第42話 レイジー・デント①

 バトルフェスティバルの再開が宣言されて三日が経った。

 そして今日がその試合日だ。

 準決勝の相手となるはずだったルーレ・リッヒは棄権した。

 バトフェス外でのこととはいえ、俺との勝敗はすでに決しているので、改めて戦う必要もないと提言したらしい。


 対するレイジーの相手も、当然のように棄権している。

 二つの準決勝がいずれも相手の棄権による不戦勝というこの事態は異例そのものだろう。


 とにかく俺は今日、四天魔にして学院最強の生徒、レイジー・デントと戦う。


 俺はマーリンに質問してレイジーの能力を探り当てようと試みたが、結局それはかなわなかった。

 レイジーの魔法が概念種ではないこと、発生型であること、毒系の魔法ではないことまでは突きとめた。


 レイジーに関する情報収集の収穫は薄い。

 だが、収穫自体はおおいにあった。俺がマーリンにレイジーの能力について聞くうちに、マーリン自身について新たに多くのことが分かってきたのだ。

 それをまとめると、おおよそ次のとおり。



・マーリンの能力は、訊かれたことに対して真実を知ることができる能力であり、マーリンは何でも知っているわけではない。訊かれるまで真実を知ることはできない。


・訊かれたことに必ず答えなければならないという制約はない。黙秘することが可能。ただし嘘の答えを言うことはできない。


・思考を文字や言語にすることができず、筆談もできない。首を縦や横に振ったり、袖をひっぱったりと、ささやかな意思表示は可能。


・真偽の返答以外にも、気持ちの是非を言葉にすることが可能。肯定の意思は「そー」で、これは真偽の肯定と同じだが、否定の意思は「やー」であり、真偽否定の「ちがー」とは異なる。



 マーリンについてはまだ謎の部分も多いが、彼女の能力も一匹の精霊と契約して得た一つの魔法にすぎない。能力というのは性質を理解してこそ応用することができ、真価を発揮させられるのだ。

 マーリンの魔法はマーリン自身が使うような設計ではない。それを使う相手がいなければ成り立たない特異な能力だ。これも能力の価値の高さゆえに設けられた制約なのかもしれない。


 それから、マーリンはほとんど「やー」と言わない。それはマーリンが自らの意思表示をしないということだ。

 ローグ学園の理事長に飼いならされる身だったマーリンは自分の意思を殺してきたのだろう。俺は彼女が「やー」と気軽に言えるようにしてやりたい。


「エストはロリコン?」


「そー」


「私はロリータ?」


「…………」


 俺が考え事をしている隣でエアがマーリンで遊んでいる。

 これを聞いてもう一つ思い出したが、世の中はすべてが必ずしも真と偽に振り分けられるわけではない。

 そういう微妙なことを問うた場合、定義にのせたとしても曖昧で判別不能であれば、マーリンは答えられない。

 たしかにエアは幼い少女の姿をしているが、幼女と呼べるほど幼くはない。俺自身もエアに対して引き立てて優しくはしない一方で強く当たることもない。エアはロリータかそうでないかの境界にいるといえる。


「エア、馬鹿な質問をしてないで、シャイルを呼んでくれ」


 エアは空気の精霊であり、どこにでも姿を現せる。俺がこう頼めば、電話のごとく瞬間的に相手との連絡を取ることができる。


「エスト、シャイルは用件を求めている」


 さすがに呼べば飛んでくるということはないか。相手も人間。仕方のないことだ。

 この世界の住人は頭の回らない馬鹿ばかりだと思っていたが、最近は強い魔導師とも戦って、みんなそれなりに考えて生きているのだと思うようになった。


「マーリンを預かってほしいからだ。俺はバトルフェスティバルの決勝戦に出場する。さすがにそこまでは連れていけない」


 俺が頼み事をできる相手といったら、シャイル、キーラ、リーズくらいしかいない。

 ダースには頼み事をしたくない。あんな薄気味悪い奴にはマーリンは任せられない。

 メターモはジム・アクティの一件以来、まだ姿を見せていない。どちらにせよイーターなんぞにも任せられない。

 それで三人の誰に任せるかとなれば、やはりシャイルだろう。実力も三人の中ではいちばん高いと俺は踏んでいるし、何より身をていしてでも他者を守る彼女にこそマーリンを任せるのにふさわしい。

