第148話 ゾロ目⑦
宙に放り出された三つのサイコロは、重力を追い越してストンと卓上に着地した。綺麗に三つ整列している。
出目は1、3、5。奇数連番である。
「もはやギャンブルでも何でもありませんね」
「そんなこと言って大丈夫か?」
「え?」
ゲス・エストの指先から放たれた空気の玉が、自身の髪をかすかに揺らした。
「半分……、いや、一割程度だ。ずいぶんと刻んだな。それほど刻む必要があるということは、つまりそういうことだよな」
これまでのすべてがゲス・エスト自身に魔法が跳ね返っている。彼の視線を受けるロコイサーは居心地が悪いが、こうなることは最初から覚悟していた。ゲス・エストだってそれを予測しているから、弱い魔法しか発動していない。ゾロ目が出る心配はないため、ずっとそれを続けることができる。
しかしこれは決して
「ほら、次だ」
ゲス・エストに促されてロコイサーがサイコロを放ると、ゲス・エストの宣言どおりサイコロは磁石のように卓上に吸いついた。しかも出目はしっかりと操作されている。
今回の出目は2、3、5。
「一部連番で、連番と孤立番号の大小がさっきとは逆のパターンだ。自身に八割増しの効果といったところか」
ゲス・エストは魔法を発動し、自身の髪の揺れ具合から出目の効果を分析した。そして彼はロコイサーにサイコロを促し、次々に出目の効果を暴いていく。
1、4、6の雑番。1、1、3の一部同番。1、3、3の一部同番の大小逆パターン。その三パターンとも魔法はゲス・エストへと跳ね返った。それらの違いは魔法が何倍になるかだけだ。
「
「ルールは守っている」
ダイス・ロコイサーに悪びれる様子はない。開き直っている。
ゲス・エストのほうも、それが想定どおりという様子で、それに関して怒っているということはなさそうだった。
「残りは二パターンだけだ。偶数連番と、ゾロ目のな」
偶数連番。本来であればゾロ目が出る確率と同じ確率。1/36という低い確率。
だが、ゲス・エストの魔法により、次のターンは確実に偶数連番が出る。
「さあ、振れ」
「ま、待って! 十秒だけ待ってください!」
ダイス・ロコイサーが右手に握ったのは、サイコロではなく箱だった。白地なところはサイコロと同じだが、黒い点ではなく黄色と緑の渦巻き模様をしている。
その箱の蓋に左手の指をかけた。だが、それ以上は動かない。
「キーラか?」
「ええ、まあ。いまのキーラさんは私が気絶させた状態のままです。だから、また魂を吸えば人質に取れると考えまして」
汗を
ロコイサーの体はゲス・エストの操作する空気に包まれ、強制的に動かされる。
箱から左手を離し、右手は箱を放り出し、三つのサイコロを握った。そして振る。
サイコロは相変わらず卓上に吸いつくように素早く目を出した。
出目は2、4、6の偶数連番。
すべての出目の中で少なくとも一つは親のロコイサーに効果を及ぼすパターンが存在する。そして効果が確認されていないのはゾロ目と偶数連番のみ。
だがゾロ目は出た瞬間に強制的に子側を気絶させるということをキーラ戦でロコイサーが発言しており、ゾロ目の効果はそのときから変更していないということを、嘘をつけないルール説明時に明言している。
だとしたら、偶数連番がロコイサーに魔法効果を及ぼす唯一の出目ということになるのだ。
その偶数連番がいま、ここに出ている。
「ああ、ああぁ……。私に何を命令する気だ。よりによってゲスと悪名高い相手に負けるとは。ああ恐ろしい。しかし、やるならやれ。賭け金として互いの身の安全を保証したが、もしこのターンで私を殺してしまっても、それは決着前のことでルールの範囲内だ」
ロコイサーは歯を食いしばり、両手で上体を支えて顔を下に向けた。
ゲス・エストは手のひらをロコイサーに向け、空気を操作して束ね、そして……。
「
ゲス・エストの言葉を聞いてロコイサーが顔を上げたとき、ゲス・エストの髪が揺れていた。
偶数連番の効果もゲス・エストへと跳ね返るものだった。
