第58話 修練②
「キーラ、リーズ。おまえらは後回しだ。どうせ三人同時には鍛えられないからな。精霊なしで魔法を使う方法でも考えていろ。じゃあシャイル、おまえからだ。こっちに来い」
「うん……」
俺はキーラとリーズから距離を取った。実際に魔法を使ったりするときには、ほかのメンバーは邪魔だ。特にシャイルの火の魔法はむやみに使うと他人を巻き込む危険性がある。
「まずおまえは、リムの呼び出し方法から改善すべきだ。ライターとか持っていないのか?」
「自動着火装置のこと? あれは高価なものだから……」
「おいおい、俺のせか……国では百円で手に入るものだぞ」
「百エンって、モネイに換算するといくらくらいなの?」
「百モネイだ」
それにしても、いつ聞いてもしっくりこない通貨だ。おそらくはマネーをもじって誰かがつけた名称なのだろうが。
相場が日本円と同じっぽいところからしても、この世界はラノベの中だという説が濃厚だ。
まあ、それはあとでダースを問い詰めて情報を搾り取ればいい。ちょうど
「百モネイ⁉ 嘘でしょう? どこの国に行ったって、自動着火装置がそんなに安く売っているはずがないもの」
「嘘じゃねーよ。だが高価なら代用品を作るしかねーな。電池は安価に手に入るのか?」
キーラが精霊を呼び出そうとするときに握り締めている。高価すぎて手に入らないなんてことはないはずだ。
「まあ、安価ではないけれど、自動着火装置ほどではないわ。必需品だし、燃料も作れるから」
なるほど。燃料の問題か。
俺の知るライターの燃料は液化ブタンガスだ。ライターのオイルは高圧によりガスを液化しているだけで、容器から出せば一瞬で気化してしまう。
この世界ではライターに燃料を封入する技術が普及していないか、あるいはブタンガスではない稀少な燃料を使用しているのだろう。
「シャイル、あとで電池と銀紙を用意しておけ。着火装置を作ってやる」
実は乾電池の両端に中央を細くした銀紙を接触させて回路を作ると、銀紙の細い部分がすぐさま燃えだすのだ。
銀紙を毎回装着しなければならないが、両手の大きな動作を必要とする火打石よりはマシだろう。
「次に、火を使った戦闘スタイルについてだ。試しに俺を攻撃してみろ。手段は問わない。殺す気でかかってこい」
「う、うん……。でも、もし火傷しても、『極刑だー』なんて言わないでよ」
「俺におまえの攻撃は絶対に通らねぇよ。安心しろ」
一瞬見せた苦笑の後に、真面目なシャイルらしく本気の目で俺を見つめてきた。殺意と呼ぶには弱いが、本気なのは間違いない。
「リム、お願い!」
リムが勢いよく火を吹く。そしてシャイルがそこに手を掲げ、火炎が一度舞い上がってから俺へと急降下してくる。
俺は自分の全方位を真空の層で覆った。シャイルの火炎は真空の層に触れた瞬間にあっけなく消失した。
「すごい。スピアテイルと戦ったときにも森の火事を
「秘密だ。それより、おまえの攻撃に対する評価だが、愚直すぎるし威力もない」
シャイルは一度膨れて、溜息として吐き出した。
「そう言われても、リムにだってスタミナがあるから、一度に多くの炎を吐くと顕現を維持できなくなるのよ」
「それだよ。おまえは火の性質というものをぜんぜん考えていない。火っていうのは放っておけばどんどん燃え広がるものだ。まずは敵ではなく周囲にある燃えそうなものを燃やせ。そうすれば火元が確保できてリムのスタミナを消費せずに済むし、リムがいなくても敵を攻撃できる」
「なるほど。あ、でも、そんなことをしたら火事になっちゃうじゃない」
「火事にすればいい。普段からそういう戦闘スタイルを示しておけば、『コイツを怒らせたら大変なことになる』と思わせられる。そうすれば、戦わずして相手を制することもできる」
「火事はまずいよ!」
シャイルは再び膨れた。
超絶お人好しのシャイルには無理な戦術かもしれない。そもそも、超絶お人好しが戦闘に向いているわけがない。
こいつは誰とも戦わずにマーリンを助けられるつもりでいるのか。
「おまえは甘すぎる。火事にしないまでも、燃やせるものはどんどん燃やせ。それがおまえの魔法の本質なんだから」
「うーん、私にはハードルが高すぎるなぁ。でもまあ、やれそうなときはやってみるよ」
「ま、それでいいだろう」
火事に関してのシャイルの見解が常識の範囲内だということは承知している。それを抜きにして、シャイルは病的なまでにお人好しだ。自分に
ラノベの主人公なんかによくありそうな性格だ。
だが、実際には異常でしかない。そういう性格を美しいと思う人もいるのかもしれないが、そこに人間らしさは欠片もない。シャイルは精神的に病気なのだ。
前にも宣言したが、俺はいずれシャイルの病気を治してやるつもりだ。
ちらとキーラたちの方を見ると、エアがまだ電池に向かって話しかけていた。事情を知らなければ、エアは頭のおかしな子にしか見えないだろう。
電池を持つキーラ当人は、
キーラは自分の不甲斐なさがこの状況を作っていることを自覚しているのだろうか。