 三人ともに頼むという選択肢もないわけではないが、キーラは足をひっぱりそうだし、リーズはシャイルと喧嘩して邪魔になりそうだ。


 ちなみにエアたち精霊は契約者のサポートはできても自律して行動することはできない。まず信頼関係がなければ姿すら見せないらしい。だから俺はいまだにキーラとリーズの精霊を見ていないのだ。


「シャイル、すぐ来るって」


「ああ、分かった」


 俺が身支度を済ませて数分の後にシャイルはやってきた。


「会場は人が多く危険だ。ここで待機していろ。それじゃあ頼むぞ」


「そこまで徹底して他人を信用しないのは、もう感心してしまうレベルだよ」


「馬鹿を言うな。おまえにマーリンを預けて出かける体たらくで、徹底できているとはいえん」


 シャイルは乾いた笑いを漏らし、マーリンと手をつないだ。


「マーリンちゃんのことは私が見ているから、エスト君も決勝戦がんばってね。見に行けないのは残念だけど、朗報を期待しているわ」


「ああ。じゃあ任せたぞ」


 俺は会場へと飛んだ。

 受付でコールを済まし、控え室へ入る。

 このときの俺は少し気が緩んでいたかもしれない。部屋には先客がいて、身構えるのに一呼吸遅れてしまった。

 もしもその人物が俺を狙うマジックイーターだったら、俺は死んでいたかもしれない。


「誰だ!」


 スツールに腰掛けていたその人物は、ゆっくりと腰を上げてこちらに振り返った。

 ツバの広い純白のハットを目深まぶかに被り、顔が見えない。

 丈の長いワンピースが純白のせいか、肌は褐色がかっているように見える。

 女性だということは分かったが、部屋が暗いせいでそれ以上の情報が取れない。


「ごめんなさい。部屋を間違えました」


 そう言うと、彼女はそそくさと俺の隣を通りすぎてドアノブに手をかけた。


「ルーレ・リッヒ!」


 俺は思わずそう呼びかけた。

 顔は見えないし、声も小さくて聞き取れなかったが、歩くときの姿勢と、彼女のまとう凛然とした雰囲気が、俺にそう確信させた。

 白い衣に隠した風格が、俺の知る風紀委員長そのものだった。


「人違いです」


 人違いだった。

 たしかに彼女はルーレ・リッヒではなかった。白い女が振り返ったとき、わずかに顔をあげてみせたのだ。

 それは人違いだと証明するための意図した行為に違いなかった。


「失礼します」


 白い女はそそくさと出ていった。

 たしかにルーレ・リッヒではなかった。だが、おそらく無関係ではない。

 その根拠は二つある。

 一つ目は、あまりにも雰囲気が似ていたこと。

 もう一つは、人違いであることを証明するために、隠していた顔をわざわざ俺に見せて証明したこと。それはルーレ・リッヒ本人に迷惑がかからないようにという配慮にほかならない。

 それから、彼女がルーレ・リッヒの関係者かもしれないということとは別に、もう一つ分かることがある。

 彼女はもしかしたら、顔の知れた人間かもしれないということ。

 俺はこの世界のことを詳しく知らないが、それを知らないであろう彼女が俺に顔を隠していたということは、すなわち誰に対しても顔を隠しているということ。


 何者だろうか。


 試合前の俺を邪魔するための細工をしにきたわけではなさそうだった。

 部屋を間違えたという言葉を信じるならば、彼女は生徒会長に会いにきたということにほかならない。


 ――ファンファファーンッ!


