第66話 禁忌域の研究

 俺とキーラはドクター・シータ本人に案内され、厳重な扉のエレベーターに乗った。

 地下へと向かう箱型の乗り物は、無骨ぶこつな金属の板を張り合わせたような造りだった。


「ウィッヒヒヒ。そろそろですよ」


 エレベーターの下降スピードはよく分からなかったが、唯一の地下階層である地下一階はかなり深いところにあるようだった。

 その深さはそのままサンプルイーターの凶悪性と捉えていいだろう。

 つまり、天井の厚みが地上への防護壁の厚みということだ。


 メタリックな箱から降りたところは、ねずみ色のコンクリートで覆われた空間だった。

 古そうなコンピューターが並んでいる。いや、この世界では最新鋭のものなのかもしれない。この世界にコンピューターが存在することが驚きだ。

 このコンピュータールームの正面には巨大なガラス窓がついていて、その向こうには有刺鉄線が目の細かい網目状に張り巡らされている。

 そのさらに向こう側に広大な空間があり、最奥さいおうに格子扉が付いている。


「ああ、忘れていました。いちおう、この書類にサインしてもらえますかな?」


 ドクター・シータに差し出された書類には、サンプルイーターと戦って得られる報酬の額と、命の保証をしないことが明記されていた。


「サインはしない。必要ないだろう。俺たちが死ねばどのみち文句は言えない。生き残ればそんな強者相手に報酬をケチるとか、そんな馬鹿な真似はしないだろう?」


「そんなに警戒せずとも、あなた方が帝国内に侵入していることを告げ口したりしませんよ。まあいいでしょう。どうせお互い、書類どころか肉親すら信用しない性質タチの人間でしょうからねぇ。あなたは私と似た臭いがするんですよ」


「それは光栄とは言い難いが、好意と受け取っておこう」


 俺は自動扉をくぐり、分厚いガラスの向こう側、巨大な閉鎖空間へと足を踏み入れた。

 後方で扉の閉まる音がする。逆に前方の端では鉄格子が上昇し天井へと埋没する。

 そこから標的のイーターが姿を現した。


「おい、こいつは……」


 暗闇の向こう側からゆっくりと姿を現したのは、二足歩行のイーターだった。

 猿型ではない。チンパンジー型ではない。オランウータン型ではない。ゴリラ型ではない。


 人型だ。


 そいつは俺の前まで歩いてきて、行儀ぎょうぎよく立ち止まった。

 人間のように姿勢がよく、人間のように服を着て、人間のように理性を持つ。

 真っ黒なシャツと真っ黒なはかまに包まれた真っ白な肉体は、人間には築き得ないたくましさを有している。

 腕の筋肉の隆起りゅうき一つをとっても、俺の頭が三つは入りそうな大きさだ。

 そのくせ顔は小さい。逆二等辺三角形の輪郭の中で、眼球が半分ほど飛び出している。鼻はない。耳は白い長髪に隠れて見えない。口はおちょぼ口だ。

 どうみてもいびつだ。自然ではない。


『おや、どうやらお気づきのようですねぇ』


 どこに設置してあるのか、スピーカーからドクター・シータの声が響いてくる。俺の声も聞こえているらしい。


「ゲ……ス……エ……ス……ト……」


 言葉までしゃべった。つたないが、確かに喋った。俺の名前を呼んだ。

 ドクター・シータが俺の名前を覚えさせたのだろうか。

 あるいは……。



 ――元々、俺を知っていたか。



「ドクター・シータ、貴様、やりやがったな!」


『おやおやおや、ウィッヒヒヒヒ! あなたのことは相当のゲスだと聞き及んでいましたがねぇ。この程度のことで驚かれましたかぁ。いやぁ、そのことのほうが私には驚きですがねぇ』


 正面のイーターを警戒しつつ後ろを振り向くと、ドクター・シータの表情が恍惚こうこつを浮かべていた。


「おい、メターモ。おまえ、あいつを食い残したのか?」


「あいつって筋肉魔導師のことっすか? そうっすねぇ。全部は食いきれなかったっす。あんまりおいしくなかったんすよ」


『おや、あのときのイーターも来ているのですか? 食べ残すなんて、エストさん、イーターのしつけがなっていませんねぇ。私が拾ったとき、彼、いや彼女でしたかな、まだ生きていましたよ。ウィーッヒッヒッヒィ!』


