第53話 作戦会議①

 職員室の隅にあるパーテーションで仕切られた応接の間。そこには二人掛けのソファーがU字型に配置されており、中央の長方形テーブルには四つの湯のみが置いてあった。

 俺はレイジーと向かい合わせになる位置に座った。対面のレイジーの隣には教頭先生が腰を下ろしている。それから、なぜか俺の隣にダースがいた。


「えっと、ここはレイジーが仕切らせてもらいますね」


 レイジーが隣を見上げ、教頭は黙ってうなずいた。


「最初にエスト君が誤解しているかもしれないので、それを解いておきます。エスト君はレイジーたちが帝国と学院や関係諸国との戦争を避けるために君を止めたと思っているかもしれないけれど、そうじゃないんだよ」


「ほう」


 戦闘前のダースの口ぶりから、多少なりともそれは察していた。

 俺は視線を送り、レイジーに続きを促す。


「学院内で白昼堂々とマーリンちゃんを誘拐されたことは、魔導学院としても大変遺憾いかんなことだし、何よりマーリンちゃんのために、彼女の奪還は必ず果たします。でもね、相手が強大なことを知っているから、準備を万端に整えてからかかろうってわけなんだよ」


「準備? 武器と兵士でもそろえるのか? それなら無駄だ。俺が単身で乗り込んだほうが早い」


「それはないかなぁ。レイジーはものすごく強い人が帝国にいることを知っているからねぇ」


「ほう、それは楽しみだな」


 二つの不敵な笑みがぶつかり合う。教頭は隣で目を閉じている。ダースの方は見ない。


「まあ、聞いてよ。君は世界の常識を知らないほど辺境の異国から来たらしいけれど、E3《エラースリー》って知っているかな?」


「知らん」


「知らないかぁ。最強を求めるのにE3エラースリーを知らないってのは意外だよ。E3ってのはね、世界で最強とうたわれる三人の魔導師のことなんだよ」


「三人もいたら最強とはいえないな。最強っていうのはな、すべての中でいちばん強いただ一人のことだ」


「まあそう言いたい気持ちは分かるけれど、この三人の優劣はつけられないんだよ。世界情勢の都合でね。抑止力って言えば分かるかな? 世界最強と呼ばれる魔導師は三国に分散して在籍しているけれど、その一人の力は一国の軍隊以上とも言われていて、もしその三人に優劣がついてしまうと、それは彼らの在籍国そのものの優劣になってしまう。だから世界戦争を起こさせないためにも、E3は互いに戦ってはいけないという世界協定が結ばれているんだよ」


 面白い。世界に認められた三人か。

 E3同士が戦うのは禁じられていても、そのほかの魔導師とは戦えるわけだ。

 もしも俺が誰かに勝てば、その瞬間に世界の均衡は揺らぐことになるだろう。


「悪い顔をしているね、エスト」


 ダースが横から水を差す。俺はそれを無視した。催促はすべてレイジーに送る。


「で、そのE3とやらが何だって?」


「リオン帝国・近衛騎士団。その団長がE3の一人なんだよ。つまり、もしも正面から帝国に攻め入ったら、そのE3の一人と戦わざるを得ないってわけ。エスト君だってリスクをおかしてマーリンちゃんの救出と自分の趣味とを両立させるより、マーリンちゃんを確実に救出するほうがいいでしょう?」


「そりゃまあ、E3とはマーリンを救出した後に気兼ねなく戦いたいところだ。だが、机上で作戦を練ったところで確実にE3を回避するなんてできないだろう?」


「いやいやいやぁ、できるんだなぁ、それが」


「へぇ。聞こうじゃないか」


 レイジーはニッと笑ってみせた。俺の驚く顔を楽しみにしているという顔だ。よほどの策があるのか。俺が驚くなど、そうそうあることではない。


「作戦のかなめとなる特別ゲストをご紹介します。帝国・近衛騎士団団長、ご本人様でーす!」


「はぁ⁉」


 パーテーションの向こう側を足音が移動する。そして二人の人間が俺たちの前に姿を現した。

 一人は風紀委員長、ルーレ・リッヒ。彼女がゲストをここまで案内してきたのだ。そして、そのゲストは……。


「あんた、あのときの……」


 見覚えがあった。


 バトルフェスティバルの決勝戦たるレイジー戦の前に、控え室で会った白い女だ。いまもあのときと格好は変わらない。純白のワンピースに、ツバの広い純白のハット。その凛としたたたずまいは、説明がなくともタダ者ではないことを明白にさせる。


