第22話 イル・マリル②

 俺は試しに空気を動かしてみた。しかし、手応えがない。

 なるほど。俺とイル・マリルの能力が入れ替わったらしい。


「おい、エア。いるか?」


「いる」


 俺が誰にも聞こえないような小声で呼びかけると、同じ声量でエアが応答した。

 自分で声量を絞る判断ができるまでにエアの学習が進んでいることは俺も満悦なのだが、いまはそれどころではない。俺に応答したということは、どうやら精霊までは入れ替わっていないようだ。

 だが、空気の能力がイル・マリルに取られ、俺は発生型の風の能力を押しつけられた。


「なあ、エア。能力が入れ替わっていることには気づいているか? これはティーチェの魔術に違いないが、魔術を解く方法はあるのか?」


「気づいている。魔術を解くにはその魔術の特性を理解し、魔術が成り立つ条件や環境を壊せばいい」


「特性を理解、か。能力が入れ替わっている相手を気絶なり何なりさせれば、元に戻りそうだな」


「それは分からない。魔術は感覚に作用するものであって、実際に能力を入れ替えられるわけじゃない。それができたら神様の所業」


「じゃあ、俺とイル・マリルは潜在意識だとか深層心理とかが、能力が入れ替わったと勘違いして、相手の能力しか使えなくなっているってことか? だが、イル・マリルは俺の能力を操作型の風の魔法だと信じ込んでいる。イル・マリルは結局のところ、風の能力しか使えないってことだよな?」


「それは分からない。イル・マリルは表層意識では風の操作しかできないと認識していてそれしかやってこないかもしれないけれど、潜在意識下では空気の操作を得ているかもしれない」


「それは厄介だな。早く倒して空気操作を取り戻さないと。交換相手のイル・マリルを倒せば元に戻るよな?」


「分からない。術者を気絶させるほうが確実」


 なるほど。事は俺が思ったよりも簡単かもしれない。いますぐティーチェに強烈な風をぶち当てれば、能力の入れ替わりはすぐに解けるだろう。


『どうしたことでしょう。両者、にらみ合ったまま動きがありません。相手の出方をうかがっているようですが、この膠着こうちゃく状態はいつまで続くのでしょうか!』


 風が強くなってきた。イル・マリルが風の操作に慣れてきたのだろう。


「戸惑っているようね。でも絶望するのは早い。ハーティが受けた屈辱と絶望を貴様に味わわせてやる!」


 風を感じる。下から吹き上げてくる。だんだん強くなる。

 イル・マリルは俺がハーティ・スタックにしたように、空中で俺の体を上下に揺さぶるつもりなのだろう。


 しかし俺の体は浮かない。俺が下方向に風を発生させているからだ。つまり、操作の風を創造の風で相殺しているのだ。

 そもそも、操作の能力は初速のない加速型であり、創造の能力は減衰性の初速型なのだ。イル・マリルは俺の足元の風だけを操作しているようだが、それでは十分な加速ができずに力は弱い。逆に俺は減衰させずに発生させた風をぶつけられる。

 俺も少し試して分かったが、発生型は自分との距離が遠い場所に風を発生させると、初速自体も少し弱まってしまう。

 だからいまのイル・マリルの攻撃では俺を浮かせることなどできはしない。


 ここが俺とこの世界の凡人どもとの差なのだ。もしも俺とイル・マリルが逆の立場だったなら、俺は相手の周囲の風を吹き降ろす形で加速させ、それを相手の足元に寄せ集めることで爆発的な上昇気流を生み出しただろう。


「イル・マリル。俺はたしかにさっき『おまえでは俺の能力に勝てない』と言った。だがよく思い返してみろ。俺は『能力』と言ったのであって、『魔法』とは言っていない。能力ってのはな、魔法だけでなくそれを使いこなす技術やセンス、それから戦術を立てる頭脳も含まれるんだ。つまり、おまえと俺の魔法が入れ替わったとしても、おまえは俺には勝てない。なぜなら、魔法ではなく、魔法を使う術者の性能が段違いだからだ」


