第120話 護神中立国の守護者
ザハート、護神中立国の国境検問所。
そこで護神中立国への入国を検閲しているのは、二人の幼い巫女だった。
百四十ほどの身の丈を白と赤の巫女装束で包む彼女たちの顔は、幼くとも貫禄があった。
大きくまっすぐな瞳が光る限り、悪玉は決して神聖なる鳥居を通ることができない。
そんな鳥居をグレーのフーデットマントが通り抜けようとする。
二人の巫女はサッと立ち
「あなたからはすごく嫌な感じがする。でも心得てもいる。通してもよさそう」
「では、これを飲んで。これが我が国の通行証」
巫女の一人が差し出した小さなコップをグレーのフーデッドマントが受け取り、中の水を一気に喉に流し込んだ。
「聖域での
グレーのフードが軽く会釈すると、巫女が二手に分かれて道を空ける。
その間を風になびくマントが通り抜けた。
彼は心得ていた。
この護神中立国は、世界で最も安全な場所であると同時に、最も死が近い場所であるということを。
この国では争いごとを起こすのも持ち込むのも
これまで禁を犯してのうのうと出国した者はただの一人もいない。
もっとも、そのような可能性のある者は、巫女の検閲をくぐることがまずできない。
フーデットマントが検問を通過してしばらく後、黒い空が頭上を埋め尽くす護神中立国の国境検問所前に二人の男女が降り立った。
「ここには空から入らないんだね」
「守護者が
二人の男女とは、ゲス・エストこと俺と、シャイル・マーンである。
俺たちは守護四師を破った後、ジーヌ共和国からここまで空気の船に乗って空を飛んできた。
検問所には小さな赤い鳥居が建っているが、その外側には石垣が造られており侵入可能な隙間はない。
一見、簡単に破壊できそうだが、領空と同様に魔法が網目状に張り巡らされており、触れれば粉みじんに切り刻まれるだろう。
赤い鳥居の両の足元には白い椅子がちょこんと置いてあり、そこに白い衣と赤い袴で身を固めた少女が腰を下ろしている。
俺が鳥居に近づくと、二人の巫女は自動人形のように同時に立ち上がった。
俺が鳥居の正面までくると、二人の巫女は鳥居の間に並び、道を塞いだ。
双子なのか分からないが、左右対称でシンクロした動きは美しいとさえ思える。
しかし彼女たちはロボットなどではない。下から俺を見上げるその瞳からは、たとえ鼠だろうと見逃すまいという強い意志が感じられる。
「あなたは聖域内で禁を犯す。通せない」
左側の椅子の傍にはグラスが置いてあり、そこには水が入っている。
俺は文献を読んで護神中立国についても基礎知識を得ている。もし二人の巫女に入国を認められた場合、その水を飲まなければ入国はできない。
あれは普通の水だが、おそらく、ただの水ではない。だから、俺はその水を飲む気はない。
つまり、最初から真っ当な通り方をする気はないということだ。
「分かるのか?」
「分かる」
魔術の
その正体は掴めなかったが、二人の巫女のうちのおそらく片方が、相手の本質か何かを見抜く力を有しているようだ。
俺はひとまず後ろへ引き下がった。その距離に合わせて二人の巫女もテープを巻き戻すかのように初期状態へと近づいていく。
「シャイル、行ってみろ」
もしも巫女が相手の人間性を見抜くのであれば、過剰なまでの善人であるシャイルは通れるはずだ。
そうではなく未来を見たり心を読む系統の能力であれば、エース大統領を追う身である以上、シャイルでも通れない。
たかだか検問官だが、その能力を見極めることは無駄ではないはずだ。
シャイルは俺がやったように鳥居の前に立つ。
やはり二人の巫女は鳥居の間に入り、道を塞いだ。そして目の前の少女の顔を見上げた。
俺は検問通過の承認が降りるか降りないかは五分だと考え
だが、二人の巫女は迷うどころか、俺のときよりもはっきりとした結果を口にした。
「あなたは絶対に通せない。即刻立ち去って」
俺のときよりも強い拒否。
シャイルは面食らっていた。
俺はポーカーフェイスを保っていたが、正直なところ驚愕の二文字だった。
「それはなぜかしら? 理由を教えてもらえる?」
シャイルを直接拒否した巫女は、少し言い
「あなたの中にはとてもよくないもの……、いえ、控えめに言ってもすごく悪いものが
それを見抜ける者はこの世界に何人いるだろう。
俺でさえあちらからのアプローチがなければ気づくことはできなかった。
彼女はシャイルの中にどれほどの脅威を感じているのだろう。
ともあれ、検証の時間は終わりだ。俺はマジックイーターの
奴がこの検問を通り抜けたことは把握している。
ジーヌ共和国の大統領だからといって無条件で通れるわけではないことは、この二人の巫女を見ていれば分かる。
ここは権威や金で通ることはできない。
奴は少なくとも、この護神中立国内では悪意を捨てると決めたのだろう。
ただただ保身することを目的に入国したのだ。
悪党であっても国内で悪さをしないのであれば入国することは可能。
しかしそれは俺には関係のないことだ。
「俺はここを力ずくで通る。その場合は守護者の魔導師が出てくるんだろう? 待っていてやるから早く呼べ」
「呼ぶまでもない。ワシはここにおるよ」
石垣の裏から、杖をついた白い拳法着の老人が姿を現した。
