第91話 軍事区域③

 ルーレ・リッヒが氷の剣を得物としているのは、イーターを退治することを前提としている。つまり剣と剣での戦いを想定したものではない。

 氷の剣では鉄でできた剣に強度で勝てない。ルーレ・リッヒが最大硬度の氷で発生させた剣でも、三度も打ち合えばヒビが入り、四度、五度も打ち合えばポッキリと折れた。

 鉄の剣がルーレのあご下をかすめた。

 ルーレは何度でも氷の剣を創造できるが、剣が折れたときの一合で自分が斬られるリスクを考えると、もう剣を創造する気にはなれなかった。


 ルーレは両手持ちの分厚い氷盾を創造し、宙を走りまわる鉄の剣の衝撃に耐える。

 一歩ずつ後退し、部屋の扉へと少しずつ移動していく。


「追い詰められたな。その扉は内開きだ」


 ルーレの背に扉が触れた。しかし扉を開ける余裕がない。

 扉を開けるためには、扉の前から移動してドアノブを回し、引かなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を持っていて塞がっているし、宙を舞う剣の猛攻が激しくて自分の立ち位置をずらすことすら容易ではない。

 一瞬でも片方の足を浮かせたらバランスを崩して床に倒れるだろう。


 ルーレは自分の足元の床を凍らせた。剣の衝撃で少しずつ滑る。どうにか剣をはじく向きを調整して扉の正面から横へと移動した。

 だが、ここからはもっと難しい。ドアノブを回さなければならない。しかしルーレの両手は氷の盾を支えていて塞がっている。


「万事休すか。せめて操作型の魔導師だったら……」


 ――コンコン。


 ノックの音だ。これはチャンスと、ルーレは即座に返事をした。


「どうぞ」


 扉が開かれる。

 ルーレは一度大きく剣を弾き、氷の盾を捨てて、ゆっくりと開いた隙間へと飛び込んだ。その拍子にナクス少将が運んできたドリンクを落としたが、氷のゴミ箱を落下位置に創造してナクス少将の横を通り抜けた。


