第2話 キーラ・ヌア
「ところで、おまえ、名前は?」
俺は空飛ぶ透明な絨毯に仰向けに寝そべり、俺の真正面を並行して飛んでいる空気の精霊に言葉を投げた。
「エア」
予想どおり、無感情系ヒロイン特有のひと言返事が返ってくる。
「そうか。じゃあエア、一つ約束しろ。おまえ、自分の正体を誰にも喋るな。空気の精霊であることと、その名前もだ。名前から何の精霊か推測されるだろうからな」
「分かった」
これはもの分りがいいのとは違うな。
愚直。理由を聞くという発想がない。
ちなみに俺がエアにそう約束させた理由は、能力が分からないほうが敵対する相手に対策されにくいからだ。
ま、俺みたいに精霊と契約した人間がほかにもいるのなら、という話だが。
だがこのラノベみたいな世界ならきっといるだろう。
俺の予想では、学園ものか戦争ものかのどちらかに俺が巻き込まれていく展開になる。
俺としては後者のほうが楽しそうだ。前者はぬるすぎる。
「名前……」
「あん?」
「あなたの名前、教えて」
ほほう。彼女からの発言は初めてのことだ。
これまで俺が質問し、彼女はそれに答えるだけだった。
俺が名前を聞いたから、名前を知りたいという知的欲求を取り込んだということだろうか。
「嫌だ。俺の名前は教えない」
「分かった。覚えた」
「待て!」
「分かった。待つ」
まさかこいつ、俺の名前を《嫌だ。俺の名前は教えない》と認識したんじゃなかろうな。
俺がこいつに名前を教えないことに深い意味はない。
「俺の名前は
「分かった。エスト」
こいつはまるで安ものの人工知能のようだが、感情を学ぶことで人並みの知能を得ることになるのだろう。知能なしに感情というものは生まれ得ない。
「エスト」
「何だ?」
許可をもらったから呼びたくて呼んだ、なんてことはないだろうな。
まだこいつにそんな感情はないはずだが、もしそうだったら、しばいてやるぞ。
「あそこ、見て」
俺は寝返りをうってうつ伏せになり、エアの指し示す方向を見下ろした。
そこには怪物がいた。
全長五十メートルはありそうな巨大なムカデのようだが、背中がびっしりと青い鱗で覆われており、足の節々から鋭い棘が飛び出している。
目が三つあり、信号みたく赤、青、黄色の光を宿して別々の方向を見ている。
口にはクワガタの角みたく立派な二本の牙があり、カシャカシャとせわしなく動いている。
そいつの赤い目が見下ろす先には、人の姿があった。
俺と同じくらいの
紺色のブレザーに赤と黒のチェックのプリーツスカート。学校の制服のようだ。
遠目で分かりづらいが、低身長の金髪サイドテールだ。そんな容姿の少女ならツンデレに違いなかろう。ツインテールではないが、似たようなものだ。
「あれは何だ? この世界にはモンスターがいるのか?」
「あれはイーター。喰魔、魔物と呼ぶ者もいる」
精霊というのは知恵はなくても知識はあるらしい。その知識がどこまでのものかは知らないが。
ともあれ、この世界ではモンスターのことをイーターと呼ぶらしい。
「あのムカデ型のイーターには固有の名前とかないのか?」
「ない。イーターは全部、イーターと呼ばれる」
「それは不便じゃないのか?」
「誰にも退治されないような強いイーターには名前がつくこともあるけど、名前をつけられたイーターは少ない」
「ほう、そうか。それは勉強になった」
俺はゴロンと転がり、仰向けに戻った。
エアが真正面にいる。向かい合っている。
空気の精霊だからかは知らないが、エアは空を飛べる。空気の絨毯に寝そべる俺の真上で、俺と平行に空を飛んでいる。
「助けないの?」
「助ける? なぜ? 弱肉強食が自然の摂理ってもんだ。まさかおまえ、感情がないとか言っといて、一丁前に人情だけはあるとか言いだすんじゃねぇだろうな」
