第84話 学研区域②

 ――学研区域。


 ドクター・シータは受付から連絡を受けて応接室で待機していた。

 最初に連絡が来たときは、アポなしの無礼者などにく時間などないと突っぱねたのだが、その客は「ドクター・シータは私が来ることを知っている」と、アポイントは取っているむねを告げてきたらしく、ドクター・シータは首をかしげつつも仕方なく来客を招き入れることにした。


 案内係の女が応接室へ通した客を見て、ドクター・シータの目がこぼれ落ちそうなほど見開かれた。

 その小柄な少女には見覚えがあった。見覚えがあって、再び邂逅かいこうしてはならない相手だった。


「おまえ……誰だ……」


 少女は銀縁メガネをクイッと上げた。メガネの奥の瞳には確かなる生者の輝きが見て取れた。


「私はセクレ・ターリと申しますです。お初にお目にかかるですが、あなたは私のことをご存知のはずではないのです? それと、聞き捨てなりませんでしたので申し上げるですが、初対面の相手を『おまえ』呼ばわりするのは、いささか失礼ではありませんか?」


 ――饒舌じょうぜつ


 ドクター・シータが最初に会ったセクレ・ターリは無口だった。声を聞いた記憶すらない。

 しかしこの少女はやけに饒舌だ。まったくの別人。しかし容姿はうり二つ。どちらかが偽物なのだ。

 仮にどちらかが偽物だとしたら、それを仕掛けたのはこの少女本人か、あるいはその協力者のはず。

 だが、このセクレという少女は自分に影武者めいた存在がいたことを知らない様子だ。


 演技か? あるいは、セクレのかたきを討つために誰かがセクレの幻を見せているのか。


 もしも最初に会ったほうのセクレが偽物や幻だったとしたら、その策をこのセクレ当人が知らないはずがない。知らなければ策自体が無意味だ。だとすると、やはりいま目の前にいるセクレが偽者か幻なのだ。


 もしかしたら、またセクレを殺そうとしたところで証拠を押さえようとしているのかもしれない。最初と同じ手を使うにはリスクが高すぎる。


「あの、すみません。もう一度申し上げましょうか? よく『おまえは早口すぎて話の理解が追いつかない』と叱られますです。自分のせいでコミュニケーションの円滑性を欠くことには自覚があるですので」


「え……ああ、失礼したね、お嬢さん。天才の私にそのような気遣いは不要だよ。私はもちろん君を知っている。君がここを訪れた目的も察しがついている。しかしいちおう聞いておこう。君がここを訪れた用件は何だね?」


「マーリンという少女のことはご存知ですよね? その子を探していますです。この研究施設内を見学させていただけるです?」


「ああ、マーリンね。ウィッヒヒヒ。知っているとも。残念ながらここにはいないよ。それでも君は探すと言うのだろう? 構わないさ。探してくれたまえ。いや、むしろ案内しよう。この私が案内してあげるよ。学生らしく研究所見学をして見聞けんぶんを広めるといい。ああ、失礼。それどころではないことは承知しているとも。だが少しでもスキルアップしたほうが目標を達成しやすくなるというものだ。ぜひ協力させてくれたまえ」


 セクレ・ターリはいぶかしんでいる様子だ。建前上は客人として彼女を礼儀正しくもてなしているが、その実、二人が敵同士であることに疑いの余地はない。だからドクター・シータが妙に協力的であることを彼女は怪しんでいる。自分を罠にはめようとしているのではないかと。

 実際にそのとおりなのだが、それが分かっていても彼女はドクター・シータの申し出を断るわけにはいかない。せっかくのマーリン捜索のチャンスを逃してしまうのだから。


 この少女が偽物だったとしたら、この疑念を抱く反応はリアルすぎる。ドクター・シータを油断させたければ、すんなり信じたほうがいいはず。裏をかいたとしても、そのために警戒されるというリスクはでかすぎる。

 だから、実はいまここにいるセクレ・ターリが本物だという可能性を捨てるわけにはいかない。ただしその場合、最初に現れたセクレ・ターリの正体と目的がまったくの不明だ。

 いずれにせよ、このセクレ・ターリも完全に抹殺してしまえば何も問題はない。彼女が警戒していることは重々承知の上で、その警戒心をもってしても対処不能となるような完璧なチェックメイトを与えなければならない。