 俺はあえて、この戦いが終わるまでティーチェを攻撃せず、入れ替わった能力を戻さないことにした。

 さっき俺の言ったことを証明し、イル・マリルに事実と現実というものを骨のずいまで叩き込んでやるためだ。


 イル・マリルは無言で攻撃方法を変えてきた。

 今度は空から頭上へと風が吹きおろしてくる。風で押し潰す魂胆だろうが無駄だ。やはり反対のベクトルの風を生み出して相殺するだけだ。


『どうやらすでに沈黙は破られているようです。マリル選手の魔法は風。彼女の攻撃は基本的に見えません。そしてエスト選手の魔法も、どうやら見えない種類のもののようです。両者の攻防は舞い上がる砂煙の動きでどうにか見当をつけられますが、戦いの行方を予測するのは難しそうです』


 マイクは「おおっと」しか言わない司会者から解説役に移っているらしい。

 風同士の攻防を実況するのは難易度が高かろう。そんな解説者に対しての親切というわけではなく、イル・マリルや観客に状況を把握させるために、俺はあえて砂煙を巻き込むようにして風を生成した。

 そうすることで、イル・マリルが巨大な風のうずの内側に閉じ込められていることが明白となるのだ。


「ふん、この程度……」


 渦は少し大きめに作っており、イル・マリルからは距離が開いているため彼女の黒いオーラにはかからない。だからイルが風の操作で俺の作った渦を相殺しようとする。


 しかし、俺の渦はビクともしない。それどころか勢いを増している。


「え、なんで……」


 イル・マリルには俺が風を操作して勢いを増しているように見えるだろう。ただでさえ発生型の風は生み出した後は減衰するだけのはずなのに。

 渦は砂塵を巻き込んでいるせいで殺傷力が上がっており、迂闊うかつに近づけない。初期ならまだしも、いまとなっては渦から抜け出すことはできない。


「教えてやるよ。俺はゆっくり強くなる風を生成したんだ。つまり、俺の風の生成はまだ終わっていない。生成が完了するまでは減衰もしないし、操作への抵抗力も高い」


 イル・マリルを取り囲む巨大な渦は、その直径を少しずつ縮め、それにともない回転の勢いを増していく。

 そして、渦は竜巻へと変貌を遂げる。

 それでもまだ減衰は始まらない。生成途中だから。生成完了に向けて威力は上がる一方だ。


「くっ、ああっ」


 ついにイル・マリルの体は宙へと放り出された。十メートルは飛んだだろうか。このまま落下したら無事では済まない。

 だがいまのイル・マリルならば風を操って無事に着地することは可能だ。イル・マリルを跳ね上げた竜巻は霧散し消失している。能力の入れ替わりを想定していたのなら、慣れていなくてもうまくやってのけるだろう。


 果たして、イル・マリルは自分の真下から風が吹き上げるように動かすことに成功した。ギリギリの急ブレーキではあったが、両手両脚を大の字に広げ、地面から三十センチくらいの高さに留まっていた。


 しかし、彼女が体勢を立て直すのを俺が待ってやる義理はない。攻撃するには都合のいい位置にあり、都合のいい格好をしている。

 俺はイル・マリルの真上から背中へと、巨大ハンマーを叩きつけるように太い急降下風を生み出した。


「ぐえっ!」


 イル・マリルは体の前面を地面へと勢いよく叩きつけられた。

 さっきまで彼女を覆っていた黒いオーラはすっかり消え去っていた。肉体のダメージが強く、他人への想いに気を回す余裕もなくなったのだろう。


「くそっ、まだ……」


「もう終わりだ。降参しろ」


「誰が降参なんか……」


 鋭く研いだ風をイル・マリルへと飛ばす。

 彼女の頬に紅い筋が走り、短い髪が数本、ハラリと舞った。


「おまえの底は知れた。降参しないのならば俺が終わらせる。宣言する。次に狙うのは、おまえの右腕だ。肩からスッパリと斬りおとす。次に左腕、その次に右脚、その次に左脚だ」


