第31話 ルーレ・リッヒ②

 強烈な殺気を感じ、俺は割れた窓から外に飛び出した。

 ルーレはすぐに俺を追いかけてきた。どうやら会話中に俺が足を拘束する氷を溶かしていたことに気づいていたようだ。

 俺は氷を溶かすことができる。氷の表面で空気を高速振動させ、熱を発生させたのだ。

 氷使いであるルーレ・リッヒとはバトルフェスティバルで戦うことが決まっていたのだから、対策を考えておくのは当然だ。


「ん?」


 午前の陽が高い時刻。今日の天気は快晴。

 ふいに俺に大きな影が覆いかぶさった。空を見上げると、そこには大きな氷塊があった。自由落下の速度で降ってくる。

 でかい。体積でいうと、寮の俺の部屋くらいはある。

 形は立方体。隙間などないので、下敷きになれば確実に圧死する。


「言っておきますが、一度出したものは自分では消せないので、降参するなら早めに宣言してくださいね」


 なまめかしい黒髪が優雅にはためく。強風を恐れぬ鋭い瞳が、しかと俺を捉えている。その目は降参を認めるものとはかけ離れている。消せない氷塊を出してから警告するあたり、実際に降参なんてさせる気はないのだろう。


「俺も言っておくが、死んでも降参はしねえ!」


 鋭く研ぎ澄ました風の刃を走らせ、氷塊を真っ二つに切断する。さらに空気の塊を下からぶつけ、氷塊の軌道を変える。氷塊の半分はルーレ・リッヒのいる方へと傾落けいらくする。


「死んだら降参したくてもできませんものね」


 ルーレ・リッヒの頭上で再び氷塊が真っ二つに割れる。彼女は氷の東屋を創造しており、その屋根にぶつかった氷は二方向に分かれて落下した。


「あんた、剣の心得があるのか」


 ルーレ・リッヒの右手には氷の刀が握られていた。どうやら氷塊を氷の刀で斬ったようだ。

 刀身は紙のように薄く、ガラスのように透明だ。よっぽど腕が立たなければ、あんなものは一瞬で折れてしまう。

 本物の刀ならば彼女はもっと強いのだろうか。即席で創造した氷の刀でいまの切れ味と耐久度を実現するとは、魔法の熟練度も相当なものだろう。

 柄も氷でできている刀はさすがに素手では握れないらしく、革の手袋をはめている。


「こう見えて、リッヒ家は武家の一門なのです。リーズから聞いていませんでしたか?」


「聞いてなかったな。じゃあリーズも剣を扱えるのか?」


「リーズには剣の才がなかったようで、弓術を修めています」


 へえ、それは初耳だ。リーズの魔法は操作型の風だったはず。風で矢の軌道修正をして命中精度を上げたりしていそうだ。


「リーズは弓か。でも、あんたはその弓術まで修めていそうだな」


「もちろん。ほかに槍術、体術も修めていますよ。武家の一門である以上、一族に伝わる武術のすべてを習得しなければなりません。そうでなければ後世に継承できませんから。ただ、その中でも得意な武器種は存在します。そしてその一つの武器種に特化した修練をすることも、リッヒ家の武人としての強さを示すために重要なのです」


「へえ。これは手強そうだ」


 ルーレ・リッヒは、自身が特化した武器は剣とは言っていない。先ほどの氷塊を斬った技量からして、彼女が得意な武器種は剣に違いないだろうが、そう思わせて槍という可能性もあるから警戒が必要だ。

 彼女との距離は十分に開いているが、いま以上に距離を開けるために俺は空へと上がった。中距離では槍術、近距離では剣術、至近距離では体術があるルーレ・リッヒに対しては遠距離での戦闘が有利だろう。しなる材質を必要とする弓は氷では再現できない。


