第32話 ルーレ・リッヒ③

 さて、どうするか。閉じ込められてそれなりの時間が経過している。酸素が減ってきているだろう。まずは一点集中で氷を溶かし、空気穴を作ろう。次に水抜きだ。その次に脱出。

 いや、違う。脱出はまだしない。俺を閉じ込めているこの氷は監獄だが、同時に鉄壁の鎧でもある。ここにいれば彼女は俺に手を出せない。ならば出なければいい。

 そして、鎧というのは生身の人間に対しては武器にもなり得る。


「方針、決定したぜ。勝ち筋は見えた」


 俺は頭上の一点方向に空気の振動を集中させた。操作を一箇所に集中できる分、振動数を上げることができる。

 直径にして一センチ程度の穴が開通した。ここで一度、深呼吸。新鮮な空気を肺に取り入れる。

 次に、その穴から中に溜まった水を出す。穴は頭上だがどうやるかって?

 簡単なこと。俺は空気を操作して氷の監獄を宙に浮かせた。そして天地をひっくり返す。180度回転すれば、頭上の風穴は足元になる。重力にしたがって水も流れ落ちていく。ペットボトルを逆さまにして水を捨てる要領だ。俺自身も倒立状態になるが、それは仕方ない。


 ルーレ・リッヒは三歩ほど後退あとずさりした。何か察知したのだとしたら、その感は鋭く、そして正しい。

 水を捨て終えた俺は、氷の監獄ごとルーレ・リッヒに体当たりした。

 彼女はやはり武器で防ごうとはせず、飛び退いてかわした。

 俺は再び監獄ごと宙に浮き上がる。氷が重いのでスピードは出ない。ルーレ・リッヒの体力が尽きるまで鈍間な攻撃を続けるか。

 いや、すぐに対策をされるだろう。氷の監獄の上に巨大な氷塊を生み出されたら身動きが取れなくなる。ルーレ・リッヒがそれを思いつく前に次の手に移らなければならない。


 ルーレ・リッヒの視線が俺の足元、つまり氷の監獄の上空へと向けられた。早くも氷塊の重し作戦に思い至ったようだ。

 俺はルーレの頭上へと移動する。落下すればルーレ・リッヒ自身が下敷きになるので、これですぐに重しは出せない。

 当然ながら、彼女は監獄の影から抜け出ようと走る。そして、寮の窓に飛び込み、建物内へと避難した。

 たしかにそこまでは追いかけられない。へたに突っ込んだら身動きがとれなくなる。

 彼女は再び俺の上空へと視線を送る。だが心配無用。俺が「勝ち筋は見えた」と言った時点ですべて想定済みなのだ。

 突如、彼女の刀が折れた。折れた刃が空中をさまよい、持ち主へと切っ先を向ける。

 監獄を横に向け、監獄に開けた風穴から監獄の外を直接見て刃周りの空気を操作しているのだ。ただ、片目で覗いているので距離感を掴むのが難しく安定はしない。

 だがそれでいい。ルーレ・リッヒと剣を交えるわけではないので、精度はそんなに必要ない。


「そうか! その穴を塞げば!」


 氷を創造しようとするが、折れた刃を飛ばして彼女の気を引きつける。彼女はすぐに新たな氷の刀を創造して折れた刃を弾き飛ばした。

 だが弾かれた刃はすぐに戻って再び切っ先をルーレへ向け、空中に静止する。


「な!」


 二本目の刀も折れた。そしてその刃が一本目の隣に並ぶ。

 そして三本目。刀を創造した瞬間に折れる。


「委員長! 我々も加勢に!」


「あなたたちは下がっていなさい!」


 ルーレ・リッヒの部下の風紀委員たちが俺をにらんでいる。

 情報のない彼らからいっせいに攻撃を受ければ俺は窮地きゅうちおちいるかもしれない。しかし、そのときは俺は容赦せず彼らを再起不能にするだろう。

 ルーレ・リッヒは俺という人物像をまだ掴めていないはずだし、俺が殺人者である可能性もまだ捨ててはいないはずだ。だから彼女の判断は正しい。


「キーラ、おまえも余計な手出しをするなよ。俺の邪魔になるからな」


「ルーレ様を私が攻撃するわけがないでしょ、バカ!」


「ちっ、相変わらず口が悪い。いずれシメてやる」


 ルーレ・リッヒは氷の盾を創造した。分厚くて簡単には割れない。

 俺は空気を操作して盾を取りあげた。さらに、ルーレ・リッヒを空気の膜で覆い、ガッチリと固定した。


「なにっ⁉ 体が動かない!」


 いまの彼女は指一本すら動かせない。そんな彼女へ三本の折れた氷刃ひょうじんが切っ先を向けて飛び出す機会をうかがっている。


「俺の勝ちだ。降参か?」


 答えを聞く必要はない。彼女の瞳はまだ闘志を失っていない。

 俺は三本の氷刃を飛ばした。瞬間、彼女を氷のドームが覆う。俺と同様、監獄を防御に使ったのだ。

 だがおそらく、その氷は密度を薄くしている。そうでなければ出られなくなる。発生型の魔導師は自分の生み出した要素を自分の意思で消すことはできないのだから。


往生際おうじょうぎわが悪いな。ま、俺はそういうのは嫌いじゃないけどな。それじゃあ、完全な詰みまで王手を続けるぜ」


 俺は先ほど取りあげた氷の盾を動かした。

 盾なのだから最高密度で創造しているはずだ。それを氷のドームに打ちつける。何度も打ちつける。

 やはりードームは簡単に割れた。そこで三本の氷刃の切っ先がルーレ・リッヒへと狙いを定める。さらに、割れた氷ドームの破片も多数浮き上がり、尖った部分を彼女へと向ける。