「ハッタリだ。相手に致命的な傷を負わせると失格になる」


「言葉だけの脅しではないぞ。俺はやると言ったら本当にやる。ただ、それを証明するにはおまえが高い代償を払うことになるけどな。なあ、イル・マリル。死んだわけでもない友人の敵討ちと、自分の五体満足、どっちが大事なんだ? もしおまえが腕を失ってでもそれを成し遂げたとして、ハーティ・スタックはおまえに感謝すると思うか?」


「当たり前だ!」


 イル・マリルは顔をあげ、こちらを睨みつけて言い放った。

 そして俺もひたいに筋を浮かべながら言い放つ。


「そんなわけあるか! ハーティ・スタックはおまえの体を見て必ずこう言う。『あたしのせいじゃない』ってな。おまえの想いが重すぎて、おまえ自身が友人を潰しかねないんだよ」


 イル・マリルの目は死んでいない。誰かさんが善意を盲信しているように、こいつは友人を盲信している。

 友人を信じ抜くといえば響きはいいが、彼女のは単なる盲信だ。盲信という言葉はいい言葉ではない。


「おい、審判。決着はついた。おまえが終わらせなければ、こいつは死ぬぞ」


 俺が審判を睨むと、審判は俺とイル・マリルを交互に見比べた。

 イル・マリルも「終わらせるな」と強い視線を送っている。


「彼女はまだ……」


 審判は首をかしげながら俺にそう言いかけた。

 俺が被せて怒鳴りつける。


「俺は馬鹿が嫌いだ。おまえ、審判だろ。喧嘩の仲介人じゃないんだからおまえが判断しろよ。だが、もういい。試合続行だ。他人の命に無頓着な奴が審判を務める罪は大きい。次の大技で必ずおまえも巻き込んでやる。死んどけ、無能」


「わ、わかった! そこまで! この試合、勝者エスト!」


 慌てて宣言した審判は、一目散に控え室の方へと逃げていった。


 イル・マリルが地面に拳を打ちつける。

 それを無視し、俺はティーチェを睨んだ。そして風を飛ばす。


 いや、飛ばなかった。


 試しに空気の塊を足元に作って蹴ってみたら、確かな手応えがあった。能力は元に戻っている。

 再び観客席の方に視線をやると、そこにティーチェの姿はなかった。


「エア」


「何?」


「能力が戻った。ティーチェが魔術で戻したのか? それともただ効力が切れただけか?」


「おそらく、効力を切った。魔術はかけっぱなしにできるけれど、同じ種類の魔術は上からかけられないから、今後、もっと弱い魔法と入れ替えるために戻したのだと思う」


 入れ替えという性質上、俺とイル・マリルが一緒にいるときに戻しておかなければ、後になって戻せず困ってしまうのだろう。

 あるいは俺がティーチェを絞めあげた拍子に能力が戻り、ティーチェの仕業だという明確な根拠を俺に与えるのを避けたかったのか。

 まあいい。いずれ尻尾を掴んで、そのまま引き千切ってやる。


「おい、イル・マリル。あとで俺のところに来い。おまえは力ずくではどうあがいても俺に勝てない。だが、おまえが自分を正当だと思っているのなら、俺を説き伏せてみろ。そのチャンスをやる」


 俺が立ち去ろうとすると、追いすがるような声が飛んできて思わず立ち止まった。

 俺は振り向くことなく、彼女の声に耳を傾けた。


「もし、その……、説き伏せることができたなら、どうするっていうの?」


「俺はこう見えて常識というものを理解している。俺がおまえの言葉によって自分の非を認めたなら、俺はおまえとハーティ・スタックに謝罪してやる」


 俺は再び足を前に運んだ。もう俺を呼びとめる声はない。


 くくく、楽しみだ。彼女は必ず来る。

 そして、逆に俺に説き伏せられるのだ。

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