第10話 ネームド・イーター①

「なんだか、闇が深くなってきたね」


 リムの火の光をむさぼり食うように闇が濃い。普通の闇じゃないのは確かだ。大きな光源が歩いているというのに、一寸先までしか足元が見えない。

 シャイルが身を寄せてくる。


「怖いのか?」


「べつに……。あんまり林に近づくと、イーターの不意打ちに対処できないからよ」


「おまえ、震えているぞ。さっきまではそうでもなかったのに。ここらへん、何かあるのか? あるんだろう?」


「何も、ない……」


 シャイルはこの林道に関して無知ではない。何もないということを知っているのだから。

 問い詰めると、シャイルはここへ来るのは初めてでないことを白状した。だからシャイルは知っている。俺に察知されてはならない、危険なものの存在を。

 しかし俺はシャイルの隠蔽いんぺいを許さない。


「我が精霊よ、辺りを調べろ」


 俺がエアのことを「我が精霊よ」と呼びかけたのは、べつに中二病を発症したわけではない。シャイルにエアの名前を知られないためだ。


「エスト、あっちにほこらがある。あの祠から闇が噴出している」


 エアがワンピース姿で顕現して指を差す。俺が命令してから報告までは一瞬だった。空気の精霊は世界のほぼ全てを把握しているに相違ない。


「へえ、その子がエスト君の精霊? はじめまして。私はシャイルよ。よろしくね」


「私はエストの精霊。よろしく」


「言っておくが、こいつの名前を聞こうなどと考えるなよ、シャイル。こいつには自分の名前は明かすなと命じてある」


「変な人……」


 あからさまな膨れっ面で俺を見上げたシャイルは、今日三度目となる溜息をついた。


「それより、祠があるらしいな、シャイル」


 シャイルはしばし黙っていたが、観念して話しはじめた。


「分かったわ。話す。話すけれど、私の話をすべて聞き終えるまで、絶対に祠に手を出さないって約束してくれる?」


「ああ、約束しよう」


 シャイルはまるで分かっていない。俺みたいに平気でルールを破る男と約束を取り交わしたところで、なんの意味もないということを。

 ただし、今回はシャイルの言葉に従う。それはシャイルが「祠に手を出してしまえば冗談では済まない」と、真剣な眼差しで俺に訴えかけてくるからではない。単純に、シャイルから余すところなく情報を搾り出すためだ。


「あの祠には、とあるイーターが封印されているの。ネームド・オブ・ネームド・イーター。ネームドイーターというのは、通常のイーターの中でも魔導師と戦って生き残るほどの強い固体だというのは知っているわよね? そのネームドイーターの中でも特に危険度が高く、伝説として語られたり、神格化されてあがめられている固体がネームド・オブ・ネームド、ということなの。あの祠に封印されているイーターの名前は……、アークドラゴン!」


 ドラゴンが出てきたか。

 アークというのは英語における、首位の、第一の、という意味の接頭語である。本来、アークという発音は母音で始まる語につく場合に限るものであって、子音で始まる語につく場合にはアーチと発音する。つまり、正しくはアーチドラゴンと呼ぶべきなのだ。

 ラノベなんかでは、種族やモンスターの名前の頭にアークという言葉を貼りつけ、上位の強そうな存在をこしらえていることが多々ある。


「竜王ってところか? まさか溶接ドラゴンって意味じゃないよな?」


「ヨウセツっていうのはよく分からないけれど、もちろん、竜の王って意味よ。このアークドラゴンはね、四天魔を含む魔導師が総がかりでどうにか封印したイーターなの。だからあなたがどんなに自分の力に自信があっても、この封印にだけは手を出しては駄目よ。もしどうしても封印を解いてアークドラゴンと戦いたいなら、四天魔全員を倒し、あなたにそれだけの力があることを証明してからにしてちょうだい。いい? 分かった? 絶対よ!」


「ああ、分かったよ」


「本当に?」


 シャイルはポニーテールを揺らし、揺れる黒い瞳で俺の顔を下から覗きこむ。俺のことをまるで信用してないが、それは正解だ。ただし、俺に祠の存在に気づかれた時点で落第点だ。


「ああ」


 それほど強力なイーターを封印しているのなら、封印も相当に強固なものだろう。おそらく俺の力では封印を解くことはできない。わざわざシャイルを裏切って恥をかくこともあるまい。

