第121話 闇商人①

「あひゃひゃひゃひゃあ……ああ? おや、思ったよりも反応が薄いですね……。もっとのたうちまわると思ったのですが。せ我慢ですか? それが可能なだけでも大したものですが」


 抑揚激しく甲高い声が、地に転げた俺をあざけり笑っている。


「声に覚えがある。貴様、帝国のキナイ組合長か? 極刑に処す!」


 俺は立ち上がろうとしたが、体に力が入らなかった。全身が軽く痙攣けいれんしている。

 俺は空気の膜で自分を包み、無理矢理に体を立ち上がらせた。


「おや、動けるのですか? いや、魔法ですかな。逆にそちらのほうがすごいですが」


 周囲にはライトのたぐいは何もないが、シャイルの炎のおかげで夜でもそこそこ明るい。

 殺風景なこの場所にはまったく似つかわしくない青スーツを光らせるキナイ組合長は、土偶どぐうのようにまん丸としている。

 見るからに金に物を言わせるタイプだ。食生活もさぞ贅沢ぜいたくをしているのだろう。


 首筋から体内に入り込んだ苦痛の根源のようなものは、全身にじんわりと広がっている。

 広がった分だけ薄まっているような気がするが、もしこれが飽和してしまったら、発狂は必至だろう。

 痛いから苦痛を感じるのではなく、苦痛の根源を体内にねじ込まれたような感覚だ。


 俺はこの憎たらしい豚男をどう調理してやろうかとプランを組み立てていたが、シャイルが俺の前に回り込んで俺に背を向けた。


「エスト君、ここは私がやる」


「いいや、俺がやる。こいつは俺が直々に極刑に処す」


 シャイルは引き下がらなかった。これもお人好ひとよしゆえなのだろうか。


「お願い、私にやらせて。エスト君には休んでいてほしいの。守護四師との戦いではなんの役にも立てなくて、結局はエスト君に全員倒してもらった。迷惑ばかりかけてごめんね。今度こそ力になりたいの。私に任せて!」


 相手はリオン帝国の五護臣の一人だ。弱いはずはない。

 だが、振り向いたシャイルの瞳には本気の光が宿っていた。


「まあいい。やってみろ」


 キナイ組合長は金歯を光らせてニタァっと笑った。

 俺は空に避難して観戦することにした。


「おやおやおや、あなたに私が倒せるのですか、シャイル・マーンさん?」


「私のことを知っているの? あ、この前のマーリン奪還作戦のとき……」


「それは関係ないですねぇ。知っていますとも、学院生の情報くらいはね。私はね、裏の社会でもちょっとした有名人でして。その通り名は歩く闇市場。表市場には出ない闇道具の取引はもちろんのこと、個人情報なんかも売買しているのですよ」


 キナイ組合長はシャイルが炎の操作型魔導師だということを知っているということだ。彼女の契約精霊がリムという小型犬型の精霊だということも。おそらく、シャイルの性格も。

 俺の身近な人間であれば、なおさらマークされているだろう。


「あなたは非常に真面目な方らしいですねぇ。強い倫理観をお持ちで、人を傷つけることを忌避きひしている。あなたは私と、いいえ、そもそも人と戦えるんですかねぇ?」


「少なくとも、悪党とは戦えるわ!」


 キナイ組合長は青スーツのふところへ右手を差し込んだ。

 キナイ組合長が懐から取り出したのは銃だった。

 銃口をシャイルに向けるや、いっさいのためらいを見せずに引き金を引いた。


 ゴォッと音がして、銃弾は消失した。

 炎の精霊リムが銃弾を口で受けとめたのだ。銃弾はリムを貫通することなく焼き尽くされた。


「おい、おまえ、商人のくせにずいぶんと人を殺し慣れているみたいだな」


 俺がシャイルの上後方から横槍を入れる。

 キナイ組合長は金歯を光らせて笑みを浮かべるだけだった。


 シャイルはリムの吹く炎を宙におどらせた。その様子はさながら密林を自在に動きまわる蛇のようであった。

 シャイルの周囲を炎の柱が曲線を描いて動きまわる。


「それを私にぶつけるのですかぁ? 銃弾を一瞬で焼ききるほどの火力なら、私も一瞬で焼け死ぬでしょうね。人殺しになる覚悟はあるのですかぁ?」


「火力の調節はしているわ。戦意を奪うために火傷くらいは負ってもらう」


 シャイルが天へ掲げた手を前方へ振り下ろす。

 炎は命令を受けた犬のように忠実にキナイ組合長へと飛んだ。


「私にはねぇ、効かないのだよ!」


 キナイ組合長が飛んできた炎を手の甲で弾くと、炎はかき消えてしまった。

 操作のリンクが切られ、柱状になっていた炎はその場で燃え尽き、消えてしまった。


「どういうこと! まさか、魔法を無効化する魔術!?」


「そんなわけないでしょう? 工業区域の副工場長の魔術ではないんですから。これも闇道具ですよ。魔導師の魔法のリンクを切るグローブ。私の魔術は戦闘向きではないので、いまは使いませんよ。つまりあなた、私に負けたら魔導師でも魔術師でもないただの人間に負けたに等しいということになりますねぇ」


