第92話 リオン城②

 レイジー・デントにとって、リーンから黒いオーラが出ていないことが唯一の救いであった。

 もしもリーンが黒いオーラを出すほどに皇帝を憎むと、皇帝家の指輪の紋章が黒く濁ってしまう。そうならないようリーンはギリギリのところで冷静さを保っていた。


「行くよ!」


「来い!」


 レイジーはリーンに指先を向けた。そこから光線が放たれる。

 レイジーは光の発生型魔導師であり、彼女の発する光は、出力しだいで鉄板をも溶かすことができる。


 光はリーンに到達する直前で散乱して消えた。

 リーンは振動の発生型魔導師である。空気を振動させて光を散らすことができるのだ。

 もちろん、光が発生してからでは間に合わない。レイジーが指を向けたから予測できたのだ。


「レイジー、それは無用な気遣いだ。私は手を抜かない。本気を出さなければ時間稼ぎにもならないぞ」


 リーンが左の腰に提げた剣に右手を添えた。

 リーンは世界で最強の剣士と呼ばれている。それは純粋に彼女の技量のなせるわざだが、彼女の場合、その剣の技術に加えて振動魔法がある。剣に触れた物質の分子を振動させればどんなものでも破壊できる。

 つまり、彼女にかかれば斬れないものはないということだ。いて言うならば、斬れないのは概念くらいのものだろう。


「時間稼ぎ、バレてたか。乗ってくれないんだね」


「リッヒ家の皇帝家への忠誠は、命令の遂行に遠回りをするほど生半可なものではない」


 レイジーにとって、リーンは相性の悪い相手だ。

 光は量子と波の性質を持つ。振動も波であり、光の構成要素たる波を生み出せる振動の魔法は、光への干渉を容易にする。


「分かったよ」


 皇室内のいたる所で発光が起こった。レイジーの魔法だ。指先からでなくとも光は発生させられる。

 数多の光線がいっせいにリーンへと飛ぶ。しかし、リーンへと飛んだ光線はただの光となって霧散した。


「その程度か?」


「そうだよ! 打つ手ないよ、こっちは」


 リーンはレイジーの光を散乱させる振動を体表付近で発生させつづけてバリアとしている。それがある限り、光自体はリーンに届いたとしても攻撃力を削がれてしまう。レイジーの魔法はリーンには効かない。


 シャリリンと高く澄んだ音色を奏でて剣がさやから引き抜かれた。

 剣というのはその種類によって、斬るか殴るかのいずれかの用途に特化している。リーンの剣は細く長く、明らかに斬ることのみを目的とした形状である。


 リーンが剣を振る。

 レイジーとは十メートル以上は離れているが、リーンの剣においては間合いという言葉は意味を成さない。


「――ッ!」


 レイジーは横へ飛んだ。

 さっき彼女がいた場所を透明な何かが走り、そして後方にある扉の片方が斜めに切断されて倒れた。


 リーンが剣を振ったら斬撃が飛ぶ。斬撃の軌跡上に振動を発生させることで、剣から生じた風圧を増幅させ、衝撃波を飛ばすのだ。

 その衝撃波は剣の切れ味と同等の鋭さを有しており、リーンの剣の間合いは銃よりも長くなる。


「よく避けたな」


「まあね……」


 リーンの斬撃はレイジーの光と同じで見てからではかわせない。それを知っていたからレイジーは勘で飛んだ。

 しかし次はないだろう。避けられることを前提で剣を二回、三回と振られたら、どうあがいてもかわしきれない。

 だからレイジーは先に魔法を放たなければならなかった。レイジーとリーンの間で五つの光点が発生し、爆発するように光は拡散した。


「目眩ましか」


 リーンが剣を振ると、巨大なうちわできりを払ったように光がかき消えた。

 だが、レイジーの姿が消えていた。

 皇室内がざわめく。特に大臣は大声で騒ぎ立てた。


「暗殺者が逃げたぞ! これは極めて危機的な状況だ。リーン殿、この落とし前はどうつけるおつもりか?」


「静かにしてください。彼女はまだ近くにいます」


 レイジーはおそらく光学迷彩によって部屋の景色と同化している。つまりまだ部屋の中にいるはずだ。発光してからリーンがそれを斬るまでほんの一瞬だった。部屋から逃げるほどの余裕はなかった。