 彼女の瞳はまだ死んでいない。


「大した女だよ、あんた」


 きっと彼女は凄絶せいぜつな死を遂げる瞬間にも、そういう瞳をたたえているに違いない。

 俺は最後の一手を打つ。氷刃とドームの破片と盾がいっせいに彼女に向かって飛ぶ。


「ルーレ様! ルーレ様ぁああああ!」


 悲鳴の合唱が起こる。しかし彼女の視線は俺のいる監獄から逸らされない。

 ルーレ・リッヒは再び氷のドームを張った。

 氷の凶器たちはすべて弾き飛ばされた。盾の衝突に耐えるため、二度目は分厚い氷を張っただろう。脱出を放棄して存命に専念した防御。

 これこそが俺の狙いだった。

 ルーレ・リッヒは自分の氷に閉じ込められ、完全に無力化された。俺が氷越しに空気を操れないのと同じように、氷越しではうまく氷の出現位置を調整できないだろう。


 いい加減、重たい氷を空気で支えて浮いているのは疲れるので、監獄をゆっくり回転させて向きを元に戻していく。


「エスト、上! うえーっ!」


「ん?」


 突如、俺の体に大きな衝撃が走った。宙に浮いていた氷の監獄が急降下を始めたのだ。回転させていた角度が衝撃で元に戻り、横向きの状態になっている。

 上空を見ると、そこには立方体の巨大な氷塊が乗っていた。これはかなりの高密度体だ。かなり重い。空気の操作では勢いを殺しきれない。


「くそっ!」


 ルーレ・リッヒは最後の最後、ドームを張る直前に氷塊を創造していたのだ。

 相打ち狙いか。このままでは氷塊に潰される。俺が溶かして薄くなった氷の監獄は氷塊に潰されて割れるだろう。もし耐えたとして、氷の監獄ごと地中に埋まってしまう。


 落下。地表面まであと三秒。


 何かつっかえ棒になるものはないか! あった!


 あと二秒。


 校長の像を監獄の下へ移動させ、固定する。位置は俺の頭がある場所。


 あと一秒。


 耐ショック姿勢! 衝撃吸収用空気層形成! 監獄内の空気の流動性排除!


「エストォオオオオ!」


 キーラの悲鳴とともに、体の芯に響くような強烈な衝撃が俺を駆け抜けた。

 まだだ。衝撃はもう一度来る。校長の銅像と俺の頭部の氷が互いに頭突きした形で衝突し、そして氷の監獄は頭部を支点とし、回転して足だけを地に下ろした。

 監獄は斜めに着地した。角度にして四十五度くらい。巨大な氷塊は斜めになった監獄に跳ね飛ばされるように横へ飛んだ。通り道にあるものをすべて吹き飛ばし、一キロほどは跳ねながら転がっていったようだ。

 幸い学院とは反対の方角で大きな被害は出ていないはずだ。寮舎以外は、だが。

 黄昏寮は学院内でも特に大きく立派なところだが、建物の体積にして、その半分近くが消し飛んでいた。

 ついでに氷塊の衝撃で氷の監獄にヒビが入り、空気で軽い衝撃を与えるだけで簡単に割ることができた。


 残された風紀委員たちとキーラはあまりの光景に呆然と立ち尽くしている。


 俺は氷のドームに向かって歩いていき、ドームの天頂に空気と氷片のドリルで小さな穴を開けた。


「ルーレ・リッヒ。俺の勝ちだな。この穴から俺の魔法を流し込めば、あんたを殺すこともできる」


 ルーレ・リッヒは俺のその言葉を聞いている間も、その瞳に光を失うことはなかった。だが、これ以上はただいさぎよくないだけだと悟ったのか、ゆっくりと目蓋を閉じた。


「参った。私の負けだ」


 俺は天頂に開けた小さい穴から空気を流し込み、そしてドームを内側から持ち上げた。


「これで四天魔は二人倒したことになる。でも、あんたは四天魔のナンバーツーなんだろ? だったら、あと一人倒せば俺が最強ということになるな」


 そしておそらく、生徒会長が四天魔のナンバーワン。学院で最も権力を持つ生徒が彼女なのだから、そうとしか考えられない。


 ルーレ・リッヒはふふっと笑った。


「残念ながら、私はナンバースリーだ。私より上の四天魔は、私とは桁違いに強い。挑むなら覚悟することだ」


「そうなのか? あ、ジム・アクティがいなくなったいま、もう四天魔じゃないな。三羽烏。いや、俺があんたに勝って、俺があんたの後釜につく気はないから、次の四天魔の奴に会ったときには、四天魔ではなく学院の『双肩』に改名するよう進言しておいてやる」


「たしかに四天魔なんてないほうがいいのかもしれないな」


 ルーレ・リッヒは垂れた髪を耳の後ろへとかき上げ、微笑をたたえた。


 俺は強者の悔しがる顔を見ることを生きがいとしているが、彼女、ルーレからはそんなものは引き出せなくてもいいと思った。

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