『エスト、どういうことなの?』


 スピーカーからの声がキーラのものに変わった。

 彼女の表情には不安が浮かび上がっているが、それを見ているドクター・シータの顔は、愉悦ゆえつここに極まれりと言っていた。


「ジム・アクティだよ。そこのマッドサイエンティストはな、ジム・アクティを生きたままイーターと合成しやがったんだよ」


『え……』


 キーラの顔が蒼白する。世の中にそんな残酷な出来事が存在し得る事実に動揺しているようだ。

 後退あとずさりしてドクター・シータから距離をとる。

 ドクター・シータは薄く笑みを浮かべて俺と合成イーター見つめている。


『いいじゃありませんか。あなた方にとっても敵が確実に減ったわけですから。それに、生きたままイーターに食べさせるあなたにはかないませんよ。それより、早く始めてくださいよぉ。報酬、いらないんですか? 報酬か死かのどちらかですよ。まさか、ゲスともあろうあなたが、半分は人間でできているイーターを殺せないなんてことはないでしょう? さあさ、始めちゃってくださいよ。おい、試作一〇九号、おまえもゲス・エストを攻撃してデータを提供しろ』


 ドクター・シータがそう怒鳴るや、正面のイーターが俺へ飛びかかってきた。

 俺が飛び退いた場所にイーターの拳が突き刺さる。その瞬間、空間が揺れた。

 とてつもないパワーだ。しかも速い。


「こいつを人間などと思うはずもない。ジム・アクティはすでに極刑に処した。奴はもういない。こいつは摂理から逸脱した自然界の異物。殺処分する。執行モード!」


 執行モード。

 それは柔軟な空気の中に硬質の空気の塊を分散させた混合空気をまとった状態になること。

 ダースとの戦いで出した俺の本気モードだ。


「ゲェ……スゥ……」


 揺れが収まったとき、合成イーターは俺を直視していた。

 鉄砲の弾のように爆発的初速で俺へ突撃してくる。避けきれない。

 俺はとっさに腕をクロスさせてガードした。


「がはっ」


 合成イーターの巨大な拳は完全に俺を捉えていた。俺は吹き飛ばされてガラスの壁へ激突した。

 キーラが驚いて飛び退いたが、ドクター・シータは微動だにしなかった。よほど強力な強化ガラスなのだろう。


『エスト!』


「大丈夫だ」


 執行モードでなければ死んでいた。

 しかし無傷ではない。ガラスの表面に張り巡らされた有刺鉄線が、圧力に潰されて薄くなった空気膜ごしに俺の背面に刺さった。

 吹き飛ばされてガラス窓のぶつかる衝撃自体も緩衝してなお、俺へのダメージは大きかった。


 だが執行モードならばこの白い筋肉の塊をほうむることは造作もない。

 吹き飛ばされたおかげで距離が開いた。


 次の突撃がくる。速いが、距離が開いているおかげで紙一重でかわすことができた。

 俺は合成イーターの首の後ろに手刀を打ち込んだ。

 もちろん、ただの手刀ではない。空気を鋭く尖らせ、高速回転させたものを手にまとっている。その切れ味は抜群で、強靭な筋肉に守られた頚椎せきついを切り裂くことに成功した。

