第165話 第三ラウンド①

 島がうねった。島全体が、その大地が、草花が、木々が、岩や石や砂が、すべてが一体化したようにうねった。


「まさか!」


「そのまさかだ!」


「どのまさかだ?」


「このまさかだ!」


 この島そのものがドクター・シータであり、島の景観は彼の擬態だった。

 島そのものと、島にあるあらゆるものが、一瞬にして真っ白になり、その後、光沢のある黒灰色へと変化した。

 天使狩人の人形と同じく鋼化しているようだ。いや、厳密には鋼ではない。なぜなら流動性を備えているからだ。


 島の各地が盛り上がり、長く、細く、だんだんと伸びていく。

 この能力を魔導師に当てはめて言うならば、液体金属の操作型魔導師といったところか。液体金属はおそらく流動系操作型魔法の最強種だろう。しかも島全体という物量も申し分ない。

 そうなると相性はかなり悪い。だが、その相性は魔導師同士での話だ。イーターが自分の体を使っているのだから、単純な比較はできない。


「このままいく!」


 たかが爪を隠していただけの話。この程度の想定外が発生することは想定内だ。

 だからこそ、俺は空全体を固めて落としているのだ。規模が大きすぎる攻撃だったはずが、妥当な規模に収まっただけのことだ。


 この攻撃でドクター・シータを倒せるかは五分五分ごぶごぶ

 倒せなければ俺に彼をしのぐすべはない。


「ゲス・エスト! 私は明確な殺意を持って貴様を攻撃する。この私を極刑に処してみよ! 死ネェェェェェ!」


 その言葉は島の各地から金属のこすれるような耳障みみざわりな声で合唱された。

 鋼色の流体金属が鋭い切っ先で俺を突き刺さんと伸びてくる。芋虫が葉っぱを食い進むような勢いで、高密度空気の天井にグイグイと遠慮なく食い込み、着実に俺との距離を縮めてくる。


 この伸びてくる流体金属も本体から切り離しさえすれば動きを止めるはず。俺は根元から切断しようと空気のハサミで切りつける。

 しかし流体金属は流動を止めてその場に固まった。硬くて切れない。

 ハサミを入れている部分以外は相変わらず俺への進行をやめない。ハサミの空気密度を上げたり勢いをつけて切りつけたりするが、ドクター・シータの金属触手に切れ目を入れることすらできなかった。


「ウィッヒッヒッヒ。私の硬度のほうが上だと知れたな。私を押し潰そうという腹づもりなのだろうが、いまので私は貴様の攻撃に耐えられることが分かった。詰んだのではないかね、ゲス・エスト?」


 たしかにこれは危機的状況だ。

 俺はこれまでに何度も危機に陥ったが、いまの状況にいちばん近いのはマーリンと出会ったときだろうか。

 ローグ学園の理事長は自分の負った傷を相手に共有し、その後、自分だけは即時再生することができた。彼もまた単純に攻撃が通じない、というより攻撃ができない相手だった。


「ウィッヒッヒ。絶望しているようだね、ゲス・エスト。この私を倒す方法を思いつかないのだろう?」


「いまさらだな」


「いまさら?」


 迫りくる金属流体は速くはない。空気の密度分布を操作して俺自身は空気天井内を自在に動くことができる。

 俺は金属流体から距離を取り、大きな息を吐いた。


「絶望なんか、俺の人生には日ごろから付きまとっているものだ。絶望する余裕をくれるだけ十分に甘ちゃんだぜ、あんた」


「ウィッヒッヒ。そういう強がりは無意味だよ、ゲス・エスト。問題は勝敗のいかんだ。たしかに絶望云々と言って笑ったのは私だが、貴様が絶望しているかどうかは些末さまつなこと。人の絶望は好物ではあるけれども、それに遭遇したところで食えるわけでもないし、私が強くなるわけでもない。もう一度言う。重要なのは勝敗の行方ゆくえなのだ」


「残念ながら絶望は些末なことではないよ、ドクター・シータ。俺に絶望する余裕を与えてしまったことが貴様の敗因になる。俺はこの絶望によって過去の似た境遇から打開策を見つけだすのだ」


「できんのかぁ? どうせ、それも強がり……」


「悪いな、いまのは嘘だ。打開策を見つけだす、ではない。見つけだした、だ」


 俺は空気天井の降下スピードを速めた。その分、密度分布の制御にほころびができやすくなり、ドクター・シータの金属触手も進行スピードを速めた。

 金属触手は十本ほど伸びてきていたが、それらが届かないよう俺は上方へと逃げる。


 ドクター・シータの攻撃は俺には届かない。

 一方、空気天井は島の表面に到達した。やはりドクター・シータは島の体全体を硬化させており、空気圧縮で押し潰すことは無理だろう。

 俺はそのまま空気天井を降ろし、その高さは海抜ゼロメートルへと到達した。さらに降下は進む。海水を押しのけ、ドクター・シータの体である島全体を下方からも包み込む。

 空気天井はなおも降下する。海水をどんどん押しのけ、ついに海底表面へと到達した。


 島は海底付近で空気の上に浮かぶ浮島状態になったが、島は海底と一本の細い柱でつながっていた。その柱もドクター・シータの体の一部だ。

 俺が島を持ち上げようとしても持ち上がらない理由は、単に島という巨大さゆえの重さだけではない。ガッシリと海底にいかりを下ろしているのだ。空への浮上に抵抗している。島の重さと相まって、ちっとやそっとの力ではこれを引き抜くことはできない。


