第24話 イルの回想②

 イーター狩り当日。


 私たちは魔導学院の生徒ではないので、誰も魔法は使えない。

 スケアの話では各自が家から対イーター用の武器を持ってくるという話だった。

 私はそんな高価なものは持っていないので、イーター狩りに行くということは内緒にして、父にサバイバルナイフを借りた。

 心許無こころもとないが、ないよりはマシだ。


 私は通信所から馬車を依頼したが、御者が遅れているという。

 通信係員は魔導師よりも魔術師が務めていることが多く、それゆえ対応はそっけないことが多い。

 しかも通信可能な能力は貴重かつ重宝されるので、利用料金の値が張る。

 私は仕方なくスケアたちとの待ち合わせ場所の通信所へも連絡を入れた。


「はぁ? なんだよ、クソ。先に行ってっから、すぐに追いついてこいよ」


 スケアからの通話は一方的に切られた。


 私は帰りたい気持ちを抑え、とにかく御者を待った。


 私がようやく待ち合わせ場所に辿り着き、御者に代金を支払い、急いで馬車を降りた。とっくにいなくなっているはずのスケアが、まだそこにいた。

 サズと駄弁だべっている。


「待っていてくれたんだ……」


「ああ、シトーがまだ来てないからな」


 十分ほど待って、ようやくシトーがやってきた。

 愛想笑いを浮かべ、手を振りながら歩いてくる。


「ごめーん。遅れたー」


「ああ」


 スケアは不機嫌そうだったが、シトーを怒鳴ることもなく、返事一つで許した。


 私の中にネットリとしたモヤが立ち込める。

 自分が遅れると言ったときはあんなに怒って先に行くと言ったのに、シトーに対しては怒りもしない。

 スケアは私のことをどういうふうに思っているのだろう。

 いや、そんなこと、薄々感じていたことだ。これは考えないほうがいい。考えちゃ駄目だ。


「武器重い。イル、手伝ってよ」


 スケアはそう言って、身の丈より長い大鎌を私に突き出した。


「うん……」


 最近はスケアによく荷物を持たされる。

 手伝うのではない。私が持つのだ。スケアの荷物がないときはシトーやサズの荷物を持たされた。

 言い方が命令口調ではなかったから、友達としての頼みなのだと言いきかせるようにしている。

 しかし、いつも自分だけが荷物を持たされることはに落ちなかった。「せっかくイルがいるのに持ってもらう荷物ないじゃん」などと言っていることさえあった。

 考えないようにしたはずなのに、油断するとつい考えてしまう。私はただのパシリとして近くに置かれているのではないか、と。

 いまはこれが疑念ではなく確信だと気づかないように自分をだまして生きている。




 森は静かだった。

 スケアたちはこれまでに何度もイーター狩りに来ていたため、普段の森を知っている。いつもなら一時間もあるけば小さなイーターが飛びかかってくるらしい。

 しかし今日は二時間歩いてもイーターに遭遇しなかった。


 そんなとき、サズが声をあげた。


「あ、カエル」


 イーターではなかった。

 サズが自ら声を発することは珍しい。スケアたちは肩を落とすが、サズの発声に関しては、スケアもシトーも丁寧に拾う。

 シトーがサズの視線を追って、その場所を覗き込んだ。


「うわっ、三匹もいる! 気持ち悪いよぉ。って、死んでんじゃん」


「ほんとだ。かわいそう。ねえ、イル。この子たちを供養くようしてやんなよ」


 かわいそうだとか、心にもないくせに。


「え、でも、触りたくない……」


 そもそも、そう思っているのなら自分がやればいいのに。

 もちろん、そんなことは口にできないが。


「はぁ? ざけんな。かわいそうだと思わねーの? 見ろよ、このみじめな姿。仰向けにノビてんじゃん。食物連鎖にも弾かれてさぁ。かわいそうじゃん。ねえイル、食ってあげなよ」


「え……」


 趣味の悪い冗談だと思った。

 しかしスケアの目には、決して冗談のたぐいではないと分かる威圧的な光が宿っていた。

 常軌を逸している。狂気の沙汰だ。


「食え」


 声のトーンを落とし、静かに、しかし強く、ひと言だけ追加した。


 シトーはカエルの死骸を木の枝でつついて遊んでいた。


 サズは冷えきった視線をカエルに向けたまま何も言わなかった。


 スケアが私に顔を近づけ、熱湯のような熱い吐息にその言葉を乗せる。


「食え」


 スケアの瞳に殺気が宿ったのが分かった。

 逆らえないと思った。逆らったらスケアの鎌が私の体のどこかを斬り落とすという確信があった。


 覚悟を決めるのに、数滴の涙が必要だった。


 私はおそるおそるカエルの死骸を口に含んだ。


 これまでの人生で経験したことのない気持ち悪さだった。舌に乗せていられない。できるだけ舌が触れないように、うつむいて歯の上に載せた。


「噛め」


 そんなの、無理だ。堪えきれず、嗚咽する。

 しかし、逆らえない。私は上の歯と下の歯でカエルを挟んだ。そこから先に進めない。

 スケアがもう一度、噛めと言うと思った。いつ言われるのかと恐怖した。


 しかし違った。スケアが私の顎を下から叩いた。


 「ウッ、オッ、オエッ!」


 私は嘔吐した。口の中に飛び散った冷たい汁を全力で吐き出し、口の中を洗浄せんと胃の中のものまで逆流して口から飛び出した。決壊したダムのように、勢いよく噴出した。


「きったねーっ!」


 私の背中に誰かの手が触れる。

 背中をさすってくれるのかと思ったが違った。上着を剥ぎ取られた。


「キタネェなぁ。掃除すんの手伝ってやるよ」


 スケアが私の上着を吐しゃ物にこすりつけている。


「もうやめて……」


 涙が止まらない。

 もういやだ。耐えられない。

 ……死にたい。

 いますぐに死にたい。


「スケア。そろそろ行こう」


 サズの低い声。いつもの抑揚のない声。その声からは彼女の感情は読み取れない。

 状況から察するに、たぶん、サズは私を助けてくれた。スケアを直接止めることはできないが、スケアの意識を私から逸らさせようとしてくれたのだ、きっと。


「ん、そうね」


 スケアは淡白な返事を一つした。

 愉悦に浸っているところを邪魔されて不機嫌そうだったが、サズを怒鳴ることはなかった。

 スケアも私への興味を失ったのだろう。


 悔しい……。

 私はこんなにも苦しい思いをしたのに、スケアは少し愉しんで、自分が作り出したこの状況をすぐに投げ捨てた。まるで一口かじったリンゴが期待した甘さじゃなかったために、そのままゴミ箱に捨てたような、自分がそのリンゴであるかのような気持ちだった。


 三人は並んで歩きだす。

 私は泣きながら立ち上がった。嘔吐で胃が荒れてしんどかったが、自分の体にムチを打ってでも彼女たちについていくしかない。まともな武器を持たない私は、この森に一人で置いていかれるわけにはいかなかった。

 苦しみの瞬間から解放された途端、死への渇望かつぼうが枯れるところは、自分でも情けないのかたくましいのか分からなかった。

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