白い拳法着は武術の達人をイメージさせるが、それはあくまで俺の印象だ。自分のいた世界の観念を持ち込んだにすぎない。
しかし魔法の達人には変わりないだろう。
そんなことよりも、気にするべきところはほかにある。俺はその姿を見て目を疑った。
「貴様、まさか……盲目か?」
姿を現した白髪の老人は、両目を閉じたまま移動している。杖をついているというよりは、石の地面を滑らせるように押していた。
魔導師は目で見た場所に何かを発生させたり、目で見た物を操作する。盲目であれば魔法をまともに使えるはずがない。
「わしは盲目のゲンと呼ばれておる。わしがザハートに姿を現すのは実に久しぶりじゃ。無理矢理入国しようとする者はたいていお譲ちゃんたちに襲いかかるから、ワシが姿を見せる間もなく始末する羽目になる」
「貴様、概念種か?」
「いいや、おまえさんと同じく、物質種の操作型じゃよ」
「俺と同様に空間把握モードが使えるというわけか。見えていなくても魔法が使える理由はそれか。領空と石垣の中に張り巡らせた水の格子は貴様のものだな?」
空間把握モードが使えるなら杖は必要ないはず。
杖は盲目アピールのための小道具か。あるいは彼が盲目のゲンであることを示すトレードマークか。
盲目のゲンはにやりと笑った。
シャイルが俺の
俺が振り返ると、彼女は緊張感を高めた顔に汗を浮かべていた。
「気をつけて。その人、盲目のゲンは、
盲目のゲン。水の操作型魔導師。
空気中にも水分は含まれる。彼は広範囲でその水分をゆっくり移動させて抵抗を感じ取り、空間を把握しているのだ。
相性は悪い。
液体の移動は気体の移動より優先度が高いため、俺の操作する空気と彼の操作する水がぶつかったときに押し負ける可能性が高い。
唯一俺に優位な点があるとすれば、それはエレメントの存在量が多いということだ。
空気中の水分よりも空気そのもののほうが圧倒的に多い。
空気が見えないという利点についてはないに等しい。空気を意図的に動かせば奴の水が感知するからだ。
そもそも彼は盲目なのだ。彼にとっては敵が操作する物質が透明だろうが派手だろうが関係ない。
まだ互いに手は出していない。
互いに動きがあればすぐに分かる。
緊張感が空気をひりつかせる。
俺は盲目のゲンに気づかれないように空気の成分を操る。
空気の成分に
しかし盲目のゲンには気づかれたようだ。
水分は空気中に溶け込んでいるのだから、たとえ組成を
どこからともなく現われた水の玉が俺の周りを囲っていた。そして、弾丸のように俺へといっせいに飛んでくる。
俺は即座に周囲の空気を固めた。ガッチリと。
しかし、水の玉は俺の完全防御層の中をじわじわと突き進む。リンゴを食い進む芋虫のように、地中を掘り進むモグラのように。
俺の空気では水の侵攻を止められない。そして全方位を水に囲まれている。
「降参するかね?」
「降参はせん!」
俺は固めた空気の外側に酸素を作った。そうすることによって、水を構成する酸素原子を奪うからだ。
俺は頭上の水の玉を解体して上空へと飛び脱出した。
俺がさっきまでいた空間を超速の水の弾丸が飛び交った。
俺は危機を回避したが、水の弾丸は無限に存在した。
小さいことや暗いこともあり、目には捉えられない速さだが、空気の抵抗で感知し、空気を固めた盾で弾いて軌道を逸らす。
「シャイル! いったん退避する!」
俺は急降下すると、シャイルの胴に腕を回して脇に抱えた。
そして再び飛ぶ。
「逃げるの?」
「ちょっと体勢を立て直すだけだ。夜が明けてから再度しかける」
水の弾丸による追撃はなかった。去る者は追わぬ主義か。
べつに命からがら逃げるわけではない。追撃してくれたほうが射程範囲が知れてよかったとさえ思っている。
ただ、疲労の蓄積も相当ではあった。ジーヌ共和国で守護四師を全員倒した後にここへ直行してきたのだから当然のこと。
敵が
おまけに敵は盲目だから視覚以外の感覚と、空間把握モードを頼り戦う。視覚に頼らない戦い方に慣れていない俺にとって、夜の戦いは不利だ。
ここはまだ公地。
ザハートからそんなに距離を取っていないが、盲目のゲンの追撃がないのであれば、急いで離れる必要もないだろう。
完全把握モードを解き、地上へ降り立つと、自分を包む空気の膜も消した。
夜を明かすのに手ごろな小屋などがそこらへんにないかと見まわそうとしたとき、シャイルが俺の方を指差して両目を見開いていた。
「エスト、後ろ!」
刹那、背後にジャリッと砂を踏む音が聞こえ、嫌な気配がした。
振り向く間もなく、首筋を何かが撫でた。
ゾワリと悪寒のようなものが俺の中へと侵入したかと思うと、次の瞬間にはとてつもない激痛と苦痛が爆発した。
「ぐわぁああああああっ!」
とっさに空気で周囲を固めようとしたが、意識は首筋の感覚にすべて奪われて魔法が使えなかった。
俺は体の向きを変えて背中から倒れる。
シャイルが右手のグローブで呼び出した精霊リムの炎が飛んできて俺の顔をかすめ、俺の背後にいた奴の顔を照らし出した。
豚みたいに丸い顔が、金歯をチラつかせてニンマリと笑っていた。
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