第18話 バトルフェスティバル②

 司会者が試合開始の合図を宣言した。

 瞬間、ジム・アクティが俺に急接近した。油断はしていなかったが、想定よりもかなり速かったため驚いてしまった。


「ふっ、もらった!」


 暴力的な笑みと鈍い光を宿す眼光に刺されながら、眼前の野生生物が振り上げる拳を俺は視界にとらえた。

 しかし回避行動は間に合わない。俺はとっさに空気の壁を作り出した。


 パリン。実際には聞こえないが、そんな音がした気がした。空気の壁はたやすく割られてしまった。俺の耳には、パリン、ではなく、ブオン、という鈍い衝撃音が殺意を運んできた。


「あっぶね!」


 ジム・アクティは空振りしても体勢を崩すことなく、第二撃を構える。

 俺はとっさにジム・アクティの四肢を空気のリングで固定した。


「何だこれは。だが、無駄だ」


 ジム・アクティは唸りとともに、全身を真っ赤にして沸騰させている。空間に固定したはずの右腕が少しずつ動きだす。


「なるほど。四天魔っていうのは伊達だてじゃないな。後の試合が楽しみだよ」


「勝てる気でいるのか? 気が早いわ!」


 ブオォン、という轟音ごうおんとともに、俺のバインドパワーを乗り越えた右腕が眼前をかすめた。

 しかし遅すぎた。


「なに⁉ 何だこれは! 貴様の能力は何だというんだ!」


 ジム・アクティは宙に浮いていた。俺は奴の体全体を空気で覆い、宙へ浮かせたのだ。

 空中であれば踏ん張りは利かない。ジム・アクティを覆う空気は、奴を浮かせるだけの硬さを保持しつつも柔軟に変形するよう設定しているため、一度浮かされた以上、自力で地上へは戻ってこられない。こうなってしまえば奴にはなすすべはない。


『おおっと、アクティ選手が宙に浮いている! これはエスト選手の魔法でしょうか。これはパワータイプのアクティ選手には相性が悪い相手かもしれません』


 実況は若干、ジム・アクティ寄りに聞こえる。四天魔の威厳いげんを尊重しているのかもしれない。

 だが、そんなことはどうでもいい。実況が何を言葉にしようが、俺の優位は変わらない。


 さて、ここからどうするか。

 勢いよく地面に叩きつけるのは加減が難しい。あれだけのマッチョだから、軽く落としただけでは無傷に終わるかもしれない。逆に打ち所が悪ければ殺してしまいかねない。

 酸素濃度を薄くして徐々に意識を奪うのがいいだろうか。

 それもいいが、せっかくの舞台だから、俺の強さが圧倒的だと知らしめるため、目に見える形で翻弄するほうがいいだろう。

 俺はかつてどこぞの不良女学生にしたみたいに、空中を上下させて酔わせることにした。


「おい、下ろせ! 正々堂々と勝負しろ!」


「正々堂々? 自分の土俵じゃないと正々堂々ではないとでも言うつもりか? ボクサーが学者に殴りあいで優劣を決めようと言っているようなものだぞ。言っておくが、俺の最大の武器は魔法ではない。こいつだ」


 俺は自分の頭を人差し指でトントンと叩いた。


「頭、だと? 俺様よりも石頭だとでも言うのか」


「バーカ。中身、頭脳だよ。能力、つまり魔法の優劣は簡単につけられるものではない。使い方しだいだからだ。だからこそ応用力の源である頭脳が重要となる。ジム・アクティ、おまえは俺に勝てねえよ。理由を教えてやろうか。俺とおまえとでは頭脳に天と地ほどの差があるからだ。だが安心しろ。おまえに限らず、誰も俺には勝てない。宣言する。俺は四天魔すべてに勝ち、なおかつ、俺はその四天魔の座に着くことを拒否する。最強たる俺は、そんなチンケな枠組みに納まるつもりは毛頭ない!」


 俺は途中から声を張りあげた。特に宣言する部分は会場全体に聞こえるように。

 会場がざわめいている。実況のミドセラも狼狽ろうばいしつつ、なんとかマイクに息を吹き込む。


『おおっと……これは……なんと大胆な発言なのでしょう。分をわきまえないにも程がある宣言ですが、えっと、この試合で勝利を収めれば、あながちハッタリや強がりではないのかもしれません。正直なところ、エスト選手の発言についてはアイドルたるわたくしミドセラちゃんにおきましても、あまりにも恐れ多くて、関わりたくありません……』


