第142話 ゾロ目①

「ギャンブルはお好きですか?」


 その男は突然やってきた。平日の夜更よふけのことである。


 男はグレーのパーカーのフードを目深まぶかに被り、黒いジーンズに両手を突っ込んで、あかつき寮の玄関前に立っていた。不審がる面持おももちの寮母を、うつむいたフードの奥で下から見上げるようにじっと見ている。


「あのぉ、どちら様ですか?」


 どういう意図があるのか、男はたっぷりと間を開けてから答えた。


「私の名前はダイス・ロコイサー。ギャンブルを生業なりわいとしている者です。人は私のことをこう呼びます。ザ・ギャンブラーとね」


 明らかに不審者だ。退去願いたい。

 ギャンブルなど健全ではないたしなみを持ち込まれては魔導学院生たちの風紀や価値観に害を及ぼす。

 だいいち、いまはすでに就寝時間を過ぎている。


「申し訳ありませんが……」


「いいえ、お構いなく」


「え?」


 お構いなくとはどういうことか。お帰り願おうとしたのに、勘違いしておもてなしを遠慮したのだろうか。


「もう九十七回目なんですよ」


 男はそう言って、ポケットから取り出した三つのサイコロを振った。

 木目の床にカラカラと小気味のいい音を響かせて転がった四角い物体は、それぞれ黒い点が二つ、三つ、四つ刻まれていた。


「おお、連番とは幸先さいさきがいい。通してもらいますね」


 寮母は止めようとしたが、意思とは裏腹に道を空けて男が通りすぎる様をただ見送った。意識と行動に差異が生じているが、不思議と焦燥や違和感はない。追いかけなければと思いながら、寮母は自室へと戻っていった。


 男はというと、足音を殺して廊下をゆっくりと進んでいた。

 就寝時間はとうに過ぎており、あかりはいていない。窓から差し込む星明りを頼りに、忍び足で目的の部屋を探す。

 扉の前に立ってはネームプレートをまじまじと見つめる。それを何度か繰り返し、ようやく目的の部屋に辿り着いた。


 キーラ・ヌア。


 ネームプレートにはそう書かれていた。

 男はそっとドアノブに手を伸ばし、ゆっくり力を加える。そしてドアを引くが、しっかりと鍵がかかっていて開かなかった。淡い期待はあったが、想定内でもあった。


 ――コンコン。


 しずかに部屋をノックする。

 反応がない。

 男は少しずつ音を大きくしてノックを繰り返した。


「もう、なによ!」


 開かれた戸口に少女が立っている。

 ピンクのモコモコナイトキャップの隙間から垂れる美しい金色の髪が、星明りに照らされてキラキラと光っている。透き通るような柔肌やわはだが紅潮して膨れている。

 しかし、少女のほおはあっという間にしぼんで青ざめた。次の瞬間にはマンドレイクさながらの甲高い悲鳴が響き渡ると見て、男はとっさに少女に飛びかかって口をふさいだ。


「静かに! 私は暴漢ではありません。乱暴なことはしいないので、話を聞いてください。いいですね?」


 口を塞ぐ男の手が鼻にもかかり、少女は息ができなかった。苦しいので必死にうなずいてみせた。


「はぁ、はぁ……。あなた、誰?」


 床にペタンと座り込んだ少女は、ナイトキャップとおそろいのモコモコピンクのパジャマにくるまれていた。

 子供向けの寝巻きだと思われるが、彼女の背が低いためと、童顔も手伝って、よく似合っていた。


「キーラ・ヌアさん、あなたはギャンブルはお好きですか?」


 キーラは息を詰まらせた。

 こんな夜更けにわざわざ訪ねてきたので、どんなに重要で緊急な要件なのだろうと身構えたのに、別の要因で身構えることになった。

 やはり変出者だ。不審どころではない。どう考えても危ない人間だ。

 地味な色のパーカーを目深に被っている男が健全なわけがない。


 キーラは今度は反射的にではなく、意図的に悲鳴をあげようとした。

 男は再びとっさに飛びかかり、キーラの口を塞いだ。


「叫ばないでください。私は暴漢ではありませんが、あなたしだいで暴漢にならざるを得ません。言っている意味が分かりますね?」


 男はチラとベッドの方に視線をやった。ベッドには小さな少女が壁の方を向いて寝ている。

 キーラは観念して、再び激しく頷いた。

 男はゆっくりと手を離した。


「あんたもマーリンが狙いなわけ? 言っておくけれど、マーリンの力はいまとなってはエストしか引き出せないわよ」


「承知しています。ちゃんと彼にも会いに行きますから」


 男は立ち上がり部屋の灯りを点けた。


「いったいあんたは何者なの? マジックイーターの残党?」


 キーラは床に尻を着いたまま男をにらみ上げた。

 男は愛想笑いを浮かべたが、表情とは裏腹にその視線はどこか冷ややかだった。


「私の名前はダイス・ロコイサー。ギャンブルを生業としている者です。私は決してイーターなどではありません。ザ・ギャンブラーという愛称で知られているのですが、聞いたことはありませんか?」


 この男はマジックイーターというものを知らないらしい。マジックイーターではなさそうだ。

 キーラはそう考えた。だが、マーリンをさらいに来た時点で悪者には変わりないし、マジックイーターと区別する必要性すら感じられない。


「はぁ。なんでこう悪人が多いのかしら。あいつは喜ぶかもしれないけれど、それが私のところに来るのは本当に迷惑」


「マーリンちゃんを渡してくれたら、すぐにでも帰りますが」


「バッカじゃない? 渡すわけないでしょ!」


 キーラは立ち上がり、両手を腰に当てて威嚇いかくした。

 ピンクのモコモコ姿。目つきは鋭いが、格好が格好なだけにぜんぜん迫力がない。


「そうでしょうね。そこでギャンブルですよ。賭けをしましょう」


「しないわよ! するメリットがないし、どんな条件を出されてもマーリンを賭けるわけがないでしょう? 馬鹿なの?」


 キーラの怒涛どとうの罵声にダイス・ロコイサーは多少頬をひきつらせながらも、両手の動きで落ち着くように促した。


「分かっていますよ。そう先走らないでください。説明はこれからです。先に何を賭けるかの話をしましょうか」


「だから何も賭けないってば! 私を借金まみれにして、マーリンを賭けざるを得ない状況におとしいれる魂胆でしょう? ダイスさんだっけ? とっとと帰ってちょうだい!」


 見た目はか弱そうな少女だが、やたらと強気だ。こういう手合いは修羅場を経験したでもなければ単なる世間知らずなのだ。

 とにかく、ダイス・ロコイサーにとっては彼女にギャンブルを受けさせることも戦いのうちに含まれている。

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