「なぜだ! なぜ加減した! 確実に私へ魔法が及ぶことを確かめて、次で強い威力の魔法を使うつもりだったのか! そこまで用心深い男だったというのか!」
もしもロコイサーを気絶させるレベルの魔法を放っていれば、ゲス・エストのほうが気絶して負けていた。
そうなるようにダイス・ロコイサーは誘導してきたのだ。すべてはこの一回のためだけに用意した仕込みだったのである。
しかし、アテは盛大に外れた。
少なくとも一つはロコイサーに攻撃が当たる。だからゾロ目がそれであることが確定した。
同時にゾロ目が子側の負けになるという話も嘘である事実が
ロコイサーがゾロ目に出てほしいと振舞っていたのは、相手にサイコロを操作させてゾロ目が出ないようにするためのハッタリだったのだ。
「おまえの振舞いは寒い茶番だったぞ、ダイス・ロコイサー。俺は最初からゾロ目の効果を疑っていた」
ダイス・ロコイサーの脳裏に過去の会話がよぎった。たしかに、ルール説明のときにゲス・エストはゾロ目について質問していた。
ゾロ目の効果を直接訊かれたらまずかったが、キーラのときと同じかどうかで答えられたから、嘘をつかない制約を守って説明することができた。
「ヘタクソ。俺なら、ゾロ目以外に相手にほぼゼロ倍の魔法効果を及ぼすパターンを潜ませておく。ま、それがあったところで俺の勝ちは変わらないがな」
「なぜゾロ目の効果が私のハッタリだと分かったのですか?」
諦めたのか、ロコイサーの口調は元の丁寧なものに戻っていた。
あるいは、さっきは単に激情に駆られた演技をしていただけかもしれない。
「ゾロ目の効果については、キーラ戦のときから気になっていた。なぜゾロ目だけ効果を明かした? 言えば相手が妨害するだろう。言わなくても効果は発動するはずだから、隠していたほうが妨害されずにゾロ目の出る確率も増える。つまりおまえは、ゾロ目が出てほしくなかったんだ。そして、俺とのゲームでのルール説明時に確信した。俺がゾロ目の効果について質問したとき、おまえは質問を突っぱねずに俺に回答した。ゾロ目についてだけ教えるのは不自然だから答えたくなかったはずだが、ゾロ目の効果を隠してしまうとハッタリが使えなくなる。そのハッタリは俺に勝つための生命線になり得る。だから教えざるを得なかった。それに、ゾロ目の効果そのものは今回のルール説明上では言っていない。今回のルール説明で嘘をつけないという制約により、逆に俺を勘違いさせられると考えた。そうだろう?」
ゾロ目のハッタリは相手に出目を操作させてなんぼだが、期待とは裏腹に、キーラのときはキーラが出目の操作を思いつかなかったし、思いついても実行できそうになかったため、普通のギャンブルになってしまった。
もしゾロ目が出そうになったら、ロコイサーは机を叩くなどして防いだだろう。
「魔法の制約強化は御存知ですか? 自ら制約を設けることで、魔法の効果を強化するものです。応用の利きやすい概念種の魔法においては、そういった制約強化の効果は非常に大きいものになります。ゾロ目について効果を明かしておくことで、その効果を強力なものにするという制約強化だったとは思わなかったのですか?」
「ゾロ目の効果以前に、相手の魔法を絶対的な力で操作するにはおまえの制約では足りない。おまえは的中の概念の魔法をサイコロにしか使わないことを制約としていると言ったが、それはギャンブルやゲーム以外でも使えるのだから少し緩い制約だ。リスクを負わなきゃ制約じゃない。相手の魔法への絶対干渉となると、もうひと押し必要だろう。だから、より高度な制約にするために、絶対に出てはいけない目が存在するというリスクを自ら負った。それがゾロ目というわけだ。どうだ? 『的中』したろ?」
ロコイサーは答えなかった。
まだ諦めてはいない。ゲス・エストに少しでも情報を与えてはならない。
このままでは次のターンで負ける。どうにかしなければ。
考える時間が欲しい。
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