 ミドセラの実況を聞いて、会場がしんと静まり返った。

 どこかの怖いもの知らずの女が、「ジム・アクティさまーっ、頑張ってくださーい!」と叫んだ。

 ほかの者がそれに続こうとしたが、ジム・アクティは劣勢と思われていることが気に入らなかったのか、声のした方をひと睨みし、会場は再び静まり返った。


 この空気、俺は嫌いではない。むしろ好物だ。

 俺はジム・アクティを見上げ、そして言葉を贈る。


「ククク。おい、ジム・アクティ。さすがだよ、おまえは。さすがは四天魔の一人だ。この圧倒的劣勢において、まだ負けるつもりはないらしいな。その心意気、気に入った。だが、その心意気だけだ。他はてんで駄目だ。他者に対する態度が傍若ぼうじゃくだし、体に自信があるからと頭を使わないのも罪でさえある。いまおまえが目にしているこの俺は、おまえがこうべを垂れるべき相手だ。いまからそれを思い知らせてやろう」


「ふん、戯言たわごとを――」


 俺はジム・アクティが喋り終えるのを待たず、奴の体を急降下させた。そして勢いよく、多少の加減をしてリングへと叩きつける。そして再び宙高くへ浮かせる。

 ジム・アクティは意識をはっきりさせようと頭を振った。だがそれを終える間も与えず、俺は再び奴の体をリングへと叩きつける。


「きさまっ――」


 再び宙に浮くジム・アクティ。赤子を高いたかいしている父親の気分だ。いや、虐待のほうがとうを得ているだろうか。

 だが赤子にしてはタフな相手だ。次で三度目、俺は少し勢いを増してジム・アクティを石のリングに叩きつけた。

 会場からはちらほらと悲鳴が聞こえはじめた。しかし関係ない。むしろ、震撼しんかんするくらいがちょうどいい。

 俺は再びジム・アクティを宙に上げようとする。


「へへ……」


 三度目。

 ジム・アクティの身体が浮かない。

 いや、わずかに浮いているが、高く上がらない。


「ん、まさか」


「はぁ……やってくれたなぁ!」


 足場のリングは石でできている。非常に精緻せいちに敷き詰められ、蟻の入り込む隙間すらない。

 決して柔らかくはないはずのその石製リングを、ジム・アクティの指が突き破っていた。強靭な素の指が、地面を鷲掴みにし、俺の上昇気流に逆らっている。


「おいおい、すげーな。だが、身動きは取れないだろう? おまえには遠距離攻撃の手段がない。近づこうにも手を離せば飛ばされる」


「これくらい、俺様ともなれば、気合でどうにでもできるのさ!」


 不敵に笑みをこぼしたかと思うと、鬼か天狗のような怖い顔で片腕を上げる。そして前方のリングへと指を突き立てる。

 最初はゆっくり、しかし加速し、走るのと変わらないくらいのスピードまで到達し、ついには俺に肉薄した。そして器用にも体をひねり、回し蹴りを繰り出してきた。

 奴の狙いは頭部だった。俺は間一髪のところでかわしたが、勢い余って尻餅を着いてしまう。


「フッ、解いたな」


 見るとジム・アクティは二本の足でしっかりと地面を捉えていた。

 俺が再び上昇する空気をイメージするより早く、ジム・アクティの大きな手のひらが迫り、俺の肩を掴んだ。


「くっ」


 俺の眼前にはニタァッと悪魔的な笑みをこぼす怪人がいた。

 俺はリングに上半身を叩きつけられ、そのまま肩を押さえ込まれた。

 ジム・アクティの巨大な拳が振り上がり、そして俺の視界へとまっすぐ、隕石のごとく降ってきた。


「ん?」


 俺はとっさに眼前で空気の板を張った。さっき割られたことを鑑みて、奴の拳を受け流すために傾斜をつけている。

 強烈な力の向きをずらす手応えはあった。その結果として、俺の耳元で石を砕く恐ろしい音がして、俺の頭部の代わりにリングの石が破壊されていた。この破壊力はシャレにならない。


