第159話 偵察

 俺とダースはザハートに護神中立国の様子を覗きに来ていた。

 共和国のとある場所にある洞窟内に隠れひそんでいる学院生たちを安全な護神中立国に避難させたいが、エアはそれを予測して先回りしている可能性が高い。


 入国さえしてしまえば、たとえエアが盲目のゲンを突破できたとしても、護神中立国内での攻撃行為はできない。それは神に対する直接の冒涜ぼうとくにほかならないからだ。

 理性のないはずのイーターですら犯さない禁忌を犯す奴がいるとしたら、異世界から迷い込んだばかりの無知な人間くらいのもの。


 俺の予想ではエアは護神中立国の関所たる鳥居前で堂々と待ち伏せしているはずだったが、そのエアはいなかった。それどころか番人である二人の巫女の姿もない。


「おい、誰もいねえのか?」


 誰もいないのかを確かめるには、鳥居をくぐろうとするのが手っ取り早い。

 俺は力強く地を踏みしめて、護神中立国の国境をまたごうと歩を進めた。だが、寸前で周囲から集まってきた水が塊となり、人型となった。その水人形が両手を広げて通せんぼをしている。

 その背後にゆっくりと横から姿を現したのは、白い拳法着に身を包んだ盲目のゲンだった。


「入国の目的は?」


 盲目のゲンはかすれた声でそうつぶやいた。


「おい、まさか入国するのにあんたの面接を受けるのか? あの巫女たちはどうしたんだよ」


「イーターの毒にやられて休養を取っている」


ばち当たりなイーターがいたもんだな。ま、俺も大概だが」


 そのイーターは盲目のゲンに瞬殺されただろう。死骸が近くにまだ転がっていないかと辺りを見渡してみるが、それらしきものはない。その代わりに地面がめくれた跡のようなものが目についた。


「魔術師かイーターを捜しているのかね? それなら護神中立国内にはいない。魔術師をイーターが連れ去った」


 たしかに俺は魔術師を捜してここまで来た。正確にはエアが待ち伏せていないか確認するためだ。

 しかし、イーターに連れ去られたとなると、そんなマヌケな魔術師がエアだとは思えない。


「その魔術師の名前は分かるか?」


「エア。イーターがそう呼んでいた」


 知性を持ちしゃべるイーター。

 通常のイーターなら狩った得物はその場で食すが、そのイーターはエアを連れ去ったのだと盲目のゲンは言った。

 あのエアを……。

 そんなことができるイーターがいるとしたら……。


「ドクター・シータ!」


「そう、そのイーターは帝国の学研さんの名を名乗っておったな」


 ドクター・シータは巨大海中イーターに食われたはずだった。だが、ドクター・シータはイーターを捕食してその能力を得る能力を持っていた。

 つまり、ドクター・シータは捕食勝負に勝ったのだ。そして巨大海中イーターの力をも得ている。その脅威はアークドラゴンどころではない。

 イーターの生態系は未知な部分が多いとはいえ、ドクター・シータが最強のイーターとなったことは疑う余地がない。


 俺の隣で大きな溜息ためいきが漏れ聞こえた。

 ダースの溜息はうれいというよりも、どこか安堵の色を帯びていた。


「エスト、聞いてくれ。これまで僕はさんざん君の非道さ、外道さ、下衆げすさをたしなめてきたけれど、今回ばかりは綺麗事を口にするつもりはないよ。僕は君の考え方に賛同し、解決に尽力する」


「気持ち悪いな。どういう風の吹きまわしだ?」


「理念は変わらない。世界の危機だから仕方のないことなんだよ。エアさんを捕らえたのが話の通じる相手でよかった。ドクター・シータにエアさんを殺してもらおう」


 ダースのその言葉を聞いたとき、瞬時に先手を取るかどうかという考えが俺の脳裏を何往復か駆け巡った。刹那のうちに空気が張り詰め、気づけば俺はダースをにらんでいた。


「それは駄目だ。エアは助ける」


「えっ!? 何を言っているんだ! エスト、いつもと逆じゃないか! 本気の殺意に対しては極刑だと言って制裁を加えてきたはずだろ。なぜエアさんを助けるだなんて言うんだい!」


 ダースは目を丸くして、俺の考えがサッパリ分からないことを両手を上げて知らしめた。


「エアを倒すのは俺だ。イーターごときには譲らない」


「そんなこと言っている場合か! 世界の危機なんだよ! 悪いけど、今度ばかりは譲れない。僕は一人でみんなの所に戻り、君が暴走したと伝えるよ。みんな必ず僕の考えに賛同する」