 たしかにキナイ組合長はグローブをつけている。

 彼は商人だから白い手袋を着けていても違和感はない。指紋を付けてはならない高価な品物を扱うイメージが、そのグローブに秘密があることへの疑いを抱かせなかった。


「なるほど。闇道具使いというわけか。シャイル、気をつけろ。こいつは手強てごわいぞ。複数の魔法や魔術を使える敵だと思って戦え」


「おやおや、あのリーズ・リッヒを破ったゲス・エスト氏からお認めいただけるとは、光栄の至りです。ですが、いつまで敵を評価する立場でいられますかねぇ。その余裕を失う様を観察するのも一興でしょうなぁ」


「無駄口が多いな。敵から特定の言葉を引き出そうとしているのか? あるいは時間稼ぎか。何かの闇道具の発動条件のためだな?」


「それは考えすぎというものですよ。イヒヒヒッ」


 キナイ組合長は左手を右の懐へ差し込み、またしても銃を取り出した。

 先ほどとは違う形状。管楽器のような金色の光沢を持つ、チャチな玩具おもちゃのような銃だった。

 引き金を引く。すると、今度は実弾が出ない代わりに別のものが飛び出した。

 それは目に見えるものではない。音だ。


「うっ、何これっ! 頭が痛い。割れそう……」


「指向性の音波銃ですよ。殺傷力はありませんが、弾速は音速で、しかも液体や固体の障害物は通り抜けます。ほぼ回避不能で銃口を向けている間は相手に苦痛を与えつづけられる闇道具です。イッヒヒヒ」


「うう、うううう、リム!」


 リムがシャイルの呼びかけに応じて炎を吐いた。キナイ組合長に向かってではない。キナイ組合長とシャイルの間に炎の壁を作った。


「無駄ですよ。音波を焼くことなどできません」


 シャイルの狙いはそうではない。炎の壁を目隠しにして、銃口から逃れることが目的だ。シャイルは炎の壁の裏側で這いつくばった。

 キナイ組合長は銃口を左右に振ってシャイルを探すが、シャイルが声をあげなければ当たっているかどうかも分からない。


 その間に炎の壁はキナイ組合長をグルリと囲った。


「狙いは何でしょうねぇ。暑さによる脱水か、燃焼による酸欠か。私の持つ闇道具には自分を対象として使うものもありますから、それらを駆使すればどうということはありませんがね」


 シャイルはしゃべらない。声を出せば居場所がバレてしまうからだ。

 喋らない代わりに火球を飛ばす。炎の壁を突き抜けて飛ぶ火の塊はキナイ組合長をめがけてまっすぐに飛んだ。

 しかし、キナイ組合長はグローブを着けた手で火球を弾くようにかき消した。


「そこかぁ?」


 キナイ組合長は火球が来た方向へと音波銃を向けたが、手応えはないと判断したようで、音波銃を懐にしまうと、新たな道具を取り出した。

 それは黒く四角い箱で、中央にガラス窓のようなものが付いている。

 一見してそれはカメラのようだと感じたが、実際に使い方もカメラと同じだった。


 カシャン。


 音がして、カメラのような闇道具が向けられた場所の炎が瞬間的に消えた。


「この闇道具はジスポーン。この道具に写した魔法を一瞬で消す道具です」


 シャイルはすぐさま炎の壁を修復した。

 それをキナイ組合長がまた消し飛ばす。

 このままだとイタチごっこだ、などと思っていそうなシャイルに、俺は忠告する。


「シャイル、敵の言葉を簡単に信じるな。キナイ組合長は情報の重要性を知っている男だ。敵に道具の情報を馬鹿正直に教えることはデメリットしかない。道具の効果には嘘が混じっていると考えるべきだ。つまり、嘘の情報を教えて何かを誘っている。おそらくあの闇道具は魔法を消すのではなく吸収して後から放出するための道具だろう。魔法を使えば使うほど大きなしっぺ返しがくるぞ」


 キナイ組合長は一度口を引き結んだが、すぐに金歯をチラつかせた。


「察しのいい餓鬼がきですねぇ。しかし、貴様ら魔導師がこの私に勝つには魔法を使うしかない。使わないなら使わないで、闇道具で一方的にいたぶってやりますよ」


 キナイ組合長の言うことは正しい。

 おそらくジスポーンから放出される魔法は魔導師には操作できないだろう。

 だから、奴が溜め込んだ炎を放出するより先に倒すしかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る