「あなたがあの人を助けることで、あなたはあの人に感謝され、あなたの感情が動く。私はあなたから感情を学ぶ機会を得る。それに、イーターは精霊の天敵。イーターの天敵である魔導師が契約精霊のためにイーターを退治すべき」
「魔導師? それはもしかして、俺のことか?」
「精霊と契約して能力を得た人間を魔導師と呼ぶ」
ここで一つの疑問が浮かぶ。
これを質問するとエアはすごく不快になるだろうか。
いや、ならないだろう。こいつにはまだ感情がないのだから。
ま、あったとしても訊くんだけどな。
「もし精霊が死んだら、その精霊が契約していた魔導師はどうなる? 能力を失うのか? まさか、死んだりはしないよな?」
「能力は失う。死んだりはしない」
「じゃあ、おまえさえ無事でいれば、俺はこの力を維持できるわけだ」
俺は空気の絨毯を叩く。
俺の作った絨毯はちっとやそっとじゃ壊れない。
「感情を動かさずに精霊との契約を果たさないでいると、少しずつ能力が弱まっていき、契約が切れる。そうなると、あなたは二度とどの精霊とも契約できない」
「何だと? 言っておくが、俺があの金髪サイドテール少女に感謝されても、俺の頑丈な感情は動かないぞ」
「精霊が感情を動かす機会を見つけたときに、契約者が努力する姿勢を見せれば問題ない」
何だそれ。成績に関係なく毎日出席すれば皆勤賞はもらえるみたいな、そんな感じか?
ぬるい契約だな。
というかそれ、エアのさじ加減なんじゃないのか?
だとしたら、ずいぶんと
「やれやれ、仕方ねぇな」
あ、ラノベで「やれやれ」とか言う主人公ってなんかムカつくんだよな。
だから俺はあえて言うけどな。
やれやれ、やれやれ、やれやれ、やれやれ。
「早くしないと、あの人、食べられる」
「はいはい」
イーター。つまり、捕食者ということか。
追い詰められている少女は精霊ではなさそうだ。となると、普通の人間か魔導師かということになるが、魔導師がイーターの天敵ならばイーターに襲われている彼女は魔導師ではないということになる。
だが、ラノベ的には彼女が魔導師専門の学校の生徒だと相場が決まっている。
この推測が真であると仮定するならば、このことから導かれる結論は二つ。
一つ、イーターは相手が人間だろうが精霊だろうが魔導師だろうがお構いなしに襲う脳筋生物だということ。
一つ、あの金髪サイドテールが激弱だということ。
「あっち行ってよ! あたしなんか食べてもおいしくなんかないんだからね!」
俺は空気の絨毯を消して地面の近くに空気の緩衝材を作った。
空気の緩衝材を突き破りながら、俺はスタッと少女の前に着地する。
「その台詞、『あたしを食べてください』と言っているようにしか聞こえねーよ」
「え、何? あんた誰?」
「神様」
「え、うそ、神様⁉」
「バーカ。そんなわけねぇだろ」
「ぐぬぬぅ!」
金髪サイドテールの少女は目に涙を浮かべて俺を睨みつけた。
俺は片眉を上げ、彼女の怒気を跳ね飛ばす。
「あんた、この状況が分かってんの? 冗談なんて言っている場合じゃないでしょ!」
「いやいや、おまえ魔導師だろ? なんでイーターなんかに追い詰められてんだ?」
「バッ、バカッ! 追い詰められてなんか、ないんだから……」
おっと、やはりこいつからはツンデレの臭いがするぞ。
だが俺はドエスだから、こいつのデレを引き出さず、こいつにはただの意地っ張りで性格の悪い奴というキャラクタリスティックを植えつけてやる。
「じゃあ俺の出る幕じゃなかったな。邪魔して悪かった」
俺は少女に背を向けた。
少女は震えていた。
俺の実力は知らないだろうが、もしかしたら助けてもらえるかもしれないという希望を、彼女は自分の言葉で打ち壊してしまったのだ。葛藤しているかもしれない。
だが俺は手を差し伸べる気はない。彼女が自分の葛藤にいい方向に打ち勝たない限り。