 逆に俺があっさりアークドラゴンを倒してしまったら、それよりも弱いことが分かっている四天魔たちと戦う楽しみがなくなってしまう。

 わざわざ喧嘩を売ってきた努力が水泡に帰すことになる。

 順番を守ることで、より多くの愉悦を得られるのだ。


「本当に手を出さない? 本当に? 絶対?」


「心配するな。俺はな、楽しみは最後に取っておく派なんだ。ショートケーキの苺は途中で食べるがな」


「私は最初と途中と最後で食べられるように、苺は三つ用意しておくわ」


「なかなかいい発想を持っているじゃないか」


 シャイルはニコッと笑った。まるで三つの苺が乗ったショートケーキを堪能したかのような笑顔だった。

 シャイルは甘味が好きなのだろう。さっきまで彼女を襲っていた震えは、すっかり消えていた。


 そういえば、シャイルもリーズに劣らずお嬢様だった。

 風紀委員のリーズは銘家の御令嬢だ。ただ、品格の高さの隙間から世間知らずな部分が漏出していることが多い。リーズは第二子のため、厳格なしつけにほころびやほつれのつけ入る隙が生まれたのだろう。

 風紀委員長たる彼女の姉ルーレは、おそらく完璧超人の類だ。あれが銘家令嬢の本来の在り方だ。先の謁見えっけんでそれを嗅ぎ取ることができた。


 対するシャイルは、庶民的なお嬢様だ。裕福ではないが、いい環境で育ち、良識と気品を兼ね備えた、まさにクラス委員長タイプの女の子だ。

 ま、ラノベではリーズのようなタイプがクラス委員長を我がもの顔で務めているケースのほうが多い気がするが。

 いずれにしろ、こういったクラス委員長タイプは、自分の身に降りかかる問題を一人で抱え込む傾向にある。そんなヒロインを、強粘な底なし沼からひっぱり上げてやるのも主人公の役目だ。


 そう、ヒロインを助けるのは主人公の役目であって、俺の役目ではない。俺は好き勝手にするだけだ。

 沼があればグルングルンかき回して泥を散らし、人の顔にそれを塗りつけるのが俺のやり方だ。


「エスト君、そろそろ着くわ。一匹のイーターには見つかったけれど、どうにか無事に辿り着けそうね。ダース君の家の敷地内に入ってしまえば安全よ。リムももう少しだからがんばってね。ダース君に松明の炎でもご馳走してもらいましょうね」


 シャイルが背を低くし、火の精霊リムに語りかけている。

 そんなシャイルに俺は語りかける。


「さすがだな、シャイル。立派なフラグを立ててくれる」


「何を言っているの? 私は旗なんて持っていないわ。この深い闇では目印として役不足だもの」


「そうじゃねえよ。おまえの台詞が凶暴なイーターを呼び寄せる前振りになっているって話だ。ま、おまえがやらなきゃ俺が自分でフラグをそっと立てていたところだが。それとおまえ、役不足の意味を間違っているぞ」


 役不足というのは、その役の者の力量が足りないという意味でよく用いられるが、それは誤用である。正しくは、その者の力量に比べて役目が軽すぎるという意味で、つまりまったく逆の意味なのだ。

 この役不足が誤用されるという話はかなり有名なはずなのだが、それでも役不足を誤用のまま使用している小説が多い。あまりにも多い。それもラノベに限らず、だ。「誤用のほうが浸透しつつあるから、もうそっちの意味でいいんじゃないか」などと述べる輩までいるから度し難い。


「あ……」


「おでましだ」


 ガサガサと草木をかき分けい進む生命の気配がする。異質な気配がジワジワと近づいてくる。

 シャイルの肩が俺の背に触れる。背中越しに伝わる熱。それから腕にも柔らかい熱が伝わる。

 しかし彼女の表情は強張っていた。口元をキュッと結び、頬を紅潮させ、黒真珠のような濡れた瞳をかすかに揺らしている。


「エスト君、ごめんなさい。まさかイーターにそんな習性があるなんて、私、知らなくて……」


 シャイルは恐怖と罪悪感に震えている。

 しかし俺は「心配するな。俺がついている」などとは言わない。なぜならば、いかなる凶暴なイーターも俺の前には水槽の中の稚魚に等しく、この俺がわざわざ身構える必要性すらないからだ。

 だから、俺は言いたいことを言う。つまり、俺はここで、悠長にも俺なりの哲学を語る。


「ばーか。こんなの、イーターの習性でも何でもねえよ。あいつらは、おまえが何も言わなくてもすでに寄ってきていたんだ。結局のところ、結果論みたいなもんだ。こういう物語じみた世界にはな、必ずボスモンスターみたいな強い固体が道中の最後らへんに設置されているもんなんだよ。ワンパターンで味気ないけどな」


 そう、いて言うならば、ラノベというか、物語の習性というところか。

 物語を盛り上げるための伏線のようなものを、先人の模倣で作家が多用するから、お決まりのパターンと化してしまっている。

 まるで石化現象だ。あるいは腐敗化現象か。「この戦争が終わったら結婚するんだ」と言って出兵した兵士が死ぬシナリオを最初に考えた人は、さぞかし多くの名作を世に残したことだろう。それが多く模倣された結果、いまやその台詞は死の暗示でしかなく、先の展開がみえみえで、死によってたやすく感動を呼び込もうという魂胆の見えすいた腐ったシナリオでしかなくなっている。

