第11話 ネームド・イーター②

 俺はシャイルの背中を強く叩いた。シャイルが驚いて顔を上げる。

 雨あがりの野草についた露のように大粒の涙をほおに貼りつけた顔は、まるで家族の訃報を耳にした人のようだった。


「たしかにピンチだ。圧倒的に情報が少ない。だが、絶望的状況というのは間違いだ」


「え、どういうこと?」


「なぜなら、この俺がいるからだ。なあ、シャイル。もしもいまの状況と、アークドラゴンが復活した場合とでは、どちらのほうが絶望的だ?」


「それは、アークドラゴンかな、たぶん。でも、そんな比較は無意味だよ。敵を三体の猫だと置き換えて相対比較するなら、私たちは蟻みたいなものよ。ライオン一体よりマシだなんて言うのは無意味よ」


「分かってないな、シャイル。蟻の天敵はアリクイだ。ライオンだろうと猫だろうと、蟻のことをロクに知りもしない敵にはいくらでも勝ちようがある。イーターと人間も同じだ。俺たちには精霊がいて、その恩恵を受けているんだ。イーターはそのことを考慮せずに襲ってくる。頭脳の差が強さの決定的な差となる。あとな、シャイル。一つ言っておくが、おまえを囲む三匹が猫だとしたら、おまえの隣にいるのは虎なんだぜ」


 シャイルは口を閉ざして俺を見上げている。

 俺が気を使ってそんなことを言っているのか、それとも見栄っ張りをこじらせて冷静な判断力を失っているのか、その判別に困っているのだろう。

 虎より毒蜂とでも言ったほうが分かりやすかったかと少し後悔した。


「いいか、聞け。この状況は決して打破不可能なものではない。俺は情報というものを装備の一つとしていて、いつも俺の戦力の半分を占めている。俺のやり方での戦いはもう始まっているんだ。おまえには分からないだろうから可視化してやる。可視化といっても、戦い方を説明するだけだから、目ではなく耳で受け取れよ」


 スピアテイルは舌をチロチロと出してこちらの様子をうかがっている。フォレストフィッシュは俺たちの周りをグルグルと回っている。

 この二体は先に手を出したらもう一体の餌食にならないか警戒しているのかもしれない。

 あるいは双方の狩りの巻き添えを食らうことを嫌い、手をこまねいているのかもしれない。


 シャイルの瞳は相変わらずあきらめと絶望にくすんでいたし、身体の震えも止まっていなかったが、先ほど開かれた拳は再び握られていた。


「まず、三体のイーターに対して警戒の優先度を設ける。最も得体が知れないのはミスフォーチュンだが、さっきの話を聞く限り、直接的な攻撃はしてこないだろう。そうでなければ事故や災害には見えんからな。こいつの対策は後回しだ。直接戦うことになるのは残りの二体だが、いま、性急に対策が求められるのはフォレストフィッシュだ。スピアテイルのほうはおそらく物理攻撃を主体として狩りをするタイプだから、そういうタイプは盾さえ用意できれば問題ない。つまり、最も警戒すべきはフォレストフィッシュとなるわけだ。俺は謎の多いフォレストフィッシュが相手でもサシの勝負なら負ける気はしないが、いまはほかの二体を気にかけながらの戦闘をしなければならず、敵の分析に集中できないから分が悪い。それと、アークドラゴンを封印しているほこらが近くにあるために、あまり大技を使うことができない」


「いろいろと言っていたけれど、結局、勝てないってこと?」


「馬鹿! 俺はこうして思考しながら戦っているってことを言っているだけだ。勝利のシナリオもすでにできている。単純な話だが、フォレストフィッシュに集中するため、先に速攻でスピアテイルを始末する」