「せっかくのアイスティーですが、すみません」


 ナクス少将は氷の容器内でミックスされたドリンクを呆然と見つめてつぶやいた。


「アイスティーだからって、そこまで冷やさなくても……」


 ルーレは銀色の頑丈そうな扉を見つけ、そこへ飛び込んだ。すぐさま鍵をかける。だが敵は鉄の操作型魔導師だ。鍵の構造を知っていたら鍵なしで開錠されてしまう。

 そんな心配をしていると、扉がグニャリと変形し、道を空けてしまった。ロイン大将が走ってきている。

 ルーレは部屋の奥へと逃げ込んだ。


 ルーレが逃げ込んだ部屋は厨房だった。いまは誰もいない。

 ルーレは銀色の調理台の下、収納スペースの引き戸を開けて中に身を潜り込ませ、足を抱え込んだ姿勢で再び扉を閉めた。


「できれば物を壊したくないのだがね。仕方ない」


 ガシャン、ガシャンと神経を逆撫さかなでするような金属音が響く。大きな空き缶を一瞬でペシャンコに握りつぶすような音。

 その音はだんだん近づいてくる。


「……ッ!」


 ルーレの背中側から大きな音がした。収納スペースを順に潰していっているのだ。鉄の操作ができるなら、たやすい芸当。

 ルーレは即座に自分を囲むように氷の箱を作った。

 壁がグニャリと内側へ曲がった。氷が抵抗してルーレは潰されずに済んだ。


「そこだな」


 しかし見つかってしまった。

 ルーレは氷で小さなハンマーを創り、内側から氷と鉄の板をぶち破り、外へ転がり出た。


 瞬間、包丁が三本飛んできた。

 即座に氷のブロックを創造して鉄の切っ先を受けとめるが、一本だけほおかすめた。

 ルーレは振り返り、自分の背後に回った包丁を氷で覆う。しかしロイン大将が魔法のリンクを切らない限り、氷塊は鈍器としてルーレを襲いつづけるはずだ。

 ルーレはそれを警戒したが、氷の塊はゴトッと床に落ちた。

 ロイン大将は殺傷力の高い武器を好むようで、包丁の刺さった氷のブロックを天井に叩きつけ、氷を割って二本の包丁を自由にした。

 ルーレの頭上に氷が降ってくるが、それより先に透明度の低い氷でロイン大将と自分との間に大きな壁を作った。


 包丁は二本とも滅茶苦茶に飛びまわった。当てずっぽうでルーレを攻撃しようとしている。


 さらに、調理台がグニャリと曲がった。人が一人通れるくらいのスペースを開けた。


 ルーレが近くにあったまな板を飛びまわる包丁へ投げつけると、うまい具合に包丁は二本ともまな板へささってそのまま床に落ちた。


 ルーレは走った。厨房の奥へと走り、勝手口から外へ飛び出した。

 砲撃演習の轟音ごうおんが反響して空気を震わせる。ビリビリと音の波を肌で感じながら、ルーレは再び駆け出した。

 周りは鉄だらけだ。ロイン大将の視界に入った時点で射程圏内に捉えられていることになる。早く身を隠さなければならない。

 ゴミ捨て場と倉庫の間を抜けると開けた場所へ出た。


 ちょうどそのとき、号令が休憩時間を告げた。

 ルーレは迷った。再び建物内に逃げ込んで姿を隠すか、周りに鉄がない演習場の奥まで走るか。


 ルーレはロイン大将が追いついてきていないか後ろを振り返って確認した。

 ロイン大将はいない。

 再び視線を前方へ戻すと、横からキィと扉の開く音がした。そこから出てきたのはまぎれもなくロイン大将だった。


「なぜ……」


「ここは私の職場だ。逃亡ルートに検討をつけて周りこむことなど造作もない」


 幸いロイン大将は得物を持っていなかった。

 ルーレは氷の剣を創造し構えた。


「さすがに複数の巨体を同時に操るのは精神力が削られる」


 ロイン大将の視線を辿り、ルーレは驚愕と恐怖を同時に味わった。

 演習場に並んでいた戦車が宙に浮き、砲筒をルーレに向けている。


 さっきまで演習していた兵士たちは、ロイン大将に促されて建物内へと避難した。


「発射できるのですか?」


「もちろん」


 即答。それは発射の号令に等しい。

 ルーレは即座にすべての戦車の砲筒内部に氷の塊を仕込んだ。宙に浮く戦車は爆発し、地面に落下して轟音と砂煙を巻き上げた。

 風が天然の煙幕を持ち去ったとき、火や黒煙を噴く戦車たちは再び宙に浮いていた。もう砲撃できるような状態ではない。

 ルーレの問うた発射とロイン大将の答えた発射は異なるものとなった。廃棄物と化した戦車たちそのものが砲弾となりルーレへ飛んでくる。


 ルーレは前方に手をかざす。どれほどの巨大な氷の壁を作ればあれを防げるか。

 それを瞬時に決められず、ルーレの魔法は発動が遅れた。氷の壁を創造しようとしたエリアにはすでに戦車が侵入しており、魔法は不発に終わってしまった。


 ――終わった。


 ルーレは自分の生命の終わりを悟った。戦車たちが飛んでくる様がやけにゆっくりに感じた。死の縁に立たされ、感覚だけが鋭敏になっている。

 しかし体は動かない。魔法も発動できない。脳裏を自らの人生が駆け巡る。