 リーンは精神を研ぎ澄まし、特に足音がしないか耳を澄ませた。


「どこにもいないじゃないか! テキトーなことを言うんじゃない。陛下のお命が危ういのですぞ!」


「黙りなさぁいっ!」


 リーンが鋭い叫びをあげた。剣より鋭い視線を大臣に突き刺した。

 部屋中をビリビリとした緊張の波が巡り、皇室内は騒然とした。

 大臣はあまりにも強烈なリーンの気迫に数十秒のあいだ呼吸ができなかった。


 皇室内の空気が振動から開放された頃合に、大臣も酸素を取り戻した。苦しそうに自らの胸を掴み、全身を上下させて呼吸している。


「音で気配を探っていたのに……」


 改めてリーンは大臣に鋭い視線を向け、邪魔をしないよう釘を刺した。

 リーンにとっては邪魔をされたほうがレイジーの生存率が上がってありがたいのだが、それを制止することも含め全力を出さなければならない。そうでなければ指輪は彼女の忠誠を認めてくれない。

 大臣をにらむ視線にはリーンの苦しみが如実にょじつに現れていた。

 大切な友達とリッヒ家全員、これを何度も天秤にかけさせられ、その度に自分の心臓を握りつぶすような気持ちで天秤を片方に傾けた。


 レイジーはもう動かないだろう。しかしリーンにはほかにも彼女を見つけ出すすべがある。

 リーンはいちど納刀し、そして右手を前に掲げて目を閉じ集中した。


 レイジーにはリーンが何をしようとしているのか分かった。

 ウェーブサーチ。

 空間に緻密ちみつな間隔で振動を発生させることで、目には見えないが実体があるものを探す技だ。

 固体や液体に振動によるエネルギーが加われば、その物体は何らかの反応を示す。玉なら転がるし、水なら散る。人なら痛みを感じて声をあげるかもしれない。

 それだけでも十分な効果であるが、ウェーブサーチには用途によってもう一つの名前で呼ばれる場合がある。

 ディスペルウェーブ。

 気体、液体の操作系魔法と、特定の現象種の魔法を解除する効果があるのだ。強制的に振動させられたら、気体や液体の術者とのリンクが切れてしまう。それから、波の性質を有する光などの現象も干渉されてしまうことは、先の戦闘で十分に実演されたことだった。


「――ッ!」


 レイジーが姿を現した。その場所は大臣の正面、すなわちリーンの後方。

 リーンは目を閉じて前方をサーチしている。レイジーの出現に気がついていない。

 レイジーは大臣に向かって指先を向けている。

 その指先に光が収束していく。

 光線を撃とうとしている。


「こ、こ、こ、こっちだ! 何をしている! そっちじゃない!」


 しかしリーンは動かない。目も開かない。口だけが動いた。


「幻像だ。自分の身を隠すために風景の色を再現できるのだから、別の場所に自分の姿を再現できてもおかしくはない」


 そして、本物がリーンの前方で小さなうめき声をあげた。光の迷彩がまばらに剥がれている。


「くっ!」


 リーンが刀のつかに右手を添える。抜刀のままに斬撃を放ち、一撃でレイジーを撃ち抜くつもりだ。人々に彼女が世界一の剣士であると言わしめる根拠の中には、居合いの腕前も含まれる。


 レイジーはリーンの背後に作った自分の姿の指先から光線を発射した。

 先ほど指先に溜めていた光は単なる演出で、余裕なく発射された光はその瞬間に発生したものだ。レイジーは光の操作型ではなく発生型の魔導師なのだから当然そうなる。

 だから威力は小さい。大臣がちょっと痛みを感じて少し大袈裟に悲鳴をあげたが、リーンのエイムがレイジーから外されることはなかった。


 レイジーは覚悟した。いや、悟ったというべきだろう。覚悟というほど固いものを抱く余裕はなかった。

 リーンの右手が刀の柄を握り、そしてひじが爆発的な瞬発力で引き上げられる様を呆然と見つめることしかできなかった。


 それとほぼ同時だった。


 皇室の窓の一枚が盛大に割れ、そして何かが飛び込んできた。


 それは、ゲス・エスト。

 その表情は、飢えた肉食獣のように殺意がみなぎっている。

 もはや狂気じみていた。


 だが、彼は遅すぎた。無限射程のリーンに捉えられたレイジーを助けようとしても、ゲス・エストが魔法を使うための意識を起こすのは間に合わない。


 しかし、リーンの左腰、容赦のない銀色の殺意が鞘から顔を覗かせたのはほんの一瞬だけで、引き抜かれるのと同じくらいの速度で剣は鞘へと押し戻された。そして、鞘の先から衝撃波が放たれる。

 リーンの狙いはゲス・エストだ。

 なぜならゲス・エストの狙いが皇帝だったからだ。


「ぐっ!」


 窓から飛び入ったまま宙から皇帝に手を伸ばしていたゲス・エストは、横から強烈な衝撃を受けて壁に叩きつけられた。生身の人間なら死んでいてもおかしくはない。

 しかし、彼は空気の鎧をまとっている。彼は地に足を着けたが膝は着かなかった。


 ギラついた視線をようやく皇帝から外すと、リーン、レイジーの順に見渡して、口元を吊り上げて笑った。


「よう、待たせたな。最強が来たぜ」

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