「すでにご紹介に預かりましたが、改めて自己紹介をさせていただきましょう。私はリオン帝国近衛騎士団団長を務めております、リーン・リッヒと申します。事情は私から話させていただきます」


 清涼感のあるんだ声だ。それでいて、芯が通っているような強さを内包している。見た目の補正がなくとも、その声質と口調がただならぬ者だと名乗っている。


「リッヒ、ということは……」


「ええ、そうです。彼女は私の従姉いとこにあたる方です」


 ルーレ・リッヒが補足した。

 典麗てんれい秀麗しゅうれいの二人が並んだ様はまさに錦上添花きんじょうてんか。それが武を極めた家系だというのだから、神はよほど均衡や平等というものが嫌いらしい。


 明朗めいろうさで食い下がるレイジーが、ルーレの補足にさらに付け加える。


「それで、レイジーの親友でもあるんだよ」


「おう、そうか……」


 さり気なく人脈自慢を披露ひろうされた気もするが、それを口にするようではゲスではなく単なる器の小さい男になってしまう。

 実際、俺の興味は敵のエースがなぜ敵地におもむいて自己紹介などしているかということだ。


「まあ、座ってよ」


 レイジーが促し、奥手にある上座のソファーにリッヒ家の二人が座った。


「で、その事情というのは?」


 俺とダースは右に、レイジーと教頭先生は左に傾注し、ゲストの開口を待った。


「もうある程度は御存知かもしれませんが、リオン帝国はマジックイーターに侵食されつつあります。その侵食は皇室にまで及び、三人いる皇妃のうち二人もがマジックイーターという有様なのです。しかも、皇帝は第二皇妃に生気をしぼり取られてモウロクしているため、皇妃や大臣の言いなりも同然の存在となっているのです。だからあなた方には、帝国の皇室に切り込み、マジックイーターたちを排除していただきたいのです」


「それは力ずくでってこと、だよな? それならE3だとかいうあんたがやればいいんじゃないか? 仮にも最強の一角なんだろ?」


 他人のことを最強と呼ぶ自分に嫌悪感が走る。最強は俺だと主張したいところだが、さすがにそれは空気を読めていなさすぎる。迂闊うかつなことを言って空気がシラけると、俺のゲスとしての品格も落ちる。


 リーン・リッヒは俺のそんな薄汚れた思考など知るよしもなく、強い視線に美しい声を載せて俺に語る。


「私は近衛騎士団団長です。いかなる理由があろうと、皇帝家にやいばを向けることは許されません」


「だったら近衛騎士を辞めれば?」


 俺は単刀直入に指摘する。解決策として最適解だと自負するその下に、リーン・リッヒという女性の顔が狼狽ろうばいする様を見たいという気持ちが少しあった。

 しかし、彼女の表情は鉄芯に貫かれているかのようにブレがない。


「近衛騎士という務めとは別に、リッヒ家は皇帝家に永遠の忠誠を誓っているのです。これは帝国では最も栄誉なことであると同時に、これをないがしろにすることほど不名誉で恥ずべきことはありません。リッヒ家の当主としても、一介の騎士としても、絶対に皇帝家にそむくことはできません」


 俺の嗜虐心しぎゃくしんは溜息へと変質した。

 難儀なものだ。堅苦しい家系に生まれ、堅苦しい人間に育った。絶対的に固定化された価値観。しかしそれは、ある種の甘えではないのか。疑問を持たず従順に家系の言いつけに従い、自分の気持ちを殺す。

 彼女の苦労は受動的だ。俺も実は厳格な家の生まれなのだが、反発ばかりしていた。厳格な家系だから徹底的に押さえ込まれるが、それでも俺は抵抗しつづけた。俺は納得がいかなければ徹底的に交戦する。