「あっちは苦戦しているみたいだね」
シャイルが心配そうに親友を見つめる。その
「あっちは、だと? おまえは自分だけ順調に進んでいるとでも思っているのか? 精霊を出せたって、使い手が無能なら意味がないんだぞ」
「え、そこまで言わなくても……」
目を
どこから持ってきたのか、ティーセットでお茶を飲んでいた。木製の簡易的なものだが、白いテーブルと椅子まである。
「おい、リーズ! 順番待ちしてねーで精霊に出てくるよう交渉しろよ!」
「交渉は決裂しましたわ。わたくしの呼びかけに応じないなんて、そんな礼節に欠ける精霊なんてこちらから願い下げですわ」
リーズの精霊はリーズが土下座でもすれば一発で出てきそうだ。ひとまず、こいつらは後回しだ。
「シャイル、ほかの奴らは気にするな。まずはおまえに教えられることを全部教える」
「うん……」
「火元を確保できたとして、次は実戦での戦い方だ。現象種の魔法は道具を使った戦い方が強い。例えば、半分だけ熱伝導性のいい棒を火で熱して、触れただけで大火傷を負わせられる熱剣、水鉄砲の中身を熱して熱湯を発射する熱銃、水鉄砲の中身を油にして発射時に着火する火炎放射機。ただし、武器は万が一にも敵に奪われると危機に陥るというデメリットがある。武器を使わない戦い方の場合、直接相手に炎をぶつける以外にも、敵を
「武器はぶっそうすぎるし、武器を使わない戦い方のほうは何を言っているのか分からないわ。いずれにせよ、もっと相手を苦しめずに制圧できるような使い方ってないの?」
「可燃性の
「それは駄目! 相手を傷つけたくないんだってば」
シャイルが
「おまえ、マーリンを助ける気ないだろ」
「なっ! そんなわけないじゃない!」
シャイルは
しかし、俺は
「おまえは世間を舐めすぎている。おまえ、他人が本質的には自分みたいにいい人間だ、なんて思っているだろ。んなわけあるか! 他人も自分と同じだなんて、人をバカにするのも大概にしろよ。人間はもっと複雑でいろんな奴がいるんだ。おまえよりアマちゃんな奴もいれば、俺以上のゲス野郎だっている。それどころか、大半の人間からは理解され得ない異常者だっているんだ。人間とはそういう生き物だ。一定の道徳観や倫理観を持つ常識的な人間が大勢を占めるが、そいつらでさえ敵に対しては無慈悲で容赦のない攻撃をするぞ。家族や国、自分の大切なものを守るためなら手段を選ばない。家族や国を愛しているんだから当たり前だ」
シャイルは目にうっすらと涙を浮かべてうつむいた。
そのせいでポニーテールが垂直に立ち、まるでシャイルの代わりに俺を
「そんなの……おかしいよ……」
シャイルの足元に二つの水滴が落ちた。シャイルは両の拳を固く握り締め、肩を震わせている。
「何がおかしい? 言ってみろよ」
俺は口調を和らげることなく言って、ポニーテールの返事を待った。
「なんで誰かを守るためにほかの誰かを傷つけなくちゃいけないの? なんでみんな仲良くできないの? すべての人間がほかのすべての人間を愛することができたら世界は平和なのに」
俺は包み隠さず、深く大きな溜息を吐いた。
その答えは俺がさっき言った中にもあった。
「だったら
「もちろんよ。少なくとも、そうあろうとしている」
「じゃあ、おまえは俺のことも愛しているのか?」
顔を上げたシャイルの目は赤く充血していた。その目で俺を睨みあげ、そして言い放つ。
「もちろんよ!」
それが意地を張って言ったことなのか、本当に俺を含めたすべての人間を愛しているのか、俺には分からなかったし、もはやどちらでもよかった。
「おまえの言う愛の世界、それを実現するには、おまえとおまえのクローンだけしかいない世界を作るしかないな」
「…………」
シャイルはうつむいて顔を上げない。納得していない様子だ。
「おまえが他人を傷つけたくないのなら、何もしなければいい。どうせマーリンは俺が助ける。おまえは目の前でキーラとリーズが殺されるのを黙って見ていればいい」
瞬間、シャイルの右手が飛んできた。その右手は俺の左
俺が素直にぶたれるいわれはない。しかし予期していなかったからギリギリになってしまった。
俺がシャイルの手をはねのけて彼女との距離を詰めると、彼女はビクッとした。怯えている。今度は肩だけでなく、全身が小さく震えている。
そんな彼女の
「ふん、俺は安心したぞ。おまえはまだ救いようがあるらしい」
シャイルは不意を突かれた猫みたいにキョトンとした。極刑を覚悟していたのに意外な言葉をかけられたからだろう。そして、その意外な言葉の意味が分からなかったのだろう。
だが、しばらくして理解したらしく、シャイルはうつむいて再び両の拳を握り締めた。
シャイルは気づいてしまったのだ。
自分のために怒り、そのために人に手をあげてしまったことを。
彼女は悔しいのだ。
しかし、俺にとっては嬉しいことだった。
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