第151話 人成①

 リオン帝国から黄昏たそがれ寮に戻ったときには昼を過ぎていた。

 いまさら授業を受けに学院におもむくほど俺は真面目な人間ではない。授業は休んだのではなくサボったのだ。

 急激な眠気が押し寄せてきて、俺は床にいた。


 俺が目を覚ましたのは、空をだいだい色に染める黄昏時であった。

 俺の部屋は天井と壁が一部壊れていて、時間帯によっては日光がもろに室内を刺してくる。この時期のこの時間帯はまさにそれで、俺が目を覚ましたのも目蓋まぶた越しに強烈な光を感じたからだった。


 しかし、俺が起きて最初に見たのは外の景色ではない。逆光に照らされた人影だった。

 俺は寝るときは部屋を空気の壁で覆うため、誰かが室内に侵入することはできない。だから、その人影の正体として必然的に一人の少女が導き出される。


「珍しいな、エア。俺が呼んだわけでもないのに顕現けんげんしているなんて」


 俺が上体を起こしてエアにそう話しかけると、エアが俺に近づいてきて、さらに顔を近づけた。


「うん。これで、契約完了だから」


 エアの顔がさらに接近し、その唇が俺の唇に触れる。


 柔らかい。柔らかいが、それは空気の柔らかさだ。

 エアはいまとなっては完全に人間の少女の容姿となっていて、本物の人間と区別がつかない。ただ、実際に彼女に触れると、彼女が空気であることを実感する。


 二つの唇が離れ、エアは身を引いた。俺がエアの顔をボーっと眺めていると、エアはニコッと微笑んだ。

 そして、彼女の身体はうっすらと発光しはじめる。

 純白の長髪がキラキラと輝いてとても綺麗だ。白い光が陽光の黄色を押さえつけようとしているかのように、だんだんと強く、鋭く、光量を増していく。

 そしてピークを迎え、ひときわ眩しいと感じて腕で光をさえぎった。

 その発光は一瞬だった。

 光はみるみる退いていく。

 腕を下ろすと、雰囲気がさっきと変わっているエアの姿があった。


 少し大人びた。

 脇まで伸びる長い黒髪、大きな黒い瞳、小さく尖った鼻、瑞々みずみずしい桃色の唇。透き通るように白いほおもまた桃のようであった。


 精霊のときは十代前半相当の少女だったが、いまは十代後半相当となっている。

 身長は俺と同じか少し低いくらいだろうか。華奢きゃしゃそうな体だが、凛としたたたずまいは帝国の騎士を想起させる。

 服は相変わらず白いワンピースのみだが、彼女のかもし出す空気からすると別人に見えた。


 精霊のときは空気で作ったワンピースを着ていたが、人成してもそのワンピースが消えないということは、人成の準備として本物のワンピースを着ていたのだろう。用意周到だ。


「人成、したのか……。おめでとう」


「ありがとう」


 俺はベッドの枕元にあるチェストの引き出しを開け、そこから小箱を取り出した。

 その箱を開け、中から取り出したものをエアの髪につけ、鏡を見せてやった。


「これは……?」


 髪飾りだ。

 弓なりな羽の形をしたダイヤモンドの枠の中に、星型のブルーダイヤとピンクダイヤがはめ込んであり、星の形をした小さな金がアクセントとして表面に載っている。


 この世界では転移前の世界とは違いダイヤモンドが安い。加工も炭素か石かを操作できる魔導師がやっているのだろう。だが、金が載っている分、この星羽の髪飾りは少し値が張った。


