第123話 盲目のゲン

 リオン帝国商業区域西端。


 ザハートにほど近い宿屋にて、朝食に出されたエッグジャムの固焼きパンを頬張りなら、護神中立国の守護者攻略法を考えていた。

 俺の正面ではシャイルがスカイスープをすすっている。


 かの守護者は盲目のゲンと呼ばれている。彼は盲目なのだ。盲目は後天性らしい。

 それでいてE3エラースリーの一人というからすごい。

 彼の魔法は水の操作型。空気中に含まれる水分すら操作してしまう。というより、操作リンクを張った水分を空気中に分散させているのだ。

 ゆえに、空気の操作型魔導師である俺とほぼ同等の魔法を持っているといえる。


 空気と水、操作者の力量が同じだとしたら、どちらが有利だろうか。

 魔法の性質上、液体と気体がぶつかった場合は液体のほうが優先して侵攻する。その点では水のほうが有利だ。

 つまり、魔法としての相性で見れば水は空気より優勢ということになる。


 しかし、単に液体と気体で見るのではなく、環境の構成要素として考えると、その存在量は水よりも空気のほうが圧倒的に多い。つまり操作するためのエレメント量が多いということだ。

 その点では空気のほうが有利である。


 その二つの要素を考慮すると、魔法としての相性は互角と言っていい。


 では二人の勝敗を決める要因としてほかに何があるか。

 それは、魔法の行使力、戦略、戦闘センスといったところだろう。


 魔法の行使力が強ければ、例えば相性の悪い相手にも自分の魔法を優先させてエレメントを移動させられる。

 極端に言えば、あくまで極端に言えばだが、鋼鉄と空気がぶつかって空気が鋼鉄を押しのけたり、鋼鉄の中を食いやぶるように空気が突き進むなんてこともできる。

 昨日の戦闘を分析する限り、俺と盲目のゲンの行使力は俺のほうが少し上だったが、それは気体に対する液体の優位をくつがえすほどの差ではなかった。

 つまり、空気と水でまったく同じ技をぶつけ合ったら俺が負けるということだ。


 あとは戦略と戦闘センス。


「ねえ、砂糖を取ってちょうだい」


「ほらよ」


 俺は塩の小瓶をシャイルの方に押しやり、湯気で抵抗するスカイスープに口をつけた。スーッと抜けるような爽やかな味のスープだ。


「ちょっと、バカにしてる?」


 シャイルが押し返した小瓶の蓋にはソルトと書かれている。蓋に何もかかれていなければだまされたのだろうか。


「バカにしているんじゃない。舐めているんだ」


「じゃあ塩でも舐めていなさい」


 そう言ってシャイルは俺のコーヒーにスプーン一杯の塩をぞぞっと落とす。

 お人好ひとよ生真面目きまじめ女子が、傍若無人ぼうじゃくぶじん天真爛漫てんしんらんまんなキーラと似たような行動を起こしたことに新鮮さを感じた。

 以前よりも素直になったと喜ぶべきだろうか。


 もちろん俺は、空気で塩を受けとめた。

 広範囲に分散させて見えないようにした上で、少しずつシャイルの口の中へ運び、舌の上へと乗せていった。


「ん? なんかしょっぱい。ていうか、しょっぱっ!」


 戦闘センス。シャイルになら負けない自信がある。盲目のゲンにはどうだろう。

 戦闘センスには経験も含まれる。ゲンは老人だ。相当な経験を積んでいるはずだ。

 となると、あとは戦略で上回るしかない。


 まず大前提として、晴れの日に挑まなければならない。気体である空気は液体である水よりも位置取りの優先度が低いが、物量では圧倒的に勝っている。その物量が互角になってしまえば完全に俺が不利になる。


 それから、相手が盲目だからといって視覚はアドバンテージにはならない。盲目ゆえに空間把握モードの技術が高いはず。

 目に頼ると視野が狭くなる。死角となるような場所を含む広範囲の空間を把握している相手には、こちらも空間把握モードで挑むしかない。


 朝食を終えた俺たちは、一度部屋に戻った。

 チェックアウトして宿の入り口で合流すると、俺たちは別々の道を進んだ。


 俺たちは昨晩、今日のことを話し合っていた。

 とにかく盲目のゲンを倒さなければ護神中立国には入れないし、そこに逃げ込んだエース大統領を追うこともできない。魔法だけ入ろうとしても盲目のゲンには気づかれる。

 だから盲目のゲンを倒すしかないのだ。


 シャイルは帝国に入国して、やることがあると言った。闇道具について調べたいのだそうだ。

 彼女も闇道具の存在を知ったのは初めてなのだろう。そんなものが存在するとなると、正義感の強い彼女が黙っているはずがない。

 俺は「好きにしろ」と言った。


 俺は西へ向かった。

 リオン帝国を出てジーヌ共和国へ入国する。入国といっても、空を飛んで勝手に国境を越えただけだが。俺はそのままジーヌ共和国の南西部へと飛んだ。

 大陸は寸胴ずんどうきのこのような形をしているが、茸のの部分はジーヌ共和国とシミアン王国が占めている。ジーヌ共和国南西部はちょうど茸の柄の中心部なのだ。海から遠いので水が少ない。


 俺は目的の座標に到着すると、その周辺に川や湖がないことを確認した。


 超遠隔戦闘。


 これほどまでに距離を取った戦闘をした者はいないだろう。

 ここからザハートまでは約千五百キロ程度。俺の世界で言うと、日本の東西間、あるいは南北間の距離の半分程度である。

 俺はリオン帝国の宿屋からここまでほぼ音速で飛んでおおよそ一時間ほどを要した。その速さでは飛行中に目視で到着位置の確認ができないため、ここへ辿り着くには目的地までの距離と飛行速度から飛行時間を計算し、その時間を守るように飛ばなければならなかった。