「おい、もしかしておまえ、俺のことを殺そうとしなかったか?」


「気のせいだ。殺さないよう頭部の横を叩いたんだ」


「いいや、俺の張ったバリアに手応えがあった。バリアを張らなければ確実におまえの拳は俺の頭を砕いていた」


 たしかルールでは審判が危険と判断した際には止めると言っていたはずだが、いまの場面は明らかにその危険と判断されるべきものだった。いったい審判は何をしているのだ。

 そう思って審判の方を一瞥いちべつすると、審判はじっとこちらを見ており、俺と目が合った瞬間に逸らした。


 こいつら、グルだ。俺を殺しにきている。


「もしも俺様がうっかりおまえを殺してしまったとしても、俺様はルールに則って失格となり罰を受けるだけだ。つまり俺様はルールを侵してなどいないということだ」


「いや、ルール説明で駄目って言ってたろ! 御法度ごはっととも言っていた。まさかおまえ、御法度の意味も知らないのか」


「はて、そうだったかなぁ。おまえが言うに、俺様は馬鹿なんだろう? 馬鹿者を相手に、記憶を呼び起こそうとしたり、言葉で説得しようなんて、無駄なことではないのか? あきらめろ」


 ジム・アクティは再び拳を振り上げた。さっきよりも気合を込めている。たとえバリアを斜めに張ろうとも受け流せないほどの強烈な一撃を俺に見舞うつもりだ。


「最期に一つだけ聞かせろよ。ティーチェの差し金か?」


 ジム・アクティは眉をヒョイと浮かせた。「さあ、どうだろうな」の意だろう。

 しかしもはや言葉は必要なかった。否定しない時点で黒に相違ないのだから。


「終わりだ。おまえの肩を掴んでいる。謎の魔法で浮かせようとしても、この左手は決して離さない」


「どけよ。あと一手でチェックメイトだと思っているようだが、立場がまったくの逆だ」


「ほう、怒っているのか? 窮地きゅうちおちいるのは初めてなのだろうな。恐怖と憤怒ふんぬを取り違えてしまったらしい。しかし、おまえの目の前にある絶望は、変わりなくおまえに終焉をもたらす」


 いつになく饒舌じょうぜつだ。

 勝利が目前にあると勘違いして、脳の筋肉が少しほぐれたか。


「命の危険まであるのに、負ける試合ならとっくに投了している。そのことに気づかない凡庸ぼんようなおまえは、負ける瞬間まで自分がチェックされていることに気がつかないのだろうな」


「ほざけ。無意味なハッタリはやめろ。おまえはいまここでおしまいだ!」


『おおっと、エスト選手、絶体絶命のピンチ! アクティ選手が順当に勝利を――』


 実況のミドセラが思い出したようにマイクに息を吹き込む。

 俺に関わりたくないからと仕事を放棄していたのはいただけない。

 俺が死にそうなときに声を弾ませるとは、こいつもなかなかに度し難い。

 しかし、ミドセラには現実を見せつけ、自分の間違った実況を謝罪させるくらいで済ませてやろう。


 ジム・アクティがついに堅強けんきょうなる拳という凶器を俺に振り下ろそうとした直前、俺は眼前に溜めていたオリジナルブレンドの空気を、奴の口腔内へ、さらにはその奥へとねじ込んだ。

 それは炭酸ガス。炭酸ガスといっても、一酸化炭素ではなく二酸化炭素だ。俺はジム・アクティに高濃度の二酸化炭素を吸わせた。

 人間は呼吸という過程で日常的に二酸化炭素を吸い込んでいるし、吐き出してもいるが、しかしながら空気中の二酸化炭素濃度が高くなると、それは人体にとって有毒な気体となる。高濃度の二酸化炭素を吸入してしまうと、一瞬で血液中の酸素が奪われ昏倒こんとうしてしまうのだ。


