第63話 世界詮索

 陽が落ちてからのこと。

 俺は半壊した黄昏たそがれ寮をひと回りして、ようやく目的の部屋を探し当てた。


「おい、ここは俺の部屋の下じゃねーか。何をたくらんでいる?」


「ひどいなぁ、エスト。何も企んでいないよ。僕はもう素性を明かしたんだから、そんなに警戒しなくてもいいじゃないか」


「俺は誰だろうが人を信用しない。特に素性を隠していたおまえが簡単に他人の信頼を得られると思うな」


 それにダースが俺と戦って以降、隠れて修行し始めたことを俺は知っている。

 影からしか闇を発生させられないダースが、一見影も何もない空間に闇を発生させる練習をしているのだ。おそらく空気中にただよう微粒子同士の影から闇を発生させ膨張させているのだろう。

 内容が何であれ、俺に対して秘密を作る行為は俺をあざむく行為と同じであり、俺はそいつを信用しない。


 ダースはボサボサ頭をかいて髪をさらに乱し、はははと笑った。


「君が駄目と言うなら部屋は移すよ。それで、君は僕に何か用があって来たんじゃないのかい?」


 そのとおり。ダースは俺の知る限りでは唯一、同郷の人間なのだ。確かめておくべきことが山ほどある。


 俺はダースにあとで部屋を移るよう念押しし、ダースの案内に従い部屋の奥へと進んだ。簡素な卓と敷物があり、その上に胡座あぐらをかいて向かい合った。


「おまえ、この世界に来てどれくらいだ?」


「忘れちゃったよ。この世界は元の世界ほどはっきりとしたこよみはなくてね。たぶん、三年くらい前かな」


「ここはどういう世界なんだ? 俺は小説の中の世界ではないかと考えているが」


「それは違うと思うけど、君はなぜそう思うんだい?」


「この世界ではライトノベルの展開に似たことがよく起こるからだ。特定の作品と似ているわけではなく、よくある一般的なラノベの傾向と似ているってだけだから、明確にどの作品の世界と同じだとかは言えないんだけどな。で、おまえの見解は?」


「僕は学校で数学の授業を受けていて、欠伸あくびをして、気づいたときにはこの世界にいた。正直、この世界が何なのかは僕もあんまり分かっていないんだ」


 ダースは両手を肩まで上げて首を振った。

 その手を叩き落したくなるが、情報を聞き出す身だから我慢した。

 俺は質問を続ける。


「元の世界に帰る方法はあるのか?」


「ない」


「そこは断言できるのかよ。おまえ、ちゃんと帰る方法を探したのか?」


「そりゃあ探したよ。でも意外だな。エスト、元の世界に帰りたいの?」


「いや、べつに」


 帰りたいわけがない。この世界のほうが自由が利いていいに決まっている。空気を操るという強力な魔法を持っているのだ。

 もし元の世界に帰ったとしたら、きっと魔法は失われてしまうだろう。


「なんだ、じゃあいいじゃないか」


「まあ、あれだ。俺はやりたい放題やりすぎているからな。くそみたいな現実世界であっても、逃げ場として確保しておきたいだけだ」


 ダースがふふっと笑った。黒縁の奥のタレ目がいっそう垂れている。


「やっぱ君らしいや。でも帰れないよ。帰る方法を探していれば、君もその結論に辿たどり着く」


「いや、知っているなら教えろよ」


「僕が言うことだもの。信じないよ、君は」


 それは一理ある。こいつの証言を裏取りせずに信じるわけにはいかない。

 だが可能性として情報は得ておきたい。ただ、ダースがしぶる情報を無理に聞こうとしていたら時間がかかってしょうがない。

 俺は帰る方法を後回しにして、ほかの気になっていたことをいた。


「ダース、神って何だ? この世界には神様って奴がいるのか? みんな神に対して尋常ならざる畏怖を抱いているように見えるんだが」


「いるよ」


 断言しやがった。

 しかし、鵜呑うのみにするべきではない。

 ダースみたいな奴は自分の力が及ばず助けられなかった人が死んだときに、自分が殺したんだ、などとまぎらわしい言い回しをすることがある。そういう虚言癖きょげんへきのある奴を見ると、殺人罪で裁いてやりたくなる。


「いちおう確認するが、偶像や概念として、ではないのか?」


「実在するよ。実際に神様に会ったと言われる人物が世界に数人だけいる。彼らに共通して言えることは、神様と会った後には神様への多大な畏怖を持ち帰ったということだ。その数人のうちの一人に帝国の皇帝も含まれている。それまで帝国は圧倒的な軍事力で領土を広げていたが、神様との謁見えっけんを機にパタリと侵攻をやめている。あとね……、実は僕も会ったことがあるんだ」


「なんだと!?」


 いや、待て。鵜呑みにはするな。無条件で信用はせず、可能性として情報を仕入れるのだ。


「これ以上は聞かないほうがいいよ。君自身のために」


「いいや、聞かせろ。情報を得て後悔するなんてことが俺にあるわけがない。情報の取捨選択には人一倍慎重なんだからな、俺は」


 俺がにらみつけると、ダースがあきらめたように笑い、「わかったよ。話すよ」と言った。

 思ったほどの抵抗はなかった。忠告したという既成事実がほしかっただけなのかもしれない。


「僕は元の世界に帰る方法を探して旅をしていたが、その終着点が神様との邂逅かいこうだった。神様は人の姿をしていた。僕は僭越せんえつながら神様にいくつか質問をさせていただいたよ。そして分かったことは、この世界は神様がゼロから創造なされたということと、僕という存在が何なのかということ。僕はね、自分が何かのはずみ、あるいは召喚魔法みたいなもので、この世界へと飛ばされたのだと思っていた。でも、こんな僕すらも神様の創造物だったんだ。神様に言われたよ。『自分だけは特別だと思ったかい? 自分にとって自分が特別なのは間違いない。だって自分なのだから。でも、それは誰にとっても同じことなんだ』とね。元の世界の記憶は神様が僕に与えたものらしい。異世界から来た記憶を持つのは、その時点では僕だけだと言っていた。『そういう意味では、君は少しだけ特別だろうね』と笑われたよ」


 それはかつてない衝撃を俺に与えた。

 もしそれが事実だとしたら、俺も神に創られた存在で、元の世界なんていうのも記憶だけで実在しないということになる。

 俺が、異世界設定を組まれた一キャラクターにすぎない、だと?


 いや、待て。ダースの作り話という可能性だってある。

 こいつは元々俺をだまそうとしていた。自分の正体を隠していたのだ。

 マーリンを助け出したあかつきには、こいつの証言の真偽を確かめてやる。


 だが、落ち着かない。まるで数日の余命を宣告されたかのように、俺の心拍が騒ぎ立てている。まさか俺がこれほどまでに動揺する日がくるとは……。


「これ以上は君自身が神様に会ってみることだね。僕は元の世界に帰る方法を探していて、ようやく神様との謁見まで辿り着いた。正直、君が僕と同じなのか違うのかは分からない。だから、君自身が神様に直接会って訊いてみるしかないよ」


「ああ、分かったよ。そうしてやる。ただし、もしいまの話が嘘だったなら、おまえを極刑に処すからな」


 ダースの軽い苦笑から察するに、嘘を言っているふうではなかった。

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