 俺の言葉を理解したわけではなかろうが、俺やシャイルがいる空間に向かって、上から尖った尻尾が激しく撃ち下ろされた。

 しかし俺たちには届かない。あらかじめ空気の壁で俺とシャイルのいる空間を覆っていたのだ。

 尻尾と空気屋根の衝突の振動が木々の枝葉を揺さぶり、地をも揺らした。

 シャイルは驚いて尻餅をついている。

 イーターのフォレストフィッシュも人が足を踏み入れた川の魚のように、慌てて俺たちから遠ざかった。


「シャイル、おまえは火を操る魔導師だよな? ミスフォーチュンに変幻されかねないから、あまり能力は使うなよ。ただし、スピアテイルを滅するために、あとで火が必要になる。そのときには力を貸せ」


「う、うん。分かった」


 シャイルは立ち上がり、尻の砂土を払い落とした。

 犬の姿を模した火の精霊リムがシャイルの横に擦り寄る。


「それと、フォレストフィッシュが距離を取ったいまがチャンスだ。やるぞ!」


 俺は手をスピアテイルがいる方向へと伸ばした。べつに俺は手をかざさずとも空気を操れるが、そうすることによって意識を前方へと集中させ、より強力に能力を扱うことができる。そんな気がしたからやっている。気持ちの問題だ。


 それを俺の殺意と受け取ったのか、スピアテイルの動きがより獰猛どうもうになった。俺とシャイルの周りをグルグルと這いまわっている。

 何度も二又の槍状の舌を俺たちに突き刺そうとするが、それは空気の壁がさえぎって届かない。


「エスト君、もしかして、こいつ、トグロを巻いているんじゃ……」


「だな。巻きついて締め上げる算段だろう」


 さすがに全方位から強大な圧力を一気にかけられたら、俺の空気の壁も破壊されかねない。攻撃するなどの対処をして、早急に敵の攻撃を中断させなければならない。


 俺は空気を針状に圧縮硬化させ、スピアテイルの目に向けて飛ばした。

 それを察知したか、スピアテイルは目に半透明な膜を張り、空気針をはねのけた。


「こいつ、存外、空気の変化に敏感だな」


「え、空気?」


「いや……何でもない」


 うっかり空気と口走ってしまった。

 俺はいかなる人間にも自分の能力を明かすつもりはない。物語の世界において、最も親しい者が盛大に裏切るなんてことはよくあることだ。もしシャイルが決して裏切ることのない人間だったとしても、意図せずして俺を不利な状況へ陥らせてしまうミスをするかもしれない。

 実力の程がうかがい知れない四天魔との決闘が控えているいま、俺の能力という情報には命にも匹敵する価値がある。


「実はいま、目に見えない攻撃をしかけたんだ。だが防御された。鋭い感覚器官を持っているようだ」


 となると、空気の移動を感じ取れないようなスロースピードの攻撃で急所を狙うか、あるいは防御不能の高威力技を叩き込むかしなければならない。


 蛇というのは聴覚は鈍いと言われている。

 その代わりに発達しているのが皮膚感覚だ。地面から伝わる動物の歩く振動音を感じ取ることができるし、特に頭部は音のような空気の振動をよく捉える。

 また、蛇にはヤコブソン器官とピット器官というものがあり、前者は嗅覚と味覚を司り、後者は第六感器官で熱を鋭敏に感知することができる。

 舌をチロチロと出しているのは、舌で捉えた臭いや味をヤコブソン器官に運んでいる証拠だし、すべての蛇が持っているわけではないピット器官も、スピアテイルは目と鼻孔の間に浅い凹みがあり、しっかりと備えているようだ。


 このイーターという怪物がリアルな蛇とどこまで共通点を持ち合わせているのか、はなはだ謎ではある。重要な感覚器官である舌で粗暴な攻撃をしてくるあたり、蛇とは似て非なるものと言わざるを得ない。

 得物に巻きついて締め上げ窒息死させるやり方は無毒蛇の特徴だが、こいつが毒を持っていない保証はどこにもない。むしろピット器官を持っている種なら毒蛇であることを警戒すべきだ。

