第21話 イル・マリル①

『さて始まりました。バトルフェスティバル二日目。昨日おこなわれました一回戦の勝者たちが、本日の第二回戦で激突します。ただし、シャイル・マーン選手の棄権によりイル・マリル選手が出場です。ではさっそく参りましょう。第二回戦、一戦目。そのカードは、ゲス・エスト選手! それから、イル・マリル選手でーす! 両名、リングに入場してください』


 俺はリングへと向かって歩く。対岸からはイル・マリルがこちらへ向かってくる。

 すでに黒い。周囲の空間を黒く歪めている。イルの憎しみはシャイルへ向けるものよりも俺へ向けるもののほうが強いということか。

 近くで見ると、さすがに空間を変質させるほどの気迫は迫力がある。

 司会者の方を一瞥いちべつすると、司会兼実況のミドセラは俺から視線を逸らし、マイクを解説のキサン先生に渡した。


『それでは選手のお二人についてお話しますね。ゲス・エスト選手は昨日の戦いで四天魔の一角、ジム・アクティ選手をやぶりました。そして彼の魔法が何なのか、実は先生方を含め、誰も知らないのです。謎の多い選手ですが、ゲス・エスト選手が昨日の時点で優勝候補にのし上がったのは間違いありません。対するイル・マリル選手ですが、昨日の戦いでは判定負けしたものの、対戦相手であるシャイル・マーン選手が棄権したために二回戦進出となりました。彼女の対戦相手は優勝候補ですが、勝敗の行方はまだ分かりません。御覧ください、彼女の闘気を。気後きおくれは微塵みじんもない様子。これはいい戦いになりそうです』


 マイクが司会のミドセラの手に戻り、そして開始の号令が発せられる。


『それでは、第二回戦、一戦目。はじめ!』


 さっき解説者はイルの能力説明をしなかったが、イルの能力は風の発生型だ。これは俺の空気の操作型の下位互換と言っても過言ではない。イルの意志が強かろうと、俺が負けることなどあるはずがない。


「イル・マリル。言いたいことがあるなら言えよ。再起不能になる前にな」


 イルは少しためらった様子だった。

 言いたいことがある。しかし、俺の挑発が邪魔をしている。もしここで言いたいことを言ったら、俺の言葉に従ったことになって、戦ったら自分が負けるだろうことを認めたように見えてしまう。

 だから、言いたいことを言わずに攻撃をしかけたい。それでも彼女は言いたいことを言うことにしたようだ。

 それは自分のプライドよりも大切なものが、その言葉に乗っていることを意味するのだろう。


「ハーティは、貴様のせいで学院に来なくなった。精神を病んで、自室に引きこもって、出てこなくなった。貴様のせいだ。私は貴様を許さない!」


 ハーティ・スタック。俺とシャイルがダースを迎えに行くときに、イル・マリルとともに立ち塞がった女だ。

 ハーティはシャイルを目の仇にしているようで、何かにつけて言いがかりをつけていたらしい。

 あのときもそうだった。それを俺が懲らしめた。

 ハーティとシャイル、二人の間にかつて何があったかは知らない。しかし他人にあからさまな悪意を向ける以上、自分が理不尽な仕打ちを受けることに文句を言えるはずがない。

 ま、だからと言って俺は自分が悪くないなどと責任逃れをするつもりはないし、俺にどんな責任があろうが知ったことではない。俺は俺の信念にもとづき行動するだけだ。


「ふーん。で、なんでおまえが怒ってんだよ。おまえ、ハーティじゃねーだろ」


「ハーティは大切な友達。唯一無二の親友が傷つけられて怒らないわけがない!」


「唯一無二でなかったら怒らなかったのか? おまえに親友が二人いたなら、そんなに怒らなかったのか?」


「数は関係ない。言葉の揚げ足を取るな!」


 おっと、それはたしかに無粋だった。いまのは俺が悪いな。

 これは表面的ないさかいではないのだ。言葉で勝負するのなら、相手に理解させ、相手を納得させなければ精神的に屈服させたことにはならない。


「悪かった」


「なにっ⁉」


 目を皿にするイル。一瞬、周囲の闇色のモヤが揺らぎ、消滅しかける。

 だがすぐに持ち直した。

 さすがにひと言の謝罪でそれが消滅したら、興冷めもはなはだしい。


「いや、言葉尻を捉えたことについてだ。余計なことを言った。で、おまえはなぜ他人のことで怒っている?」


「ハーティは私の恩人だ。私は過去にハーティに助けられたことがある。それで私は一生ハーティを慕って生きていくと決めた。それなのに貴様は私からハーティを奪った。いつも私の隣にいるハーティを。絶対に許さない」