 到着後、今度はここから護神中立国まで空間把握モードをつなげる必要がある。

 その長大な距離に空気操作リンクをつなげていくのは、自身が移動してきたときよりも時間がかかる。


 俺はまず休息を取り、それから安全な場所を確保した。

 廃ビルの屋上に扁平へんぺいな巨石を置いてそこに座る。そして目を閉じ、意識を集中する。

 呼吸を整え、そして開始する。


 空間把握モード。


 肌に感じる空気に操作リンクを張り、少し動かして触れた空気にリンクをつなげる。

 通常は三次元的に全方位へとリンクを張り巡らせるが、今回は一次元的に一直線にリンクを伸ばしていく。何かにぶつかれば迂回うかいして、東北東へ、東北東へ、東北東へ。


 一時間、二時間、三時間。


 操作リンク、ザハートへ到着。

 そこで操作リンクを三次元的に展開し、一帯の空間を把握する。

 時刻は正午前。


 戦闘開始!


 空気を固めてつちとし、護神中立国の国境壁を外側からぶちやぶった。

 そのまま門横で待機していた盲目のゲンを急襲する。


 ガンッと水の壁にはばまれた。

 水の飛沫が飛ばないほどガッチリと固められたそれを空気で突破することはできなかった。


 即座に空気中の水分が揺らぎだす。盲目のゲンの操作リンクが走りはじめたのだ。

 一帯を掌握しょうあくし、俺が近くにいないことを確認すると、今度はその揺らぎが一直線に俺の方へと向かってきた。俺が空気中の水分の揺らぎを感じ取って盲目のゲンの操作する水を感知できるように、盲目のゲンも空気の動きの不自然さから俺の操作する空気を感知できるようだ。

 どんどん辿ってくる。ものすごい速さだ。このペースだと、俺の元へそれが達するまでに一時間ももたない。とんでもないスピードだ。

 なるほど、俺は目を閉じていても光景を想像しながら空間の把握に努めていたが、盲目のゲンは目が見えないから、感覚、いわば彼のオリジナルの光景が脳内に展開されているに違いない。余計な情報を処理しないから速いのだ。

 彼の強さは盲目ゆえなのかもしれない。


 俺は操作リンクを切り離すことも考えた。わざわざ千五百キロにわたってリンクをつないだままにする必要はなく、ザハート一帯に張った操作リンクを切らなければいいだけだ。

 しかし俺のいる方角はすでにバレてしまっていることや、逆探知の侵攻状況を把握できるメリットを考え、長距離のリンクを残したままにすることにした。


 タイムリミットは短い。

 だが盲目のゲンが俺の空間把握モードを逆探知している間、彼は相当な集中力をそれに要しているはずで、その間がチャンスなのは間違いない。


 俺は盲目のゲンの周囲に空気を固めて無数の杭を形成した。それを同時に中心へと飛ばす。


 杭は小さな水のプレートに阻まれた。すべての杭をピンポイントで防御された。

 さらには準備中の空気巨槌きょついを水の針で串刺しにされて壊されてしまった。

 ダブルコアかそれ以上の高性能頭脳。魔法の使い手のスペックが高すぎる。リーン・リッヒも相当なものだったが、盲目のゲンは桁が一つ二つ違っている。

 最強とうたわれるにしても、E3エラースリーなどと一つのくくりに入れられているのは間違いだ。盲目のゲンは間違いなく最強の魔導師だ。


 ……俺を除けば、だがな。


 準備に時間のかかる攻撃はすぐに察知されて消されてしまう。瞬発力と手数で攻めるしかなさそうだ。


「ゼロ・リップ」


 最近になってようやく気づいてきたところだが、技に名前をつけてそれを口にすると、技がより強固な仕上がりになり、より容易に発動できることが分かった。

 俺の元の世界ではこういうことをすると中二病だのと嘲笑ちょうしょうの的になるが、こちらの世界ではそんなことはない。むしろ敵は本能的に警戒心を強める。「本能的に」というのも、世界中の魔導師たちは技の名前を口にすると技が強固になることを知らない。

 しかし、実際にそういう効果は実在する。これはマーリンに確かめたから間違いない。


 かくして俺のゼロ・リップは発動した。

 盲目のゲンの皮膚に最初から隣接した状態で鋭利な風を起こし切り裂く。その刃は小さく威力は弱いが、回避はほぼ不可能だ。

 だが、盲目のゲンは彼の皮膚に密着させるように瞬時に水を集めて固めた。

 俺のゼロ距離による切り裂きはわずかにダメージを与えたが、想定の二割程度に抑えられてしまった。


「強い……」


 どちらかというと俺は大技のほうが好きだ。だが大技は発動前に見つかって潰される。

 もどかしい思いをしながらチマチマ攻撃しても、それも防御されてダメージ量を抑えられてしまう。


 大技も小技も駄目ならどうする? 中技か? それとも連続攻撃か? あるいは……。


 俺が選択したのは一時間近くかかる超大技。それもエアのサポートを必要とするほどの。


 大技は大技でも、効果が大きい技ではなく、単に時間をかけてゆっくりと発動させるという意味での大技だ。

 人はあまりにもゆっくりとした変化には気づきにくい。

 ただもちろん、一時間もかければ逆探知が追いつかれる。いまは俺が一方的に攻撃をしかけているが、あともう三十分も待たずに盲目のゲンの攻撃が始まる。

 そうなれば俺は防御にも思考のリソースを裂かなければならず、どうしても攻撃がおろそかになってしまう。

 だから直接攻撃されるのを少しでも遅らせるための工夫、要するに小細工というやつをすることにした。

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