 リッヒ家は騎士の家系であり、ルーレは誰よりも強くあれと教育されてきた。小さいころから心・技・体を英才教育できたえられてきた。


 彼女は魔導学院に入学してから生徒会長に負けるまでは無敗だった。生徒会長に負けた後も負け知らずだった。

 ルーレは己の立ち位置を知り、それを受け入れた。

 学院では風紀委員長として学院に貢献してきた。彼女が最も適正だから指名された。

 その後はそれが自分の役割だから、務めだから、自らに与えられた責務をこなしてきた。

 いつでも全力だった。

 しかし、なぜと問われれば理由が見つからない。


 魔導学院・四天魔のナンバースリー。

 強くあれと教育されたルーレは、その称号が強さの証明として十分なものだと感じていた。

 ナンバーワンとは戦ったことがなかったが、生徒会長より強いということは自分よりも強いのだろう。自分より強い者が学院に二人いる。

 しかし、それ以外に自分より強い者はいない。彼女が強いかどうか、百人に聞けば百人が強いと答えるだろう。生徒会長も認めてくれている。


 彼女は強く在らねばならぬから強くなった。

 強くなりたいと思ったことはなかった。


 ルーレは自分の力量を知った。魔法の相性、環境との相性、それらを含めての実力。

 ルーレ・リッヒはロイン大将より弱い。それは予想どおりのことだった。彼と戦闘になれば負けて死ぬ。

 軍事区域に担当を決めたのは自分自身だ。

 生徒会長には本丸を担当してもらわなければならない。リオン城の次に危険な軍事区域には自分が適任だ。自分より弱い者を軍事区域に送るわけにはいかないし、リッヒ家の自分なら戦闘にならなずに事を運べるかもしれなかった。


 飛んでくる戦車は時間が止まったかのように静止して見えた。己の脳だけが加速して動いている。体も動かないし、加速した脳で魔法を発動したところで、氷の発生自体は加速されずに間に合わない。


 ルーレ・リッヒは、このまま、死ぬ。


 悔いはないか? やり残したことはないか?

 たぶんない。

 だから、自分は弱いのだ。


「ゲス・エスト」


 そういえば、彼にも負けたのだった。

 会長との戦いで自分が負けるときはそれを予想していたが、ゲス・エストだけは予想を超えてきた。学院に自分より強い生徒が三人もいるはずがないと思っていた。

 ルーレは彼に負けたとき、勝手に彼を学院のナンバースリーに位置づけた。しかし、彼は生徒会長にも勝ち、またしても彼女の予想を壊してきた。そして、自分の何かが弾けた気がした。

 ただ、その感覚は夢のようにボンヤリと消え失せた。

 もう一度、彼が何かを成し遂げれば、自分の中の何かが変わるかもしれない。何もかもを決めつけてきた人生を、彼に否定してほしい。それを少しだけ楽しみにしていた。


 不意に涙が流れた。最初からいまに至るまで死は覚悟していたのに、急に死にたくなくなってしまった。


 さっき誰かが余計なことを言ったからだ。

 ゲス・エストの名前を呼んだからだ。

 いったい誰が?

 それに、思考だけが超加速しているこの状況で、誰が人の名前をフルネームで発言したというのだ。


「ゲス・エストはここにはいない。早く立ち去れ」


 ルーレ・リッヒはハッとした。

 もはや時間は止まってはいないし、ゆっくり流れているわけでもない。

 その証拠に、戦車は宙に静止しているのに、黒煙がモクモクと上空へ舞い上がっている。


「じゃあ、マーリンはいるかね?」


「マーリンもいない。学研、貴様、ここに何をしにきた!」


 先ほど最初にゲス・エストの名前を口にしたのは白衣の男だった。ロイン大将が学研と呼んだということは、学研区域の五護臣、ドクター・シータだ。

 ルーレは彼を直接目にするのは初めてだった。


「軍事殿、なぜそう私を警戒する? せっかくリッヒ家のお嬢さんにトドメをさせる場面だったのに。こんな丸腰の科学者一人が、廃戦車をケチるほど脅威になりえるのかね?」


 空中に静止していた戦車は白衣の男の頭上へ、彼を取り囲むように移動した。


「戦闘の真っ最中に貴様が丸腰で立ち入ってきて、何も警戒しないわけがないだろう」


 白衣の男は一度上空で待機している戦車を眺めてから、今度はルーレの方に視線を落とした。


「リッヒ家のお嬢さん、君はゲス・エストの居場所を知っているかね?」


「なぜ彼の居場所を知りたいのですか?」


「最初は待つつもりだったのだがね、待ちきれなくなったのだよ。だから、私のほうから会いに行こうと思ってね。ウィッヒヒヒ! で、先に君の質問に答えたわけだが、君は私の質問に答えてくれるかね?」


 ルーレは彼の笑いに寒気を感じた。彼のおかげで命拾いしたが、彼は決して歓迎できる存在ではないと直感した。

 さっき勝手な格付けをするのはやめようと決めたばかりなのに、彼女の上位に新しい名前が刻まれたのだった。

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