「ふーん、なるほど」


 こういうとき、普通だったらどんな言葉をかけるものだろう。

 もしここに立つのが俺ではなくラノベの主人公だったなら、「憎しみは何も生まない」とか、「復讐なんてむなしいだけだ」とか、挙句の果てには「憎しみの連鎖を断ち切る」などと、わけの分からないことを言いだすのだろう。へたをすれば平謝りしてから説得しだしたりする。

 彼らの言葉には少しの重みもない。つくづく反吐が出る。


 考えてもみろよ。もし自分が傷つけられたときに、友人がそんな、なんか綺麗そうに聞こえる御託ごたくを並べて顔だけ歪めてみせてくれたとしても、そっちのほうが虚しくなるってもんだ。

 そうだろう? 友人は自分のために何もしないんだぜ。薄情でしかないだろ。所詮は他人事だと思っているんだ。

 それよりも、そいつにとって他人である自分のために行動してくれるのなら、仮にそれが許されざることだったとしても嬉しく思うものだ。

 で、そんな厚情の友の手を汚したくないからとそいつを止めていい者がいるとすれば、その友の行動の原因となった本人だけだ。その友人のことが大切だったなら、きっと俺でも止めるだろう。

 つまり、いまのイル・マリルを止める権利があるのはハーティ・スタックだけということだ。

 もっとも、俺の元いた世界であれば倫理的な社会通念と法律が邪魔をして理不尽な抑制の力が働くことになるが。


 つまり俺が何を言っているかというと、第三者が気持ちをんだフリをしてごちゃごちゃ言うのは筋違いってことだ。

 せいぜい「復讐だろうが何だろうが、法に触れるおこないは認められないからおまえを止める。おまえの気持ちは関係ない」くらいのことを言わないと、そいつが干渉するのは妥当じゃない。

 だから、俺はイルの復讐を認める。ただし、俺が彼女の復讐を甘んじて受け入れるわけではない。どんな理由があろうとも、俺に牙を剥く以上、徹底的に叩き伏せる。


「分かった。イル・マリル。好きなだけ俺を恨め、憎め。憎悪し、嫌悪しろ。おまえの気持ちをすべて開放しろ。全部を俺にぶつけてこい。おまえにはその機会が与えられた。ここは戦うための場所だ。たとえ復讐が世に認められずとも、そのための行為自体はいまここでは認められている。それはいまのおまえにとってこの上なく幸せなことだろう。ただ、どうしようもなく不幸なことが一つだけある。相手が悪すぎたってことだ」


 イル・マリルを覆う歪みがブワッと広がり、会場全体を豪風が襲う。

 しかし彼女は無差別攻撃をしているわけではない。風は収束していき、竜巻になり、俺へと向かってくる。


 なるほど。そういうことができるのか。

 一見、風を操作して束ねているように見えるが、発生型の能力者である彼女にそれはできない。

 つまり、収束するような風を生み出したということだ。開始時の規模を大きくすることで、竜巻になったときの密度、つまり威力が増すというわけだ。


『おおっと、これはすごい竜巻だ! エスト選手、これをどうさばくのか!』


 まったくだ。どうさばいたものか。真空を作り出して風を消そうにも、そのために動かす空気を取り込まれてしまう。

 もしこれが操作型の能力であれば、能力者本体を叩けば能力を消すことができるだろうが、発生型で生まれた竜巻はすでに自立している。イル・マリルを攻撃しても無駄だ。


 ではどうする?