 果たして、ジム・アクティは意識を失って俺の上に倒れこんだ。

 俺はゴリラみたいな強靭な物体を押しのけ、立ち上がり、ジム・アクティの頭部に片足を載せて勝利を宣言した。


 実況者の言葉がない。ミドセラは状況が飲み込めないのだろう。放心しているかもしれない。


 俺が審判を睨みつけると、審判は慌てて勝者の名前を告げた。


『そこまで! 勝者、ゲス・エスト選手』


 ただし、ジム・アクティを殺してしまっては失格となる。このまま放置しては、ジム・アクティがうっかり死んでしまいかねないので、俺はジム・アクティの口から肺へと酸素を送り込んだ。


『な、なんということでしょう! ゲス・エスト選手、四天魔の一角を担うジム・アクティ選手に勝利してしまいました。これは大波乱の予感がします。それにしても、エスト選手はどうやってアクティ選手を気絶させたのでしょうか。まったく分かりません。もしや、アクティ選手が体調不良で偶然にも意識を失ってしまったのでしょうか。だとしたら、エスト選手、とんでもない幸運の持ち主だ。その幸運はいつまで続くのでしょうか!』


 たしか実況者とは別に解説者がいたはずだが、そっちは仕事しないのか。

 とにかく俺は実況席の方を睨みつけ、声を張りあげた。


「おい、ミドセラとかいう奴。俺はここからでもおまえをジム・アクティと同じ目に遭わせられるからな。あんまり調子に乗るなよ」


 マイクの音声がピタリとやんだ。


 一方、ジム・アクティのほうは上体を起こし、頭をブンブンと振って右手で抱え込んだ。


「おい、ジム・アクティ。大丈夫か?」


「俺様は気を失っていたのか。おまえの仕業か?」


「ここはリングの上だ。ほかに誰がいる? まさかおまえみたいな強靭な体を作っている奴が、体調を万全に仕上げていないわけがないよな? 俺を舐めていたから寝不足だったとか言ったら、いまここでおまえを寝かせてやるからな」


「ああ。俺様は常に体調を万全にしている。だが、さっきの発言、ミドセラにも同じことができると言ったな? 遠距離で同じことができるのなら、試合開始直後に俺様を昏倒させることができたんじゃないのか?」


「もちろんできたぜ。ま、それだとあっけなさすぎて、四天魔に勝つ俺のすごさが観客に伝わらないし、何より俺がつまらない」


 ジム・アクティは俺の余裕の態度に呆然とした。

 きっと彼は、じゃなかった、彼女は、自分のほうが絶対的に優位で、俺のことは意外と粘る奴だ、程度にしか思っていなかっただろう。

 ところがどっこい。相手は自分よりも圧倒的強者だったというわけだ。


「格の上下は理解できたようだな。だが、まだ何か言いたそうだな。聞いてやるぞ」


 四天王ならぬ四天魔。そろそろ例の台詞が聞けそうだと思った。


「たしかに完敗だ。だが、俺様を倒したからっていい気になるなよ。俺様は四天魔の中でも最弱。おまえの前に現れる第二、第三の四天魔は、もれなく俺様よりも強い。それも圧倒的にだ。おまえが強者の愉悦ゆえつひたっていられるのも、次に四天魔と当たるまでの間だけだ」


「そうか。おまえは四天魔の中で圧倒的に弱いのか。だったら学院トップが四天魔である必要はないな。次に四天魔の誰かに会ったとき、四天魔ではなく三羽烏か三銃士にでも改名することを進言しておこう」


「え……それはちょっと……」


 ジム・アクティは狼狽ろうばいした。

 権力を失うことを恐れているのか。どんなに肉体を鍛えようと、そんなぬるま湯に浸かっているからおまえは弱いのだ、精神的にな。

 だから、相性が悪いからと魔術師であるティーチェの言いなりになってしまうのだ。


「なあ、ジム・アクティ。俺の国ではな、正当防衛と言って、殺されそうになったら自分の身を守るために相手を殺してしまっても罪に問わないという法があるんだ」


「な、何が言いたい?」


 いま俺が見下ろしているこいつは、明確な殺意の下に俺を殺そうとした奴なのだ。

 俺はガラスをも凍らせる冷たい視線を意識して、ドスを利かせた低い声でこいつに言い放った。


「次は殺すからな」


 ジム・アクティは言葉を失った。

 動こうともしない。

 満足だ。俺はひと足先にリングを降り、控え室へと戻った。

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