 まるでゾンビだ。模倣作家どもは死肉を喰らい、際限なく増殖を続けるゾンビそのものだ。眼球が抜け落ちているか、口が裂けているかなどの些細な個性で勝負しても、それが死霊であることに変わりはない。

(※これはあくまでゲス・エスト個人の思想です)


「来た! エスト君、来たよ!」


「おいおい、おまえが呼びかけるべきはリムじゃないのか? 俺はおまえの精霊じゃないぞ」


 巨大な蛇型イーターが、そこにはいた。

 青白い鱗をまとい、幅が一メートルを越すほどの巨大な蛇は、毒牙はもちろん、鮫のように何層もの多数の鋭歯を持つ。

 チロチロと見え隠れさせている紫の硬質そうな舌は、二又に分かれた枝物槍そのものだった。

 紅い双眸そうぼうの上部に三本ずつの黒い棘があり、それはマツゲの役割を帯びた角に違いなかった。

 尾は林の闇の奥にひそみ、全長がいか程のものか見当もつかない。


「っ……」


 シャイルが声にならない悲鳴をあげる。

 それは敵があまりに大きいからだと思ったが、そうではなかった。


「どうした?」


「これ、ネームドイーターだわ! 名前はたしか、スピアテイル」


「尾が槍ってことか。こいつの顔にばかり気を取られていたら、後ろから刺される、みたいな感じか」


「嘘でしょ……、こっちにも……」


 白く発光しながら、宙を泳いでくる魚がいた。

 発光していて体の色が分からないが、その目だけは光を食らう闇を宿していた。

 発光しているため正確な大きさは分からないが、おそらく俺の肩から手首くらいの全長はあるだろう。


「こっちも名持ちか?」


「ええ。フォレストフィッシュよ」


 森を泳ぐ魚か。蛇よりもずっと得体が知れない。蛇に比べてかなり小さいが、おそらくはこちらのほうが格段に厄介だろう。


「二体同時か。しかしイーターは見境がないんだよな? うまくすれば同士討ちが狙えるんじゃないか?」


「それは難しいかな……。イーターの行動原理の根幹にあるのは食欲。見た目が弱そうな生物に真っ先に襲いかかるわ」


「フォレストフィッシュなんて人間より小さくて弱そうに見えるぞ」


「光をまとっていたり、派手なイーターは強そうに見えるものなのよ」


 なるほど。そういった自然の摂理というやつは、俺の元いた世界におけるそれと変わりない。

 動物も昆虫も、自分を大きく見せたり、大きな音を立てて相手を威嚇する。その威嚇は人間には通用しないが、彼らの天敵には十分な効果を発揮するらしい。


「エスト、もう一体いる」


 いつの間にか顕現を解いていたエアが、空間に溶け込んだまま俺の耳元でささやいた。

 しかし、三体目の姿はどこにも見えない。


「いないぞ」


「闇と同化している」


「ここは闇が深いからな。闇に紛れるタイプには好都合だろう。どこに潜んでいるか分かるか?」


「違う。闇そのものと同化して、辺りを漂っている」


「つまり、ここを暗く染めている闇そのものがイーターということか?」


「それも違う。この辺りの光を蝕む闇は祠を取り巻くもの。変幻自在なイーターがその闇に変幻して混ざりこんでいる」


 それは厄介だ。とんでもなく厄介なイーターだ。

 例えばシャイルが火を使ったらイーターも火に変幻してしまうってことだ。


「シャイル、いまの話を聞いていたか? そういうイーターに心当たりは?」


「たぶん、ある。ミスフォーチュンっていう名前のイーターかもしれない。目撃例はほとんどないけれど、立て続けに事故が起きた場合は、こいつの仕業ではないかと言われているわ」


「ほう。それは相当ヤバイ奴じゃないのか?」


「ヤバイなんてもんじゃないわ。世間では人間が太刀打ちできない自然災害と同列に見なされているもの」


「なるほど……」


 闇の深い林道の一本道。

 前方からは巨大な蛇型イーターのスピアテイル。

 後方からは発光し宙を泳ぐフォレストフィッシュ。

 そして姿を見せることなく漂うミスフォーチュン。


「ごめん、エスト君……」


 俺の隣でシャイルがうつむいてつぶやいた。


「ん? なぜ謝る?」


 シャイルは相変わらず震えているが、ギュッと固く結ばれていた拳が力なく開かれた。

 道をささやかに舗装している敷木にしずくが落ち、そして闇に呑まれて消える。


「さすがにこの状況はどうしようもないわ。ネームドイーターが三体。この絶望的状況を打破することは不可能。もう私たちに未来はない。あなたを巻き込んでしまって申し訳なく思っているわ。まさか、こんなことになるなんて……。本当に、ごめんね……」

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