 まあ、その結果として生まれたのがこのゲス野郎なわけだから、とても「ほらみろ」とは言えないのが悲しいところだ。


「エスト君には分からないだろうけれどねぇ。でも、忠誠心と誇りがリッヒ家の強さのみなもとだと言ったら、君は『それなら仕方ないな』と思うんじゃない?」


 俺に笑ってみせるレイジーの眉は八の字に下がっていた。彼女もリーン・リッヒの境遇に同情しているのだろう。


「まあ、E3とやらのあんたが敵でないっていうのなら、マーリンの奪還もマジックイーターの排除も楽な仕事だな」


 俺の言葉を受け、リーン・リッヒが咳払いを一つ入れた。


「えー、そこなのですが、私は帝国皇室を守護する身ですので、あなた方が攻めてきた場合には、全力を持って排除せねばなりません。私はこのたび、レイジーが戦うほどの相手が出てきたと聞いて、好機と直感したのです。その者がレイジーに匹敵する強さを持ち、レイジーとともに私に挑むのであれば、あるいは、と思ったのです。もちろん、私はあなた方が帝国に攻め入る刻に合わせて皇帝とともに城を開けるようには務めますが、もしもそれが叶わなかった折には、力ずくで私を突破してもらわなければなりません。そうなった場合に手を抜けない身であることを本当に申し訳なく思います」


 堅い、堅い、と思いあきれながら聞いていたら、いつの間にか俺の闘志に火を点けられ煽られていた。

 まるで我こそ王者と言わんばかりではないか。俺が挑戦者? それもレイジーとのタッグを組んでやっと対等に渡り合えるだと?


「攻めてこいと言っておいて、でも自分は邪魔をするって? しかも、天狗ばりにお高くとまっていやがる。なんならここであんたをぶっ潰してそのまま帝国を攻め落としてやろうか? あんたの相手は俺一人で十分だ。ついでに言うと、俺はマジックイーターどころか帝国そのものを乗っ取ってやるから、俺は正真正銘、あんたの敵だぜ。本気の本気でかかってきていい相手なんだぜ」


 リーン・リッヒは上品に笑った。その笑みに厭味いやみは感じなかったが、だからこそ、俺の言葉を戯言たわごとと捉え、あくまで自分が強いという余裕の上に笑みを浮かべていることが伝わってくる。


「あなたは情報を重要視していると聞きました。私はあなたの戦いを拝見しましたが、あなたは私のことを何も知らないでしょうから、私が帝国に戻る間にレイジーから聞くといいでしょう。帝国の内部事情等の渡せる情報はすべてレイジーに渡しています。そして作戦もレイジーに任せています。期待しているので、十分に準備してお越しください」


 リーン・リッヒは終始にわたり、上品な笑みか、あるいは清楚なうれいを顔に浮かべていた。

 彼女はルーレ・リッヒに連れられ、応接間を出ていった。


「最後まで余裕をかましてくれやがって。よほどの強い魔法を使うんだろうな。概念種か?」


 レイジーが噴き出すように笑う。

 何が楽しいのか。だいだい色の瞳が光っているように見える。


「違うよ。リーンの魔法は現象種、振動の魔導師だよ。それに、余裕っていうのも少し違うかな。親友だからこそ分かるけど、リーンも少し楽しみにしているみたいだったよ。君と戦えることをね。彼女は最強の騎士と呼ばれていて、アークドラゴンを一人で撃退したほどの使い手なんだ。だから、いままで手を抜いて戦うことしかしてこなかったけれど、今度はまともにやりあえる相手が現れたかもって、胸が高鳴っていると思うよ、きっと」


 アークドラゴンといえば、ネームド・オブ・ネームド・イーター。最強と謳われた竜型イーターだ。

 とはいっても、俺が対峙したことのないイーターを引き合いに出されても指標にはならない。

 だが、いいじゃないか、リーン・リッヒ。現象種の振動か。

 ちなみに俺の空気の種別は物質種に該当するらしい。水や石は物質種で、火や風や電気は現象種。光も現象種。闇は概念種……。

 ダースの闇はたしかに手強かった。だが、概念種以外で俺が苦戦した相手はいない。


「さて、そろそろ作戦について話そうじゃないか」


 教頭先生が咳払いを一つ入れた。

 閑話休題の指示が出たところで、レイジーは立ち上がり、どこからかホワイトボードをひっぱってきた。


「エスト君は帝国のことをよく知らないみたいだから、常識的な範囲ではあるけれど、帝国についての説明を作戦と合わせて説明するね」


 たかぶってきたところでお預けの座学ときましたか。

 あなたもなかなかゲスですね、レイジーさん。

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