 合成イーターはガクリと膝を着いた。


『ウィッヒヒヒ。イーターを人と同じとは思わないほうがいいですよぉ』


 脊椎動物が脊椎を損傷して脊髄せきずいが離断すれば、神経伝達機能が完全に絶たれ、身体が脳の命令を受けつけなくなる。

 頚椎の高いところを損傷すれば、呼吸すらままならないだろう。


 しかし合成イーターは立ち上がった。

 複数の神経伝達系を持っているのか、あるいは筋肉細胞の一つひとつが独立した生命なのかもしれない。


『ゲゲッ、気持ち悪っ!』


 合成イーターの肩がぱっくり割け、そこから眼球が突き出した。肩だけではない。腕や背中にも眼球が現れた。

 大きさは大小さまざまで、個々の眼球が独立して動いている。

 腕と足の関節が逆側に曲がり、顔を向こう側へ向けたまま走ってくる。速い。


 合成イーターは右腕を振り上げた。

 瞬間、左足が俺の脇腹を捉える。

 空気の盾が間に合うが、想定外の左足に気をとられている隙に右拳の隕石が俺の頭上に直撃する。


『エストッ!』


「大丈夫だ……」


 地べたをいずり、イーターから距離を取る。執行モードでまとう空気の緩衝効果でどうにかしのぐことができるレベルの威力。……効いている。


『ウィッヒヒヒ! エストさん、粘りますねぇ。普通の魔導師なら魔法を出す間もなく死んでしまうところです。あなた、試作一〇九号に何かしましたね? 試作一〇九号の動きが鈍くなっています』


「ああ、何かはしているな」


 空気で拘束してイーターの動きを制限しているのだ。

 相手が人であれば相手を囲うように空気を固めて簡単に拘束できるが、このイーターが相手では力で空気の層を破壊なり突破なりしてしまうだろう。

 だから、各関節部に空気の輪を取りつけた。空気の質は硬めだが柔軟性もある。

 これによってひじひざを曲げようにも、いちいち空気による抵抗を受けてしまい、半端な体勢で攻撃を繰り出してしまうのだ。威力もスピードも落ちるに決まっている。


『何をしたか答える気はない、ということですか。まあいいでしょう』


 俺はイーターの関節の空気輪を少しずつ太くする。イーターはどんどん動きが鈍くなる。


「ドクター・シータ。あんた、本当はイーターを狩らせる気はないんだろう? 高額報酬で釣って、魔導師をイーターに食わせたいんだ。イーターの食費を浮かせたいのか、あんたが殺戮さつりくショーをたのしみたいのか、どちらかだろうな」


 俺は手を銃のように構えた。その先に空気を圧縮していく。


『とんでもない。本当にイーターを殺してほしいと思っていますよ。私はただ戦闘データを取りたいだけですよ』


 イーターが迫ってくる。しかし、並の人間が走るレベルまでスピードが落ちている。

 俺の指先で空気の弾丸が完成した。

 それをイーターの胸の辺りをめがけ、放つ!