 怒気を含んだ視線を俺に向けて口も体も動きを止めたが、それの意図するところは、俺に考えを改める時間を与えているということだ。

 しかし、当然ながら俺は自分を曲げない。


「好きにしろ。だが、俺は絶対にエアを助ける。それを邪魔するなら、おまえたちにも容赦はしない」


「まさか、世界を敵に回すつもりかい!?」


「それは違う。俺が世界を敵に回すんじゃなくて、世界が俺を敵に回すんだ。世界が俺の敵に回るっていうのなら、俺は容赦なく世界を滅ぼす。覚悟しろと伝えておけ。おまえたちの選択は自由だが、選択肢は俺が用意する。選択肢は二つだけだ」


 一つ、エアを殺そうとして俺の怒りを買い、俺に挑んで世界を滅ぼされる。


 一つ、エアを助けて俺がエアを倒すことを信じる。


「君の陳腐ちんぷなプライドのために世界を危機にさらすなんて考えられないよ!」


「俺はエアにリベンジしたいと思っているが、エアを助けるのはプライドのためじゃない」


「じゃあ何のためさ! それに、君がエアを倒せる保証はないじゃないか!」


「俺を信じるかどうかはおまえたちが決めろ。俺はもはや選択する側ではない。俺はエアやドクター・シータと同じく、選択肢の構成要素だ。俺の行動はもう決まっている。おまえたちが選択するのは、おまえたち自身がどうするかだけだ」


 ダースは押し黙った。俺の言葉を理解し、俺がエアと同じく脅威の一つでしかないことを理解したようだ。

 だが、選択しだいで俺のことは味方につけることができる。こんな分かりやすい正解があるというのに、その選択を悩むということは、選択肢の構成要素について理解が足りていないのだ。

 仕方ないので、情けをかけてやることにした。具体的には、ダースが見落としている重要なことを教えてやることにした。


「ダース、一つだけ忠告しておく。ドクター・シータに話が通じると思うな。奴はマッドサイエンティストだ。素直におまえたちの頼みを聞くわけがないし、世界を滅ぼすのはエアでも俺でもなく、ドクター・シータかもしれないぞ」


 ドクター・シータにエアを殺してくれと頼んだところで、素直に従うわけがない。そんなことを頼みでもしたら、ドクター・シータはそれ叶えることをダシにさまざまな要求を出してくるだろう。

 ドクター・シータはエアを解放することでも世界を崩壊させられるし、エアを使わなくとも、自身の力で世界に大損害を与えられる。奴はそれほどの力を手にしたのだ。


 逆にエアを解放しろと要求したらどうだろう。それについても従うわけはない。おそらくエアの魔術が欲しくて生け捕りにしているはずだ。

 いまの段階では魔術師を捕食しても魔術を得られないから、すぐに捕食せずに生け捕りにして連れ去ったのだ。魔術師の魔術を奪う能力を持ったイーターを探し出し、そいつを捕食してその能力を得るまで飼い殺しだろう。


「この話は持ち帰ってみんなと考えることにする」


 ダースは闇でワープホールを作り、一人で入ったところで闇の穴を消した。


 俺は空を飛んだ。関所を通らず上空からリオン帝国内へと侵入する。

 侵入であって潜入のつもりはない。見つからずに入りたいわけでもないから高度低めで飛行する。

 帝国人なら俺のことは知っているので、わざわざたたり神に触れるような真似をする者はいない。


 俺は商業地区の中心部へと降り立った。

 目的は服を新調すること。前の服は背中が焼けて穴が開いていた。さすがにもう着られない。


 ここは商業地区の中心地だけあって、商業施設がずらりと並んでいる。その中でも大きめの店舗を選び、敷居をまたいだ。そして、デザイン重視の直感で選んでいく。

 俺の元の世界ほど科学が発展していないので、機能性についてはどれを選んでも五十歩百歩というものだ。


 俺が選んだのは、まずは黒いTシャツ。それからカッターシャツだった。いや、カッターシャツのような白いシャツだ。滑らかな肌触りで、俺はえりを立てそれを着た。

 そしてその上から黒いコートを羽織る。ウールのような素材で作られた黒いコートは、ジョージアの民族衣装のチョハに似ている。ベルトに剣の差込口が標準装備として付いている点がチョハと同じで気に入った。細剣ムニキスを差すのにちょうどいい。胸には本物のチョハとは違って弾帯はなかったが、小物を入れられるポケットが四つほど付いていた。


 下はタイトな黒いロングパンツに、黒のロングブーツ。すべて上着のコートに合わせたものだ。


「うむ、形から入るのもアリだな」


 すべて購入するとさすがに金がかかったが、ギルドでイーター退治の依頼を一つか二つこなせば簡単に取り戻せる。


 身だしなみを整えたことで気合が入った。気合を入れる必要があるほどに覚悟のいる相手だと俺は認めているのだ。

 その相手はドクター・シータ。最強のイーターだ。


 俺はエアより先にドクター・シータと戦わなければならない。

 それはもちろん、エアを救い出すためだ。エアを救い出し、そしてエアに勝負を挑み、勝ったあかつきにはエアに言ってやりたいことがあるのだ。

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