「エスト」
空気に溶け込んで姿を消していたエアが俺の正面に現れた。
彼女の表情には感情がまったく表れていないが、それでもじっと見つめられると後ろめたさを刺激されるようだ。
これがいわゆる無言の圧力というやつか。
「あ、あぶない!」
突然、後ろから抱きつかれた。さらにその後ろには、あのムカデ型のイーターが迫っていた。
この少女は俺をかばおうとしたのだろうか。結果的に俺の動きを封じたことにしかなっていないのだが。
「――ッ!」
少女は閉じていた目蓋をおそるおそる開き、そして背後の様子を見た。
大ムカデが目前でよじれていた。あまりの衝撃に悲鳴すら忘れて絶句している。
ムカデはさっき、俺と少女を噛み殺そうと迫ってきていた。だが、俺が空気の力で大ムカデを止めた。
空気の壁でムカデの牙を弾き返し、空気の縄で縛りあげ、そしてその長大な胴体を
「これ、あんたがやってるの? あんた、何者? 何の精霊と契約しているの?」
「その答えはな、全部秘密だ。だが、その代わりに一つだけ親切をやろう。おまえの獲物を横取りせずに開放してやる」
「ちょ、待って! 悪かったわ。あたしじゃこいつには勝てない。だから、その……、助けて、ください……」
ほう、案外、素直になるのは早かったな。
俺もちょうどこのムカデ野郎にはお仕置きをしなければならないと思っていたところだ。
この俺に刃向かうなど、イーターだろうが何だろうが……。
「ムカデよ、おまえは極刑に値する!」
俺は少女の両腕に拘束されたままイーターを睨みあげ、そして空気を動かした。
ムカデの身体がバラバラに吹き飛んだ。ムカデの隙間という隙間に空気を仕込み、一気に膨張させたのだ。
ムカデの汚らしい体液や残骸が降り注ぐが、俺は空気の傘を作って一滴たりとも浴びずに終わらせた。
「執行完了!」
俺はサイドテール少女の腕を解き、立ち去ろうとした。
少女は呆然としてつぶやいた。
「すごい……」
「おまえはすごくないな」
「なっ! しょうがないじゃない。あんな馬鹿でかいイーター、魔導師一人でそうそう勝てるものじゃないわよ。特にいまの奴はネームドイーターでもおかしくないくらいだわ」
「ネームドイーター?」
「ネームドイーターというのは、その固体に固有の名前がついているイーターのこと」
エアが教えてくれた。
ヒソヒソ声だったが、少女にも聞こえる声量だった。
「ネームドイーターを知らないなんて、あんた、もぐりね。でも、魔法を使えるってことは、魔導学院の生徒じゃないの? ていうか、その子ってあなたの精霊? なんで裸なの⁉」
「なんでって言われても……」
たしかに人間の少女に近い容姿であるエアが裸なのは問題がある。
しかし、空気に溶け入ったり出てきたりする彼女が服を着ると、いちいち着たり脱いだりしなければならないではないか。
「服、着たほうがいい?」
「まあ、そうだな。だが……」
「分かった」
エアの身体が少し光った。
光が消えたとき、彼女は服を着ていた。
なるほど、彼女の空気を操る力で、なんやかんやして服を再現したのだろう。
できるのなら最初からやれよ、と言いたくもなるが、彼女が服の必要性を知らなかった以上、言ってもせんなきことだ。
「できるんじゃない! この変態!」
サイドテールの少女が俺を睨み上げる。
「ああ、そうだな。よかったよ。こいつに服を着せるために、おまえの服をひっぺがさなくて済んだ」
「なっ!」
サイドテールの少女は自分の身体を抱きしめるようにして、身体の向きを俺からそらした。
「変態!」
こいつ、口がすぎるぞ。
そこらのラノベ主人公は変態と呼ばれて内心喜ぶのだろうが、俺には殺意しか沸かない。
こいつ、いずれしばいてやるぞ。
ともあれ、いつまでもサイドテールの少女と呼ぶのは面倒だ。名前を聞いてやろう。