 俺の思考を妨げるかのように、突如としてファンファーレが鳴り響いた。

 これはバトルフェスティバル開始の合図だ。


『さあさあ、皆様、本日はバトルフェスティバルの決勝戦でございます。本日も司会進行および実況はこの私、ミドセラがお送りさせていただきます。解説はキサン先生です』


『はい、よろしくお願いします』


『学院生の誘拐事件で一度は中止とされたこのバトフェスですが、事件解決の立役者であるゲス・エスト選手の強い希望で再開される運びとなりました。正直なところ、生徒会長が出場した時点で結末は見えているようなものですから、まさか今年のバトフェスが最後までおこなわれるとは思ってもみませんでした。何より、生徒会長の戦いが生で見られるとは思っていませんでした。その幸運をくれた無謀な挑戦者殿には感謝の念にえません』


 吹きやがる。俺が姿を見せていないからと、調子に乗っているようだ。

 我ながら器の小さいことだが、少しおきゅうを据えてやろうか、どうしようか。

 俺は会場へつながる扉をバンッと激しく開けた。


「ミドセラァ!」


『ヒェッ!』


 ミドセラは思わず奇声をあげて両手で口を塞いだが、こぼれた声はもう拾えない。


「ミドセラ、俺はおまえのことをバカだバカだと思っていたが、存外、語彙力があるじゃねえか」


 ミドセラは顔を真っ赤にした。それは照れている赤ではなく怒っている赤だ。口元をゆがめて俺をにらみつけている。

 しかし観衆の視線にハッとした彼女は、あきらめて咳払いを一つ置き、マイクに冷静な声を吹き込んだ。


『失礼しました。えー、ゲス・エスト選手、呼ぶまで登場は控えてください』


「そうか。次からはそうしてやる」


『次なんてないじゃないですか! て、ああ、あああ、会長まで!』


 ミドセラの視線を辿り、前方に目を向けると、小柄な少女が飛び跳ねながら四方八方に手を振っていた。

 会場が沸いている。世界を席巻するアイドルのように、かつてない大歓声があがっている。

 会長が登場するだけで、会場の熱量は桁違いに跳ね上がった。


「あんた、すごい人気だな。人望か?」


「ふふっ。さあね。人望があるかなんて自分では分かんないよ。見た目じゃないかな?」


 こいつも吹きやがる。

 まあ、たしかに亜麻色あまいろの長髪はつややかだし、顔の形も整っているし、背が小さいところもチャーミングだし、明るい性格も人をきつけそうだ。


『ごっほん。えー、役者もそろったことですし、さっそく試合を始めさせていただきます。と、その前に、キサン先生から注意事項がありまーす』


『キサンです。生徒会長のレイジー・デント選手の魔法は、その性質上、周囲にも危険が及ぶ可能性がありますので、試合は黒の閉空間でおこなわれます。ご了承ください。なお、試合の様子は私の魔術で皆さんの脳内に直接投影させていただきますので、観戦時は眼を閉じてください。私からは以上です』


『はい。ということで、設営担当の方、黒幕空間の展開をお願いしまーす』


 地面から植物が高速で生え出るみたいに黒いモヤが湧き出し、幾何学的きかがくてきな運動で伸び進み、会場に立方体をす黒い壁と天井が発生した。

 その黒が隙間なく全方位を包み込んだことで、俺の視界は真っ暗になった。すでに会場のリングに登場していた俺とレイジーだけが、この真っ暗闇の中にいる。誰かの魔法なのだろう。影か、闇か。

 そして、それとは対照的な魔法が発動される。

 天井の四方から眩い発光が起こり、その光量が絞られて空間内を適度な明るさで照らした。


「ほほう、なるほど」


 レイジー・デント。生徒会長にして四天魔。

 それから彼女専用のこのバトルフィールド。

 彼女の魔法が何なのか、ようやく見当がついた。

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