 島の下方にはすでに高密度空気が入り込んでいるが、そこへさらに空気を送り込み、そして押し込む。

 島の下方の空気を限界まで圧縮したところで、海底側半分の空気を解放する。


「ぐぐっ! ゲス・エスト、何をしようというのだ!」


 空気の瞬間的な膨張による爆発。海底が抉れ、めくれ上がり、さらには土、砂、石を吹き飛ばす。

 海底に張っていた金属の根があらわになった。加えて、支えを失った島に瞬間的な押し上げの力が働き、島は跳ねた。さらに島を包んでいる俺の空気が上方へと運ぶ。

 島は海面を飛び出して空へ出た。


「高い所から落として衝撃で殺すつもりか? 無駄だ。たとえ空気抵抗をなくしたり加速させて落下したところで、私の体ならば耐えられるぞ。それに、私は飛べる!」


 金属の体が変形し、超巨大なドラゴンになった。巨大な翼で力強く羽ばたく。


 だが、ドクター・シータは思うように空を飛べない。ただただ上空へと運ばれていく。


「飛べるわけないだろう。翼の動きに合わせ、抵抗を受けないよう空気を流動させている」


 とはいえ、ドクター・シータなら思いもよらない手練手札を思いついて脱出してみせるかもしれない。油断してはならない。


 俺は空気を構成する元素を組み替えることによって毒を精製した。

 その毒とはシアン化水素。人間に対しては絶大な致死力を誇る有毒ガスだが、イーターに対しても弱らせるくらいはできるだろう。

 貴重な水素を消費するので、作るのにだいぶ時間がかかったし、水素を使った爆弾はもう作れない。だが、もうこれで決める。


「毒ガスか!? しかし毒では私は殺せないぞ。私は毒に耐性があるからな」


「毒にも種類があって、一つひとつ種類ごとに耐性が得られるかどうかは異なる。本当に俺の作った毒に対しても耐性があるのか?」


 この世界における科学は、経験的に情報を蓄積し、共有することにより進歩してきた。こと化学反応における情報は、何の物質と何の物質を接触させれば何の反応が起こるという事実を蓄積、共有しているだけなのだ。

 つまり、その理由までは解明されていない。

 だから、俺が生み出したシアン化水素とドクター・シータが出会うのは初めてに相違ない。

 仮に偶然に出会っていたとしても、それがシアン化水素であることをドクター・シータが知るよしもないのだ。


「なにッ!? ポイモズンの毒ではないだと!?」


「ポイモズンなんて知らねーよ。おまえの毒耐性は特定的すぎるだろ」


「世界最強の毒を持つというネームドイーターを知らないのか! 私はそのポイモズンを捕食したのだ。てっきりさっきの私の毒攻撃をストックしていたのだと思ったが違うのか!」


「それはハイリスク・ノーリターンだ。さすがにおまえが自分の毒に耐性があることくらい察しがつくぜ」


 ドクター・シータはドラゴン形態をやめて球状に変形した。そしてウニのように全方向へトゲを伸ばす。鋭く細く硬いそれは、島大の体を包む俺の操作空気を突き破る。

 だが超大量の空気で覆っているため、少しのリンクが切られた程度では彼の拘束は解かれない。

 巨体はだんだんと動きが鈍くなり、あまりもがかなくなった。


「さっきも言ったが無駄だぞ。この種類の毒では私を殺すには量が足りないし、どんなに高いところから地上に叩きつけたところで私の体は耐えられる」


 球状の体の一部に顔が浮かび上がってそう言った。


 俺は天空へと上昇を続ける島級イーターに並列して飛行していたが、ドクター・シータの上昇スピードはそのままに俺は速度を落とした。すると顔が球体の上を滑るように追いかけてきた。

 その顔に向かって俺は言葉を返す。


「そんなこと、一度聞けば分かる。俺もおまえも馬鹿ではない。だから俺は同じことをおまえに言わないが、補足するためにもう一度だけ言おう。俺は絶望によって過去の似た境遇から打開策を見つけだしたと言ったな。その境遇とは、正面から攻撃できない魔術師を相手にしていたときの話だ。攻撃すればすべて返ってきた。だから俺は奴を魔術の圏外まで飛ばした。そして奴はそのまま大気圏外まで旅立ったんだ。おまえの肉塊と同じく、俺の操作する空気も操作圏外まで行ってしまったら操作はできないが、直前の命令は有効だ。上昇しろと命令しておけば、永遠に上昇しつづける。戻すことはできないがな」


 ドクター・シータの視線が進行方向である天空へと向けられる。位置的に上が見えないため、高い所にもう一つの顔を浮かび上がらせた。

 そして、その顔が驚愕してひきつったことが、下方の顔も連動していたためにはっきりと分かった。


「まさか、このまま恒星まで運ぶつもりか!」


「正解!」


 ドクター・シータが無言で最後のあがきを繰り出す。十本の鋭い金属触手がいっせいに俺へと向かう。

 俺はその隙間をかいくぐりつつ下方へ下方へと移動し、そしてついにドクター・シータの触手は俺には届かなくなった。


 やがて、上昇を続けるドクター・シータの姿は見えなくなった。


 だが、まだ終わってはいなかった。

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