名前を聞いて、俺のブラックリストに入れてやる。
「おまえ、名前は?」
「あ、まだ名乗ってなかったわね。あたしはキーラ。キーラ・ヌアよ」
出た。なぜか姓名の名のほうだけを名乗った後にフルネームを名乗るという謎の典型パターン。
自己紹介なんて最初からフルネームを名乗ればいいのだ。
「ふーん、そうか」
「そうか、じゃなくて! あなたも名乗りなさいよ」
キーラはそのしなやかなサイドテールを揺らしながら迫ってきた。
「おまえに名乗る名などない。自分が名乗ったからといって、必ずしも相手の名前を聞けると思うなよ」
「なっ! なによそれ!」
「エスト。この人の名前はエスト」
エアが答えた。
「おい。勝手に人の名前を明かすな」
「分かった」
本当に一から全部教えなければならないのか。
こいつは空気の精霊だが、場の空気を読めるようにはなりそうにないな。
「エスト? なんだ、普通の名前じゃないの。なんで隠したがるの?」
「俺が名前を恥じて名乗らなかったとでも思っているのか? 失礼な奴だな、おまえは」
「おまえじゃない。キーラよ!」
「俺が名乗らなかったのは、情報戦で少しでも優位に立つためだ。情報というのは目に見えないために軽視されがちだが、その実、一つの情報が国家の命運を握ることだってあり得る」
「ふーん。でも、名前を名乗らないのは、あたしへの嫌がらせにしか思えないわ。あなたは情報じゃなくて、あたしを軽視しているみたい」
「その実、そのとおりだ」
「きぃーっ! エスト、あたしはあんたを今度のバトルフェスティバルでギタギタに打ちのめしてやるんだから!」
キーラは両手の拳をその場で振り下ろし、サイドテールを揺らした。
その悔しそうな表情を見るにつけ、俺は非常に愉快になる。
しかし、それ以上に興味をそそることが一つあった。
「バトルフェスティバル?」
なんだか楽しそうなイベントがあるようだ。
他人を大衆の前で好き放題に
「あ、そっか。あんた、魔導学院の生徒じゃないんだっけ? 旅行者?」
「いや、俺は迷い込んでここにいるだけだ」
「迷い込んだ? どこの国の人?」
「ニッポン」
あ、普通に答えてしまった。
ま、どうせこいつは知らないだろう。
「聞いたことない国名だわ。それ、どこにあるの? 諸島連合のどこか?」
「知らん」
「記憶喪失?」
「違う。迷い込んだと言っただろう。帰る方法が分からん」
おそらくここは異世界。
ラノベの中に取り込まれたのか、あるいは脳内と現実の自分が入れ替わったのか、はたまた実在する別次元世界なのか、この異世界がどういう存在なのかまるで分からないが、この世界の全土を見てまわったとしても、どこにも日本は存在しないだろうことは確信できる。
「そう。じゃあ仕方ないわね。帰る方法が分かるまで、魔導学院に来なさいよ。あたしが口利きしてあげる」
チッ。やはり学園ものだったか。
まあいい。
魔導学院というからには、生徒たちは能力者集団に違いない。
俺の空気の力と、それを万能に駆使できる俺の頭脳で、プライドの高い学生たちの鼻っ柱を片っ端からへし折ってやろう。
ふっ。つくづく俺という奴は主人公に向いていないな。こんな下衆野郎に共感できる読者などいようはずがない。
ま、ラノベの読者は俺であって、俺はラノベの主人公なんかじゃないから、そんなの関係ねーけどな。
俺は誰かを愉しませる気なんて毛ほどもない。
ただ俺が
「じゃあ、あたしについてきて。それと、その……。さっきは助けてくれて、ありがと……」
どうやらツンデレ系ヒロインを一人攻略完了したらしい。
しかし俺のミッションはヒロイン攻略じゃない。
能力者どものプライドをへし折っていくことだ。
弱者に用はない。
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