で高得点が取れないってことは、何が大事か分かっていないってことよね。要領が悪いとしか言いようがないわ」


 リーズから見ても、二人の関係はかつてとは少し変わっていた。

 昔のイルはただハーティにつき従っていて自分の意見を言うことはなかったし、ハーティより先に自分の考えを言うこともなかった。しかしいまは、半分くらいの割合でイルが先に口を開くし、ハーティのほうがイルに気を使うことすらある。


 人って変わるものなんだなぁ、なんてことを考え、少なくともシミアン王国発祥の説は信憑性しんぴょうせいが低いなどと考察していた。


「ねえ、あれ……」


 地上の異変にいち早く気づいたのはイル・マリルだった。


 地上では人々が赤い涙を流しながら自分の体を刺していた。拾った杭や折れた棒の尖った部分で、太腿ふとももやら腕やらを何度も何度も刺している。

 その痛さは見ている側としては想像できない。きっと想像を絶する痛さだろう。


 リオン帝国やシミアン王国では、狂気に侵された人々は周りにいる大切な人を襲う。しかし諸島連合の人々が傷つけるのは自分自身だ。

 なぜなら、彼らにとっていちばん大事なのが自分自身だからだ。


「急所を狙わないのは、死なずに自分を傷つけつづけるためかしら」


「紅い狂気に犯されたら死ねなくなると聞いていますわ」


「たとえ死なないとしても、急所がダメージを負えば体が動かなくなるからよ」


「なるほど」


 誰も彼らを助けようとは言わなかった。

 地上にいる諸島民はみんながみんな、同じように自傷行為をおこなっている。自傷行為を防ぐというのは、他者を攻撃する人間を止めるよりも難しいもの。拘束しても自傷のやり方はいくらでもある。

 一人を助けるのにも多大な時間と労力を要するのに、助けるべき人間は何十万人もいるのだ。それよりも元凶を見つけだして討ち取ったほうが早い。それで彼らは狂気の呪縛から解放されるはずだ。おそらくではあるが。


「え、ちょっと待って!」


 いま聞こえた四つの声は、全部声音が違っていた。しゃべったのは一人一回ずつ。

 だとしたら、四人いることになるではないか。リーズ・リッヒ、イル・マリル、ハーティ・スタックの三人しかいないはずなのに。

 空を飛んでいるのだから、通りがかった人が勝手に会話に入ってきたなんてことはありえない。


 地上を見下ろしながら空を飛んでいる三人は、おそるおそる空の方を見た。


「ふふふ、おはよう」


 紅い髪、紅い瞳、紅潮したほお、紅を入れた唇、真紅の爪、紅いドレス、紅い靴。肌は透明かと思えるほどに白い。

 全身真っ赤な少女は、三つの視線を独り占めするように浴びると、左右の口角を吊り上げて笑った。


「きゃあああああああっ!」


「いやあああああああっ!」


 ハーティとリーズが悲鳴をあげ、イルは無言で硬直した。

 リーズの魔法操作が乱れ、風の絨毯じゅうたんが崩れて三人は地上へと落下した。

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