第187話 憧憬との遭遇

 僕はどれくらい気絶していたのだろう。陽の位置からして、そんなに長くは眠っていなかったらしい。

 油断した。見た目は弱そうだし、少女に守られているような奴だからと完全にあなどっていた。

 しかし僕は運がいい。戦闘中に意識を落とすなんて死んでもおかしくはなかったのに、生き残ったのだ。


「さて、と」


 僕は一度ギルドへ向かうことにした。

 手配書にぬいぐるみ型イーターの情報を追加してもらわなければならない。僕みたいな被害者をこれ以上出さないためにも。


 ギルドへは僕の魔法を使えば一瞬だった。連続瞬間移動で一分もかからないうちにギルドに到着した。

 それから僕は建物に入り、受付へと直行した。


「あの、すみません。第三王女の偽物の手配書のことなんですけど」


「捕まえたというのなら本人を引き渡すか、証明できるものを提出してください!」


 細身の受付女性ににらまれた。おそらく賞金が大きいために多くの虚偽報告者が現われているのだろう。僕もその一人だと誤解されたのだ。


「いえ、違います。僕が持ってきたのは情報です。王女の偽物はぬいぐるみ型のイーターを連れていて、そのイーターがとても危険なんです。その情報を手配書に加えてください」


 僕がそう言うと、またしても受付に睨まれた。


「手配書や依頼書の情報変更はその差出人に言ってください。もっとも、第三王女の偽物に関する手配書は王室が出しているものですから、それは無理でしょうけれど」


「じゃあ、あなた方ギルドのほうで情報の更新を要請してください。とても重要なことです。危険なんです」


「ふざけないで! 王室に対して『あなた方の手配書は情報が足りませんよ』なんておそれ多いこと、進言できるわけないでしょう!」


 さすがに僕も少しイラッとした。なんて融通が利かないんだろう。お役所気取りだろうか。


「言い方を変えればいいだけじゃないですか。『新しい情報が入ったので更新させてください』って」


「だぁ、かぁ、らぁ! 我々は王室に対してひと言でも口を利けるような立場にはないってことが分からないんですかぁ? あなた、シミアン王室を何だと思っているんです? 普通は一生のうちで王室関係者を直接見たり言葉を交わすことなんて一度たりともないんですよ。何様ですか、あなた。むしろあなたが依頼書を出せばいいじゃないですか。もっとも、王室が出した手配書に難癖をつけていると見なされて、あなた自身が手配書に載るのがオチだと思いますけどね!」