「さあさあ、こちらが地下実験室だ。我が帝国は世界でも特に科学が発達しているが、その中でもこの空間は最先端の塊だ。まだ研究中のものばかりだが、実用化にこぎつけた未発表の技術も多数あるのでね」


「そんなものをよそ者の私に見せてもいいのです? ここで見たもの、聞いたことを口外しないというような誓約書にサインしていませんですが、忘れているのなら、いまからでも署名しますですよ」


 どうせ口封じされる、という考えには至っていないようだ。すべて分かった上でシラを切っているという可能性もなくはないが、それならいまの発言をする必要はなかったはずだ。


「お気遣いだけでけっこうだ。ウィッヒヒ。どうせ素人が見ても何も理解できやしないのだからね」


 セクレ・ターリはムッとした表情をドクター・シータに向けた。


おっしゃるとおりです。ウィッウィッウィッ」


 礼儀正しくあろうとしていたセクレ・ターリがそんな失礼な真似をするとは、そうとう神経にさわったらしい。言い返せなくて悔しいのか、ただ笑い方にムカついているのか。

 いずれにせよ、彼女は所詮は子供なのだと知れたというものだった。


「それは私の笑い方を真似したのかね? 私の笑い方はそんなにおかしかったかね? 私はね、かつて実験に失敗して気化した劇薬を吸引してしまった。その後遺症で肺が十全ではないのだ。だからこんな笑い方になってしまうのだよ」


 セクレ・ターリの顔が青ざめた。視線を泳がせた後に、小声で謝罪した。


「ごめんなさい。そうとは知らず、失礼しましたです……」


「嘘だがね」


「は?」


「ああ、実験の結果、こういう笑い方になったのは本当だよ。人の神経を逆撫さかなでする笑い方の実験さ。いろんな笑い方で実験をしてみたが、いまの私の笑い方が《人の神経を逆撫でする笑い方の中で楽な笑い方》だから採用しているのだよ。もっと探せばほかに効率のいい笑い方があるかもしれないが、こんな研究を深追いするのは時間の無駄だからね。ウィヒヒヒ。あ、真似したければしてもいいが、ウィッウィッウィッ、ではなく、ウィッヒヒ、だ。君の笑い方は神経の逆撫で効果は十分でも、自分が疲れてしまうよ」


 セクレ・ターリの口はしばらくの間、開いたままになっていた。人目を気にすることを知らぬ幼子のようにほうけた顔だった。


「ウィッヒヒ。感心しすぎて脱帽したかね? それともあきれたかね? 前者ならば二流の研究者くらいにはなれるだろう。後者なら凡夫もいいところだがね」


 セクレ・ターリの口がふさがり、そしてまた開いた。今度の開口は発声のためだ。彼女は背が低いが、まるで声が飛び上がってドクター・シータの喉元のどもとに噛みつくような、そんな獰猛どうもうな色が声に宿っていた。


「あなたとゲス・エストを衝突させてみたいです。私は自分で不穏なことを口走っている自覚があり、後々反省せねばですが、いまはとっても興味津々きょうみしんしんです」


「ウィッヒヒヒ、奴とは一度、衝突しているのだよ」


「……ああ、そうでした。彼があなたと会ったと言っていたことを思い出しましたです。それで、結末はどうだったのです?」


 ドクター・シータは天才と自負するだけあって、これまでの問答ではまったく言いよどむことがなかったし、嘘をつくときも鼻水をすするくらいにさりげなく織り込んできた。

 その彼が少しだけ沈黙した。

 その後、刃物のように鋭くギラついた冷たい目で、静かに、しかし重々しく言った。子供ではなく大人が、飛び跳ねたバッタを叩き落とすかのような冷淡な笑みで。


「奴との衝突はまだ続いているよ。奴にとってはもう終わっているかもしれないが、私はまだ幕を閉じたつもりはない。必ず奴の死にぎわのぞみ、奴が最後に聞く音を私の笑い声で終わらせてやるのだ。ウィッヒッヒ!」

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