第16話 メターモ
「ここは魔道学院内で、それも校舎内だぞ。なぜイーターがいるんだ!」
俺たちの前にはイーターがいた。
土色をしたスライム状のイーターだ。盛り上がった部分に目と口が浮き上がる。
ダースが即座に俺の背後へと周りこみ、俺にしがみついた。
俺が肘でダースの顔を突くと、ダースは俺の背中への密着を解いた。代わりにシャイルの後ろに身を潜めた。
「くっふっふ。なぜイーターの俺様が学院内にいるか? 簡単なことだ。俺様は変身が得意なのさ。こうして人間の若者に変身し、学院の生徒に成りすませば侵入も簡単なこと」
イーターは女子生徒の姿に変身した。その容姿は平凡と形容するにふさわしいもので、学院に紛れ込んでも部外者と気づかれにくいものだった。
「ほう」
面白い。人間ならざる者が、人間の言葉を理解し喋っている。
それだけでかなりの知能があることがうかがえる。日本人が英語を喋るよりも遥かに難しいレベルのことを、こいつはやっているのだ。
俺はこいつの知能を試したくなった。
「俺が訊いたのは方法ではない。動機だ。なぜ、と訊いたのは、どうやって学院に侵入したかではなく、何の目的で学院に侵入したかということだ」
「目的か。そんなことは決まっている。イーターの行動原理は捕食。若い人間を食いたいからに決まっている」
「本当にそれだけか? ここは魔道学院で、ここにいるほとんどの人間が魔導師だ。魔導師はイーターの天敵だろう? おまえにとってあまりにリスキーではないか?」
女装イーターはフフッと笑った。
「人間は勝手にそんな関係図を作っているらしいな。人間の常識は自然の摂理とは異なっている。すべてのイーターにとっては自分こそが捕食者であり、自分以外のすべての存在が捕食対象だ。人間だろうが、同じイーターだろうがな。ただ、イーターの中にはたしかに絶対強者なる者がいて、さすがにそいつらには勝てないことくらいは自覚している。ただ、人間はおしなべて餌だ。ただの餌。おまえ、度胸あるな。堂々と俺様に対峙するなんてよ。でも阿呆だぜ。人間ごときがイーターにたてつこうなどと考えることが馬鹿げている」
なるほど。知能レベルのほどはだいたい分かった。たしかにこいつは知能レベルは高い。
だが、どうしようもなく愚かだ。井の中の蛙、大海を知らず。
「おまえ、名前はあるのか?」
「メターモだ」
喋る変身イーター・メターモ。
面白い。調教のしがいがありそうだ。
「人間ごときがイーターにたてつこうなどと考えることが馬鹿げている、だって? 違うな。人間だとかイーターだとか、個体差がありすぎて種族でラベリングしようって発想がまずナンセンスだ。人間がイーターにたてつくとか、イーターが人間に牙を剥くとか、そんな話はお門違いなんだよ。ただ一つ間違いなく言えることは、メターモであるおまえごときが、このゲス・エスト様に刃向かうことが絶対的な愚行だということだ。どこかの強力なイーターならともかく、おまえというメターモごときがな!」
「クッ、クゥウウウウオオオオオオッ! これほどまでの侮辱、いまだかつて受けたことがないぞ! 許さん、許さん、許さんぞぉおおおおおお!」
「許さんのは俺のほうだ。俺に対する暴言、極刑に値する。ただし、調子に乗りすぎたおまえは楽には殺さん。三百回は後悔させて殺す!」
メターモは女子生徒の姿のまま、腕を大きな鎌に変形させて俺に向かってきた。しかし、透明な壁にぶつかり、尻餅をつく。
「はっはっは。人間の姿ってのは、バランス取るの難しいだろ?」
「ふっ、人間の姿では攻撃しにくいから、変身を解除させようという魂胆だろう? そうはいかんぜ」
「ぜんぜん違うけど」
ズバッとメターモの体に亀裂が走る。空気の刃でメターモを縦に裂いたのだ。
案の定、奴は水のように崩れ落ちた後にウネウネと寄り集まり、再びひと塊になって女子生徒姿に戻った。
「違ったのか。だが無駄だ。おまえの魔法は切断か何かだろう? 残念ながら俺は液体型イーターだ。切断系の力は俺には効かん」
「おまえ、馬鹿だな。自分の能力や性質をベラベラと喋るとは。知能レベルは高いといっても、知識を身に着けるのが得意なだけで頭の回転はからっきしらしい」
「なんだと?」
「つまり、こういうことだ」
俺はメターモを空気の壁で取り囲み、その中の空気を少しずつ壁の外へと抜いていく。
「な、なんだ⁉」
メターモの体表がブクブクと泡立ちはじめた。
「俺は愚かなおまえのように自分の情報を簡単には漏らしたりしないから、おまえには俺の能力が分からない。だからおまえはなすすべなくやられるのだ。もっとも、能力の種類が分かったところで対策の立てようもないだろうがな」
「くそっ、俺様に何をした!」