「人成祝いだ。そろそろだろうと思って用意しておいたんだ。買った後にまだかまだかとだいぶ待つ羽目になったがな」


 エアは鏡を覗き込みながら、しきりに髪飾りを触っていた。


「……ありがとう」


 エアはそう言ってから、俺の方に向き直った。

 そして、ニコリと微笑んだ。


 そのとき、俺は空気の異変を感じ取ってとっさに飛び退いた。

 ベッドがスッパリと切断され、骨格をなす金属と床石が衝突音を立てて、ベッドは「く」の字になった。


「おい、なにしやがる!」


 そう驚いたようなことを言いつつも、実は警戒していた。エアという魔術師を。

 それはエース大統領の預言があったからだ。

 俺を打ち負かすほどの魔術師が現われるという預言。そんな奴が現われるとしたら、それはきっとエアだろうと踏んでいた。

 だから俺は、エアが人成するときには空間把握モードを展開して最大限の警戒をしておこうと決めていたのだ。


「私は人成した。あなたは用済みよ。消えて」


「…………」


 聞き捨てならない暴言が聞こえたが、俺はその事態を受け入れるより先に自分の耳を疑った。

 エアの真意が分からない。

 俺を襲う動機が分からない。

 俺とずっと一緒だったくせに、そんなリスキーな行動に及ぶほど愚かに育つはずがない。

 彼女の言葉を曲解せずに間に受ければいいのだろうか。彼女はいつも愚直に素直だった。

 それが魔術師となったいまも同じかは分からない。


 理由がどうあれ、俺は契約を完遂させて彼女を立派に魔術師にしたというのに、その俺に対して致死レベルの攻撃をしかけてくるなど許されることではない。

 俺は殺意に敏感だ。


「まるでメスのカマキリだな。カマキリのメスは交尾した後にオスを食うらしいからな」


「一丁前なことを言っているけれど、あなた、童貞じゃないの」


「…………」


 煽り耐性は高いつもりだったが、いまの言い回しはさすがに頭に来た。特に「一丁前なことを言っているけれど」という枕詞まくらことばが妙に刺さったのだ。


「分かった。いいだろう。エア、おまえを極刑に処す! 覚悟しろよ。いや、覚悟なんてしなくていい。おまえが覚悟しようがしまいが関係なく極刑に処す」


 もっとも、処す前に理由だけは確認してやる。理由しだいでは獄刑もあり得るし、逆に情状酌量じょうじょうしゃくりょうもあり得る。


「あなたでは私に勝てない。そんなに頭に血が昇っていたら、なおさらね」


 即座に空気の刃を二回放ったが、エアはそれを水中の魚のように軽くかわした。

 俺は空間把握モードのためにリンクを張っていた空気を手元に集めはじめた。しかし空気の動きが鈍い。

 その原因には察しがついた。エアもまた空間把握のために空気へリンクを張っているのだ。

 エアのリンクを奪うことはできないし、エアが俺のリンクを奪うことはできないようだ。

 つまり、先にリンクを張った者勝ちということになる。


 俺は即座に空を見上げ、見渡す限りの空気にリンクを張った。

 しかし、リンクを張れたのは半分程度だった。残りはおそらくエアがリンクを張ったのだ。

 魔法を使う技術は五分ごぶといったところだろう。


「執行モード!」


 俺は空気を集めて身を固めた。柔と剛を兼ね備える空気の鎧。このモードの俺に近接戦闘で勝てる人間などいない。

 この大きく開いたアドバンテージを、エアのひと言が帳消しにした。


「執行モード」


 俺と同じ技をエアが使ったのだ。

 執行モードは俺がオリジナルのアイディアで編み出した技で、しかも難易度の高い技なのだが、それをいともたやすく模倣もほうしてしまった。

 試しに殴りかかってみるが、エアは俺の拳をきっちり受けとめた。口先だけの模倣ではない。実際に執行モードを発動している。


「それにしても……」


 俺にはさっきから気になっていることがあった。

 そして、俺の中でくすぶっていた小さなボヤは明確な大火たいかとなった。

 その何より重要で大きな疑問を、俺は口にする。


「おまえ、なんで魔術師になってもまだ魔法が使えるんだよ」


 さっきベッドを二つに割ったのは、たしかに空気の刃だった。それも金属を切断するほどの、極めて質の高い魔法だ。空気の操作型魔導師である俺には分かる。それに執行モードも空気を操作できなければ成立しない。

 一般常識として、精霊が人成して魔術師になったら、その者は新しく魔術を得る代わりに、精霊だったころの魔法は使えなくなるはずだ。

 魔法が使える魔術、そんなものが存在するのだろうか。


「教えない。あなたに情報を与えない」


 俺のことをよく分かっていやがる。ということは、エアが精霊だったころの記憶も引き継いでいるということ。

 精霊時のエアには俺への感謝はなく、恨みがつのっていたということなのか。

 俺が使ったことのある魔法はすべてエアも使えるだろう。魔法の技術とパワーはほぼ互角。だったらいかに新技を編み出すか、または既存の技の使い方をひねるか、おそらくはそういったアイディア勝負になる。

 幸いなことに、新技はいくつか考えてあった。一度使えば模倣される可能性が高いので、出し時が重要だ。


 まずはどんな技でも出せる状況を作らなければならない。

 その最低限の条件は空に位置取ること。どんな技でも繰り出せるように、見渡す限りの大量の空気に即座にリンクが張れる必要がある。

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