 すごい勢いでまくし立てられた。よかれと思って進言したのにひどい扱いだ。

 こうなったら、次の被害者が出る前に僕があのイーターをやっつけるしかない。そしてそのイーターを操る王女の偽物もとっ捕まえてやるんだ。

 僕は息巻いてギルドの建物を出た。


「ん?」


 そこであるものを目撃して、沸騰していた僕の怒りは一瞬で蒸発して消えた。

 ギルドの前で見つけたのは、僕が憧れたダース・ホークその人だった。学ラン姿の少年。小説の挿絵と同じ特徴と雰囲気だから間違いない。


 だが、状況は好ましいものではなかった。なんと、あのダースさんがチンピラに絡まれているではないか。

 ガラの悪い男に胸倉を掴まれて難癖をつけられている。黒いロングコートをまとう男の人相は見るからに悪い。


「あーあ、かわいそうに。ダースさんの強さも知らないで」


 僕はチンピラの方に同情した。ダースさんはこの世界で最強の魔導師だ。僕がしゃしゃり出なくても、ダースさんならチンピラを軽くあしらえるだろう。

 僕はもう少し事のなりゆきを見守ることにした。


「俺を怒らせると痛い目を見るぞ」


 いかにもな小物らしいチンピラの台詞せりふに噴き出しそうになった。強いことを言えば言うほど負けたときの恥が大きくなるというもの。哀れな奴だ。

 それにしても、ダースさんはなぜ抵抗しないのだろう。僕のほうがウズウズして、思わず拳を握った。


「なぜ抵抗しない、なぜ抵抗しない、なぜ抵抗しない」


 僕は声をひそめて独り言を早口でつぶやいた。はやる気持ちを抑え、固唾かたずを呑んでダースさんを見つめる。

 そして、僕は一つの可能性に気がついた。


「そうか、ダースさんはお人好ひとよし主人公の典型だから、人のためには怒るけれど、自分のためには怒らないんだ!」


 ダースさんは自分のためにむやみに力を使って相手を傷つけたりするような人じゃない。だったら僕が助けるしかないな。

 ダースさんにいいところを見せるチャンスという打算があることは認めるけれど、僕も人のために魔法を使うことは確かだ。ダースさんは困っている。それを僕が助ける。


 僕は位置の魔法でチンピラの背後に瞬間移動した。

 そして肩を掴もうと手を伸ばしながら声をかけた。


「おい、キミ……」


「俺に気安く触るな」


「えっ?」


 僕の手がチンピラに触れる寸前で止まった。まるで僕の魔法で位置を固定したみたいに、僕は自分の手が動かせない。

 それだけではない。瞬間移動も使えないし、物体を移動させることもできない。いろいろなものに視線を移してみたが、小石すら動かすことができなかった。


「まさか、相手の魔法を奪う魔法!?」


「ぜんぜん違う。そういうおまえは位置の概念種の魔導師だな?」


 さっき、こいつは僕のことを見ずに僕を固定した。もしかしたら魔法ではないのかもしれない。こいつは僕の体を見えない力で固定した後に僕の方を見たのだ。魔導師なら魔法の対象を見なければ魔法が使えないはず。

 だったら魔術師だろうか。それに、僕の魔法の正体を一発で見破ってしまった。その方法は見当がつかない。


「なぜ僕が位置の概念種だと分かった? 心でも読めるのか?」


「おまえの視線だよ。普通、魔導師は魔法を使うために自分のエレメントを探す。例えば鉄の操作型なら鉄以外には目もくれず、鉄を見つけたらそれを凝視する。だがおまえはいろいろなものに一定時間目を留めた。エレメントが限定されていないんだ。だから操作型の魔導師ではないことが分かる。発生型はそもそもエレメントを探す必要がない。だから概念種だと分かる。そしておまえは一瞬で俺の背後に移動してきた」


「そっと忍び寄ったかもしれないだろ」


「いいや、俺は常に周囲の空間を把握している。おまえは間違いなく瞬間移動をした。それに、位置の概念種らしき魔導師が現われたことは以前から察知していた」


 僕は体も動かせないし、魔法で何かを移動させることもできない。

 対して、このチンピラは体を自由に動かせる。


「何なんだよ、おまえ! これは何の魔法だ! 何の概念種なんだ!」


「俺は概念種ではない。おまえ、盲目的に概念種が最強だと思っているだろう? バカめ。強さは魔法の種類だけで決まるのではない。魔法の使い方と状況判断力のほうが重要だ。俺がおまえの立場ならそんな醜態しゅうたいは晒していなかった。己の力を過信し、相手のことをろくに分析せずに突っかかるからそうなる」


 僕を見下す口調、そしてひどく冷たい眼。それらが物語るのは、こいつはチンピラなんかじゃないということだ。

 沸点が低くてすぐに沸騰するチンピラとはほとんど真逆の存在。いかなるときも冷静、冷淡、冷酷。彼には殺し屋みたいな雰囲気があった。


 僕は見えない力に押さえつけられ、地面にうつ伏せに倒された。頭も両手も両脚もベッタリと地面に着き、指一本すら浮かせることができない。

 地面しか見えず、移動させる物や場所を見ることができないので魔法が使えない。

 もっとも、こいつの近くにいると、対象が見えていても魔法が使えない。僕は最初から封じ込められていた。


「ふぐっ」


 後頭部に圧力を感じた。頭を踏まれている。力はさほど込められていない。これは肉体的な攻撃ではなく精神的な攻撃だ。地面に這いつくばらされ、頭を踏みつけにされるなんて、なんという屈辱だ。


「エスト、やめなよ。強者にしか手を出さないんじゃないのか?」


 ダースさんが止めてくれている。この状況ならダースさんが魔法を使っても人助けのためだから悪用にはならない。ダースさんが助けてくれる。ダースさんの闇の魔法が見られる。


をわきまえずに絡んできた馬鹿には、容赦はしても遠慮はしない。身の程を知れ」


 僕の頭への圧力が増す。少しずつ増していく。


「エスト!」


「ダース、手を出したら許さんぞ。まさかまだ俺と互角な気でいるわけじゃあるまいな」


 こいつ、ダースさんのことを知っていたのか!

 しかもその口ぶり、まさか実力はコイツのほうが上だというのか!?


「邪魔だから寝てろ。おまえへの罰をスゴロクに例えて言うと、『誰かがゴールするまで休み』だ」


「うぐぅ、うぐぅ!」


 息ができない。苦しい。痛い。両手両脚が何かに締めつけられる。息を吸っても吸っても呼吸をしていないみたいだ。苦しい。


 僕は、死ぬのか?


 意識が、遠退いていく。


 そして、僕は、僕は……。

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