第161話 近海の小島

 俺は未開の大陸へと飛んだ。海岸の上空で留まり、大陸を見やった。

 このどこかにドクター・シータは潜んでいるはずだ。ただ、前に見た地図が正確だとしたら、未開の大陸本土は主要四ヶ国がある大陸と遜色のない大きさのはずだ。

 実際、雲の下からでは大陸の向こう岸は見えない。こんな広い領域から一人の人間、もとい一匹のイーターを探すのは骨が折れる。


 俺は大陸から遠くない位置に浮かぶ離れ小島に着地した。

 そこには簡易的な小屋があった。過去に未開の大陸への調査をしようとした者たちが、この島を足がかりとして拠点を作ったのだろう。


 小屋は丸太を組み上げて作られており、その中には仕切りのない大きな部屋が一つあるのみだった。

 内装といえば、これもまた丸太で組み上げた四角いテーブルと、切り株のような形の太い木の椅子があるだけだ。

 いちおう窓はあるが、窓屋根があるだけでガラスはなく風は入り放題だ。


 俺は空気を固めてコップを作り、空気の中から水を抽出し、コップに入れた。それを口に運ぶ。量はわずかだ。それは湿度が低いから少ししか抽出できなかったというわけではなく、純水を飲むと腹を下すので量を抑えたのだ。


「ウィッヒヒ」


「――ッ!?」


 俺は即座に全身を空気の膜で覆った。


「契約精霊が人成して空気の操作力も格段に上がったようですね」


 扉が開き、見覚えのある男が入ってきた。白衣白髪のこの男、その姿はまごう事なきリオン帝国の学研区域の五護臣だったドクター・シータだ。


「いまのおまえは、その姿が本来の姿なのか?」


「どうでしょうねぇ。私自身、自分の本来の姿というのがどういうものなのか分からなくなってしまいました」


 最初に取り込んだメターモのように、奴は常に何かに擬態しつづけているのだろう。

 そうなると奴の精神が元のドクター・シータのままかどうかが疑わしくなってくるが、話し方や薄ら笑いを浮かべる表情の癖からすれば、奴はまさにドクター・シータその人だった。


 俺は警戒心を最大まで高め、部屋の中を見渡した。奴は部屋に入る前に俺の空気操作の様子を見ていた口ぶりだった。奴の分身やら体の一部がどこかに潜んで俺に奇襲をかける隙をうかがっているかもしれない。


「探しても無駄ですよ。あなたはまだ私を見定めることはできません。それに、奇襲するのなら、その前に話しかけたりしませんよ」


「奇襲しないということは、よほど俺より強いという自信があるんだな? それとも、何か取引でも持ちかけるつもりか?」


「ウィッヒヒ。どちらかといえば前者ですかねぇ」


 ドクター・シータはそう答えると、大口を開けて欠伸あくびをした。奴の体はイーターなのだ。イーターというのは欠伸をする性質があるのだろうか。自信の証明のためにわざわざ欠伸をしてみせたという可能性もあるが、奴の場合、わざと隙を作って俺の出方をうかがっている可能性のほうが高い。


「どちらかといえば、ということは、後者の取引もあるってことか。その内容は何だ?」


 ドクター・シータの顔がスッと引き締まった。

 奴の存在感というか、気配が増した。


「実はね、あなたの元契約精霊だったエアさん、私が捕らえているんですよ。殺すも解放するも私の自由。さて、ゲス・エスト、あなたは私にエアさんをどうしてほしいですか?」


 エアが捉えられていることは知っている。だから驚きはない。

 俺の様子から、俺がそれを知っているとドクター・シータも悟ったようだ。


「俺がおまえの提示する条件を飲めば、おまえはエアを俺の選択どおりにするということか? 先におまえの条件を提示しろ」


「世界征服ですよ。ただの人間と動物を除き、すべての魔術師、魔導師、イーターを喰います。もちろん、あなたとエアさんは例外です。協力してほしいとは言いません。邪魔をしないでください」


「嘘だな。おまえは俺に勝つ自信があるのに、そんな取引を持ちかけるのは理にかなっていない。それに、エアを殺すにしても解放するにしても、おまえがその約束を守るなんて俺が信じるわけがない。互いにいかなる拘束力も発揮できない俺とおまえとでは取引なんて成立しない。おまえは俺がエアをどうしたいか知りたいだけなんだろう? いざというときの切り札にするために」


「なかなか鋭い洞察力をお持ちですね。でも、切り札というのは違いますよ。私はたのしみたいだけです。人間どもの憎悪が交錯する様をね」


「単なるゴシップ好きか。エアが俺を憎んでいるかどうかは知らないが、少なくとも俺はエアを憎んでいない。嫌悪もない。だから憎悪が交錯することはない」


「だったら、あなたはここへ何をしに来たんです? まさか、単に私を狩りに来たとでも?」


 ドクター・シータの丸くなった目は、命を賭けてまで格上に挑みに来るなんて酔狂だ、とでも言いたげだった。だが、さすがの俺も酔狂さだけはドクター・シータには敵わない。


「いいだろう、教えてやるよ。俺はエアを助けに来たんだ。おまえは俺がエアを殺してほしいと頼むことを期待していたか? 残念だったな。俺は天邪鬼だが、だからといって逆を張っているわけではないぞ」


「なんだね。さっきは警戒してその情報を公開しなかったではないか。まさか、私にも天邪鬼なところがあることを見越して、私を逆方向へ誘導しようというのかね?」


「俺とおまえは似ているところがある。もし俺がおまえなら、最強の魔術を得るために、魔術を奪う能力を得るまではエアを殺したりしない。つまり、おまえは最初からエアを殺すつもりも解放するつもりもなかったんだろう? だから、エアは俺に対する人質にはなり得ない」


 ここまでつまびらかになったいま、俺とドクター・シータの間にエアを巡る駆け引きは存在しなくなった。

 ドクター・シータがエアを守りきるか、俺がエアを奪い返すか、エアを賭けた二人の一騎打ちの真剣勝負。純粋な強さ比べ。


「さあ、始めようぜ。互いに世界でいちばん力で捻じ伏せ、ひれ伏せさせたい相手が目の前にいるんだ。やることは一つしかないぜ!」


「いいでしょう。望むところですよ。ウィッヒヒヒ!」

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