 もっとも、この巨体が相手では毒どころか接触した時点で圧死しかねないが。


「エスト君、ここはリムの炎で追い払ったほうが……」


「よせ、早まるな!」


 たしかに蛇は火を恐れる。

 しかし、こいつはイーターだ。嫌いなはずの火を無理に近づけられたらどんな暴挙に出るか分からない。

 ミスフォーチュンのこともある。

 それに何より、俺の準備していた作戦が台無しになる。


「私だって魔導師なんだよ。イーターと戦うために学院で勉強し、訓練してきたんだもの。ここで戦わなきゃ意味ないよ」


 さっきまで萎縮しきっていたくせに、俺の闘気にあてられたか?

 とにかく、いまこのタイミングで炎を使われては困るのだ。俺は念のために空気の壁の周囲に真空層を貼りつけることにした。

 もしこれでシャイルが早まったとしても、酸素のない真空層に達した炎は瞬時に消え去るだろう。


「シャイル、俺の攻撃はすでに始まっている。だが、準備が整うまでには時間がかかる。だから邪魔をしてくれるな。俺の攻撃はおまえの炎を織り込んだ作戦なんだ。ドミノを並べ終える前に倒されたら、ひとたまりもないだろう?」


「うん、まあ……。でも、悠長にドミノを並べている場合ではないと思うけれど」


「相手があれだけ巨大なんだから、時間がかかるのは仕方がない」


「じゃあ、せめて何をしているかだけでも教えてくれない?」


「……分かった。ドミノを、並べている……」


 シャイルはムスッと膨れたが、炎を撒き散らすという暴挙は控えてくれた。


「エスト、フォレストフィッシュが戻ってきた」


 不意にエアが耳元でささやいた。

 顕現せずに耳に声を差し込まれる感覚には未だに慣れず、いつも驚かされる。


「フォレストフィッシュの光はどれほどの熱を持っているか分かるか?」


「電球くらいの熱」


「そうか。あまりよろしくないな」


 俺はドミノ並べを急いだ。

 敵は空気の変化に敏感に対応してくるが、空気そのものが敵となれば、いかなる怪物でも対処のしようがない。

 俺はスピアテイルを真空で囲み、自ら空気を求めるよう仕向けた。スピアテイルは俺たちを締め上げることを忘れ、周囲をグルグルと這いずりまわっている。


「急ぎ足になったが、ドミノは完成した。シャイル、奴の頭部めがけて炎を飛ばせ」


 俺はすべての真空を解除してからそう言った。

 半狂乱になったスピアテイルは、空気壁越しに俺たちをグルッと素早く締め上げた。俺たちの周りをグルグル周回するにつれ、どんどんトグロの半径が短くなって蛇の巨体の壁が迫ってくる。

 俺の空気壁が押されていた。

 さらには頭上の空気屋根に鋭い尻尾の矛がズンズンと何度も突き立てられている。その激しさたるや、アイスピックで空き缶に穴を開けんと何度も振り下ろす狂人のごとし。


「急げ、シャイル」


「う、うん。リム!」


 シャイルの足元でシャイルに寄り添っていたリムが、ぴょこんと前に飛び出した。そして上を向き、火を吹く。

 そこにシャイルが両手を掲げると、リムの吹いた火が瞬く間に燃え盛り、スピアテイルの頭部へと飛んでいった。


「シャイル、耳を塞げ。あと、目も閉じておけ」


 スピアテイルを襲った現象、それは――。


 大・爆・発!