 手間はかかるが竜巻を打ち消す逆回転の操作をしてみようか。

 いや、そうじゃないな。順回転させてさらに威力を増すと同時に、竜巻を乗っ取ってしまおう。

 竜巻も所詮は空気で構成される現象にすぎない。操作型の空気の能力者である俺が操作できない道理はない。イル・マリルが発生させた量の風を俺の操作する空気が上回れば、竜巻は俺の制御下になる。


『おおっと、エスト選手に向かって進んでいた巨大竜巻の動きに変化が! 竜巻は勢いを増すとともにマリル選手へと返っていきます』


 操作型ではなく発生型であるイル・マリルには、もはや竜巻を取り返すことはできない。押し返された竜巻を防ぐための方法は、逆回転の風を生み出して相殺することだ。

 しかし、自分の渾身の竜巻に俺の空気操作が加わった竜巻は、イル・マリルに相殺できる代物ではなくなっている。


『マリル選手、竜巻を相殺しにかかっているようです。竜巻は少しずつ小さくなっていますが、このままでは防ぎきれません。どうする、マリル選手。絶体絶命です!』


 そう、イル・マリルはこのまま自分の生み出した竜巻によって全身を切り裂かれるか、巻き取られ上空に吹き飛ばされるしかない。

 そのはずだった。


『おおっ⁉ 竜巻がみるみる弱まっていく! 消滅したーっ!』


 俺とイル・マリルの間には、わずかばかりの砂塵が舞うだけで、渦を巻く風の姿はどこにもなかった。

 イル・マリルが竜巻を相殺しきることができたのは、紛れもなく黒いオーラがその性質を十分に発揮したからにほかならない。

 黒いオーラは他者の能力を弱める力がある。俺の空気操作をイル・マリルの黒いオーラがかき消すことで、竜巻は彼女自身で相殺できるレベルまで弱まったのだ。


「なるほど。おまえの想いの力ってやつは大したものだよ。だが、おまえでは俺の能力に勝てない」


 イル・マリルは歯噛みするような表情を浮かべているが、少しだけ右の口元を上げ、ほくそ笑んだ。


「そうだろうさ。だが私は貴様の能力の正体を見切った。よりにもよって、貴様が持っていたとは。私がかねてから羨望せんぼうしていた魔法を。私は自分の風の能力が発生型ではなく操作型だったとしたら、どれだけよかっただろうと、ずっと悔しがっていたんだ」


 こいつ、どうやら俺の能力を勘違いしているらしい。

 風の操作型の能力者はうちのクラスの風紀委員、リーズだ。別の人間に同じ種類の能力が備わることはないのだから、俺が操作型の風の能力であるはずがない。

 つまり、イル・マリルはリーズのことを、あるいはリーズの能力を知らない。

 自分の大好きな友人だけを妄信してほかの者に興味を示さないから、誤った情報を信じ、それはときに致命傷となる。


「で、それがどうしたって?」


 俺の優勢は揺るがない。

 しかし、イル・マリルのやけに自信に満ちた表情には、この俺でさえ、そこはかとない不安をかきたてられる。

 必ず何かある。黒いオーラだけではない何か、とっておきの奥の手でも隠し持っているのか。


「さっき、『おまえでは俺の能力に勝てない』と言ったな。だったら、もしも私と貴様とで使える魔法が逆だったならば、貴様は私には勝てないな!」


 イル・マリルが観客席を一瞥した。アイ・コンタクトのようだった。

 イル・マリルが一瞬だけ視線を送った先には、試合を観戦する学院の先生どもが固まっていた。その中にはティーチェの姿もある。


「ん?」


 そのとき、俺の背筋をブワッとなぞりあげるような奇妙な感覚が襲った。

 前方のイル・マリルも同様らしく、ブルブルッと身震いした後、口を両頬に食い込ませる大袈裟な笑みを浮かべた。

 同時に、俺は頬に、首筋に、微風を感じた。手には感じない。


 これは、変だ。


 局所的に風を感じたということは、能力により生み出された風である可能性が高い。しかし、発生型の能力による風は、生み出した後は減衰するしかない。

 だから、最初から弱い風を生み出すことは無意味なのだ。

 つまり――。


「やりやがったな……」


 俺が再び観客席の方へ視線を送ると、イル・マリルと同様にほくそ笑んでいたティーチェの姿があった。

 俺の視線に気がついた彼女は、すぐに表情を殺して視線を逸らした。

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