「ちょっとおしゃべりがすぎたようです。いまの会話だけで瞬時に遠距離戦が有利と判断するとは」


「これだけ距離を開ければ、氷ですごく長い槍を作ったとしても簡単には扱えないからな」


「でも、あなたのこともだいぶ分かってきました。どうやら、あなたの魔法に対して私の魔法は相性がいいようです」


 ついに俺の魔法も見抜かれたようだ。聡明な者を相手に情報を与えすぎてしまった。

 見えない魔法で氷を斬ったり軌道をずらしたり、自分の体を宙に浮かせたりすれば、さすがに空気の操作型だと気づくだろう。

 ただ、彼女が俺の魔法の正体を見抜けていない可能性もあるため、決して自分から空気の話題は出さないでおく。


 そんなことを考えていると、突然、眼前に氷の壁ができあがった。前方だけではない。右も、左も、後ろも、上も、下も。俺は完全に氷の箱に閉じ込められていた。

 生成された氷は重力に従い落下する。中にいる俺も当然落下する。まるでワイヤーの切れたエレベーターだ。


「くそっ!」


 氷は重い。空気を操作して、落下スピードを殺す。

 どうにか着地によるダメージを回避した。

 しかし俺は閉じ込められたままだ。脱出しなければならない。このままでは酸欠になってしまう。

 俺は空気中の分子の種類を選り分けることはできるが、さすがに原子を組み替えて分子そのものを変化させることはできない。

 幸い体と氷との間には大きな隙間がある。空気を振動させて内部から溶かしていくしかない。

 本当は外部からも溶かしたいところだが、氷を挟むことで外の空気との正確な距離が掴めず、空気がうまく操作できないのだ。


 氷は少しずつ溶けていく。だが遅い。じれったい。空気を固めてドリルにしたいが、それをやるには狭すぎる。


 ルーレ・リッヒが動きだした。ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。氷から出た瞬間に刀で斬るつもりか。


 しかし、それより先に対処しなければならない重大な問題が発生した。溶かした氷が水として足元に溜まりだしたのだ。

 普通、物質が固体から液体へ融解する場合は体積が膨張する。しかし水は逆に収縮する。だから俺が氷を溶かすことで水が空間内を満たして溺れ死ぬということはない。

 しかし、氷によってキンキンに冷えた水が俺の体力を奪うのだ。

 それなら氷室内の空気すべてを振動させて熱を発生させればいいと思うだろう。だが、それは無駄なのだ。そこで発生する熱も氷の融解のためにすぐに奪われてしまう。

 それに、振動する空気に触れていては体がかゆくなる。痒いくらい、と思うかもしれないが、体の不調は敗北に直結しやすいから厳禁だ。


「ちっ、さすがだよ。さすが四天魔だ」


 声が聞こえていないのか、返事はない。

 氷越しに目の前に立つルーレ・リッヒは俺に対して刀を構えたまま動かなくなった。俺が出た瞬間、いや、氷が薄くなって脆くなった頃合に斬りつけるつもりに違いない。

 巨大な氷塊を斬るほどの刃は空気を固めても受けとめきれないだろう。斬撃は打撃よりも接触面積が小さいので力が分散せず、相当な気合を入れて空気を構成する分子たちを固定しなければならない。


 いや、待てよ。あの巨大な氷塊を斬れるなら、いま俺を斬ることもできるはずだ。俺は空気に勢いをつけられないから内側から氷塊を切断できないが、ルーレ・リッヒにはそんな制約はない。

 ならば、なぜ斬らない? 斬ったら俺を殺してしまうからか?

 いや、最初に頭上に出した氷塊は凡人なら即死級の攻撃だった。つまり、ルーレ・リッヒは本気で殺しにかかるくらいでないと俺には勝てないと考えて戦っている。

 ならば、なぜ斬らない?


「……斬れない、のか?」


 俺の小さなつぶやきは独り言だ。当然、ルーレ・リッヒには聞こえない。だが、俺の口の動きを読んだのか、眉がピクリと動いた。

 なるほど、彼女の作り出す氷はものによって質が違うということだ。

 質が違うというのはつまり、密度を変えているということ。最初に出した巨大な氷塊は、攻撃を終えたあとに早めに溶けるよう密度を小さくしていた。だが俺を閉じ込める氷は頑丈にしなければならず、密度を高めに設定した。

 刀の氷も密度を高く設定しているだろうが、同等級の氷を薄い刀では斬れない。


 ああ、それにしても寒い。

 氷を溶かす作業はだいぶ進んで、冷水が膝の辺りまでかさを増している。

 体力だけではない。思考力まで奪われる。これも狙っていたのだろうか。

 駄目だ。これ以上、思考力を奪われてはいけない。これ以上思考力が低下しないうちに作戦を立て直さねばならない。

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