 スピアテイルの口から尾まで、まさにドミノ倒しよろしく、連鎖的に膨張し、破裂して火炎に包まれていった。


「な、なに、これ……」


 目が光にかれることも恐れず、シャイルは煌々こうこうと燃え盛る巨躯きょくを見上げていた。

 火炎の海が俺たちを取り囲む透明な壁を浮かび上がらせる。地獄の観光ツアーにでも参加しているような光景だった。

 焦熱地獄さながらに、俺たちのいる空間も一瞬にして暑さが増す。さすがに空気の力で熱まではどうこうできない。爆発の衝撃をガッチリと固めた空気の層で遮り、真空層で炎の侵入を防ぐところまでしか対処できなかった。

 真空中は音が伝播しないが、地面から響いてくる分だけでもかなりの爆音となっていた。

 とにかく暑い。いや、熱い。


 そもそも、熱の伝わり方には三種類ある。

 伝導、対流、放射である。

 伝導と対流は真空中では起こらない。だが、放射熱は真空などお構いなしに届いてくる。

 爆発がイーターという肉袋の内側で起きたものだから俺たちは無事でいられたが、一歩間違えば、俺もシャイルも一瞬で骨と化していただろう。いや、骨が残るかどうかさえ疑わしいものだ。

 ともあれ、俺にはこの放射熱を防ぐ手立てがない。だから、さっきスピアテイルを葬った技は捨て身のリスキーな技であり、スピアテイルがそれを必要とするほどの強敵だったということだ。

 スピアテイルは俺の技であっけなくちたが、腐ってもネームドイーターなのである。


「熱い……」


 我慢強いシャイルでも、さすがにこの熱はキツイらしい。炎天下にありながら強烈なライトを間近にあてられているようなものだ。


「仕方ない。飛ぶか」


 俺は地面と足の間にも空気を滑り込ませ、空気の床を作った。これで俺たちは前後左右上下の六面すべてを空気の板に囲まれていることになる。

 俺とシャイル、それとリムを閉じ込めた透明な立方体がスゥーッと空中に上昇し、背の高い木々よりも高く飛んだ。


「え、飛んでる!」


 シャイルは脚をすくませ、俺の腕を掴みながらも、勇敢に下方を見渡した。


「安心しろ。あの女みたいに落としたりはしない」


 シャイルは俺を一瞥いちべつして一瞬押し黙ったが、気持ちを切り替えるためか、まったく別の話を切り出した。


「さっきの爆発、エスト君がやったの? どうやったらあんなことができるの?」


「頭を使ったのさ。どんな能力も使いようで神業かみわざに化ける。ただそれだけのことだ」


 そうやってうやむやにする俺を、シャイルは不満げに見つめる。

 しかし残念ながら、どんな目で見つめられても俺が方針を曲げることはない。


 実際に俺がどうやってスピアテイルを燃やしたかというと、俺はバリアとして固めた空気の壁の外に漂う空気の組成をいじったのだ。

 空気の組成は窒素が約八割で、残りの二割をほぼ酸素が占める。空気バリアの外一帯を、俺は八割の窒素のうち、一割を水素、さらに七割を酸素に置き換えていた。スピアテイルには時間をかけて仕分けした空気を吸い込んでもらっていたのだ。

 頃合を見計らって一帯の空気組成を戻し、シャイルという発火装置を起動した。スピアテイルの体内には爆発性の気体と助燃性の気体が充満していたから、それはもはや花火の弾薬のごとく、爆発する宿命を背負っていたわけだ。


 俺とシャイルはひとまず放射熱の脅威からは逃れることができた。しかし自分たちが逃げておしまいというわけにはいかない。

 そろそろ消火しなければ、祠に被害が及んでしまう。

 業火に包まれてその姿は見えないが、スピアテイルは内側から破裂したので、消火が早くて生き残っているなんてことはないはずだ。

 俺は板状の真空空間を作り出した。林の火事をまるごとカバーできるだけの面積の真空の板をストンと地上へ下ろす。すると燃え盛る木々たちから瞬間的に赤色を奪った。

 黒ずんだ木々たちはタバコでもふかしているように一様に白い煙をあげている。


「鎮火完了。これで祠に被害が及ぶこともないだろう」


 もっとも、ネームド・オブ・ネームドと呼ばれるほどのイーターの封印が、ちっとやそっとの攻撃で解けてしまうとも思えないのだが。

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