 そして、着弾。


「バースト!」


 超圧縮された空気が開放され、瞬間的に膨張する。


 試作一〇九号の上半身が吹き飛び、下半身だけになった。その下半身は膝を着き、バタリと倒れた。


「さすがに下半身だけ独立して動きはしないか」


『やったーっ! 報酬ゲットよ!』


 分厚い窓の向こう側でキーラがぴょんぴょん跳ねている。

 キーラらしいといえばキーラらしいが、もう少し俺の身を案じてくれてもいいと思う。

 ……いや、やっぱり思わない! キーラに身を案じてもらいたいわけがない。俺は勝って当然なのだ。


「おい、俺の金だからな!」


 キーラは聞いていない。

 浮かれるキーラの隣で、ドクター・シータが腰を曲げ、マイクを口に引き寄せる。


『ウィッヒヒヒ、やってくれましたね。約束どおり報酬をお支払いしましょう。そこから出てきてください』


 俺がイーターを下したらドクター・シータはきっと発狂して次のイーターを送り込んでくると思っていたが、そんなことはなかった。

 むしろ依頼が達成されて喜んでいる節すらある。依頼に裏の意図はなかったようだ。


「ああ、少し待ってくれるか? よし、メターモ。えさの時間だ。食え」


「待ってやしたぜ、旦那!」


 俺のコートが溶けるようにがれ落ち、粘性の高い液体が床を流れて移動する。

 そして横たわる人型イーターの下半身を覆い尽くした。


『ちょっと、何をしているのです? 何をしているのです!』


 ドクター・シータの様子が変わった。

 どうやら依頼の真の目的は、試作一〇九なるイーターの死体を作ることだったようだ。

 これほどのイーター収監施設があって彼の手で殺せないとも考え難いが、殺すのが魔導師でなければならない理由でもあるのだろうか。


『ヒィイイイ! それは食べては駄目ですよ! 研究材料なのですよ!』


「旦那?」


 ドクター・シータの言葉に反応してメターモが動きを止め、俺に判断をあおぐ。


「構わん。食え。全部、残さず食え」


「感謝ッ!」


 メターモがウネウネと動きだした。外周から細胞を溶かし出して摂取している。

 メターモは体の一部を切り離し、広範囲に散った上半身の破片にもあますことなく這い寄っていく。


「臭みもあるっすけど、クセになる味っす。これは珍味っすよ、旦那ァ!」


『きさまぁあああ!』


 ドクター・シータが扉を開いて部屋へと入ってきた。どしどしと足をならし、俺に詰め寄ってくる。

 そして、俺の胸倉を掴み、顔を近づけてきた。


「これだからサインをさせておくべきだったんだ。イーター討伐依頼の目的はイーターの死体から戦闘データを取ること。その目的を果たせないのならば、報酬は支払わないぞ」


「俺はべつにあんたをだますためにサインしなかったんじゃない。その書類にはイーターの死体を残すことが報酬の条件として書いてあるか? ないだろう。俺は依頼書のとおりに依頼をこなしたんだ。報酬は払ってもらう。踏み倒させはしないぞ」


 俺が手刀に音が出るほどの高速の風をまとわせると、ドクター・シータは歯噛はがみしながらも身を退いた。


「よろしい。ならばもう一つ、依頼を出しましょう。受けてくれるでしょうな?」


「いいぜ。報酬しだいだがな」


「では新しい依頼書を作ってきますよ」


 ドクター・シータは荒々しい口調でそう吐き捨て、早足でエレベーターの中へ消えていった。


 ドクター・シータが戻ってくるのは早かった。

 メターモもちょうどイーターを余すところなくしょくしきった頃合だった。


「これ! これを受けてもらいますよ!」


 俺はそれを受け取って内容を熟読した。



 場所、学研区域・イーター研究所。

 依頼者、ドクター・シータ。

 依頼内容、サンプルイーターとの試験戦闘。

 達成条件、サンプルイーターの生命活動を停止していることが確認できる死体を残すこと。

 報酬、200,000モネイ。

 注意事項、命の保証はいたしかねます。



「おい、報酬がずいぶんと少ないな。こんなもの受けられないね」


「そんな馬鹿な! さっき受けると言ったではありませんか。さっきよりずっと弱いイーターと戦ってもらうのですから、報酬が少ないのは当然ですよ」


 ドクター・シータが再び俺の胸倉を掴む。

 俺はそれを叩き落とし、相手を見下ろした。


「契約ってのは両者が合意しなければ成り立たないんだよ。俺が降りるのは自由だ。イーターは強くてもいい。百万だ。百万モネイ以上の報酬が出る依頼なら受ける。それ以外は受けない」


「キィエエエエエッ! そんな価値のあるイーターを殺させるわけにはいきませんよ! それに、いま降りられたらさっきのイーターは無駄死にしたことになります! ……仕方ありません。百万、出しましょう」


「よし、引き受けよう」


「ただし、あなたはこの私に並々ならぬ遺恨いこんを残すということを、ゆめゆめお忘れなく」


 ドクター・シータは血がにじむほど強く拳を握りこみ、肩と頭をプルプルと震わせている。乱れた白髪の下から覗く眼は、気の弱い者なら射殺せそうなほど鋭い。いまにも黒いオーラがき出しそうだ。


 しかしこいつは少なからずギルドに出した依頼で何人もの魔導師を殺してしまっているはずなのだ。彼の発言にそれを臭わせるものもあった。

 本来ならば極刑に処してすべての資金を没収してもいいくらいだ。さすがの俺も証拠もなくそんな暴挙には出ないが。


「あはは、エスト、ゲッスいねぇ」


 いつのまにかキーラも部屋に入ってきていて、そしてなぜか嬉しそうだった。

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