「教えんと言っただろう。何をしたかは教えんが、おまえがどうなるかは教えてやろう。おまえはいま沸騰している。沸騰するということは気化熱が生じる。それによって空気の熱が奪われ、おまえの温度も低下していき、凝固する」
「ぎょうこ? ぎょうこって、なんだ⁉」
「そんなことも知らんのか? 水が凝固すれば氷になる。つまり、おまえは凍りつくってことだ」
「うっ、寒くなってきた」
正直、こんなにうまくいくとは思っていなかった。
それっぽい理屈を並べ、気圧を低下させる最初の刺激でそれを信じ込ませ、催眠術のようにメターモ自身に俺の言うとおりの変化をさせる。
「そうだろう。凍りついたら、極寒状態のまま、いっさいの身動きがとれないわけだ。どうだ、地獄だろう? 死にたいとすら思うだろう?」
「わ、分かった。待て。降参だ。助けてくれ。何でも言うことを聞くから、どうか」
「ほう、何でも、か。本当に何でも言うことを聞くか?」
以前はうまくいかなかったが、知能レベルの高いこいつならば可能かもしれない。絶対的な力で従属させ、ペットとすることが。
「ああ、聞くとも」
「じゃあ、おまえ、俺の下僕になれ。いついかなる時でも必ず俺の言うことを聞く奴隷だ」
「ああ、分かったとも」
そんな条件をあっさり呑むとは、こいつ、俺が能力を解除させた途端に牙を剥く腹であることは明らかではないか。
「よし。解除してやろう。さっそく命令するが、俺の許可なく人間を襲うな」
沸騰が治まったメターモは、今度は男子生徒に変身し、己の体をくまなく確認する。
メターモが人間の姿に変身しているおかげで、考えていることを表情から容易に読み取れる。メターモは俺に攻撃するための隙をうかがっているようだ。その瞳は殺意にみなぎっていた。
しかし、メターモは俺にすぐさま襲いかかるほどの馬鹿ではない。俺が何をしてメターモを沸騰させたのかを明らかにしなければ、襲いかかったところで再び沸騰させられてしまう。そして今度は容赦されないはず。
「メターモ。言っておくが、おまえの体にはすでに沸騰の元を仕込んである。俺はそれをいつでも起動できるし、俺が死んでも勝手に起動するようにしてある。だからたとえおまえが俺の寝込みを襲ったとしても、おまえは絶対に助からない。それと、いちばん重要なことを言っておくぞ。この俺を裏切ったら、凝固程度の刑では済まさない。愚かな自分を呪いに呪うほどの地獄に閉じ込めるからな」
メターモは想像もつかない事態を自分なりに想像して絶望したのだろう。見開いた眼に揺れる瞳からは、綿毛が風に吹かれて飛ばされるみたいにフワッと希望の光が消え失せた。
「分かった……。素直にあんたに従うよ」
「あんた? ご主人様への言葉遣いではないな。俺のことはエスト様と呼べ。代名詞を使うならあなた様だ。いいな?」
「……はい」
「では、さっそくだが、おまえがここへやってきた本当の動機を教えてもらおうか。さっきおまえは人間はおしなべて餌だと言ったが、魔導学院の外にも人間はたくさんいる。おまえくらいの学習能力があるなら魔導師よりもほかの人間を襲ったほうがリスクが低いことも分かるはずだ。それをわざわざ学院に入ってきたのはなぜだ?」
「なぜ……。なぜだったか……」
「隠すと容赦しないぞ」
「ま、待て! 気づいたら来ていたんだ、ここに。何かに
「ほう」
イーターをおびき寄せる臭い。おそらくイーターにしか分からない臭い。
なるほど。学院の誰かの能力だろう。そして、それを使わせた犯人は、おそらくティーチェだ。
だが、まだ証拠はない。必ず証拠を掴んで教頭に突きつけてやる。
「おい、メターモ。俺はアメとムチを使い分ける男だ。おまえが裏切れば当然おまえを処罰するが、おまえが俺に献身を尽くせば、おまえには好きなだけ食料を与えてやる」
「ほんとうか? 好きなだけ人間を食べられるのか?」
「いや、イーターだけだ」
「なに⁉ イーターが食べられるのか?」
残念がると思っていたし、それを期待すらしていたのだが、メターモの反応は真逆のものだった。
それはそれで利用できるかもしれないと思い、俺は話を続けた。
「嬉しそうだな。イーターのほうがうまいのか?」
「そりゃあもちろんだ」
「ネームドイーターだって食べられるぜ」
「なんと! ありがてぇ。俺様、一生あんたについていくぜ!」
早くも俺の呼称があなた様からあんたに戻っているが、もう訂正するのが面倒だからそれでいいことにした。
どうやら俺はこいつをうまく
俺が死んだらメターモが沸騰するという嘘も必要なかったかもしれない。
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